第百十三話 交渉カードはDead or Alive?
リズニアは走っていた。
土レンガで出来た居住区の上、錆びた物干し竿の間を潜り抜け、家々をジャンプし飛びまわり、屋根が崩れれば家の中を通ってアルデンテを翻弄する。
「追いかけっこだネ? 分かるとも!」
常に追われているように見えるが、あいつはわざと追い掛けさせている。
アルデンテ自身もそれを楽しんでいるみたいだし、不死身相手にしっかりとよく時間稼ぎをしてくれている。俺も負けられない。
相性的に本来であればアルデンテの相手は俺がするべきだ。だがそれは女神に止められた。
リズが言うには、仮にアルデンテを倒し三十万体のアンデッドの侵攻を阻止したとしても、もう一人の五賜卿がそれをきっかけに動き出したら同じ事の繰り返しになる──。とのこと。さらにアルデンテはリズのことを自分を楽しませてくれる戦乙女と勘違いし執拗に執着してくるらしく、「囮役なら私が適任です」と自ら引き受けてくれたのだ。
出会った頃のなんでも勝手に進める彼女からは考えられないほどの成長に若干目頭が熱くなる。これなら多少は交渉が長引いても問題は無さそうだ。
ただし、絶対に成功させなくてはならない。ここまでお膳立てをしてもらって失敗は許されないのだ──。
「ユールから手を引け。そうすれば、イザナイダケはお前たちのモノだ」
もう一人の五賜卿の動きを封じるべく、俺は交渉という形で正式に撤退してもらうことを選んだ。交渉相手が商人も兼任していることは僥倖だった。職人としてのプライドから不履行にされる心配も無さそうだからだ。
「はて、なんの事やら。ワタクシたちそんなものが欲しいなんて言いましたっけ?」
否定している彼女の、おどけた笑い方を見れば正否を問うまでもない。
真だ。
「この街にはアンタらと戦えるだけの人員が揃ってる。勇者の不在を狙っても落とせなかった時点でなんとなく察しはついてるだろう? それでも尚、初めから全力でいかれてたら俺たちはここまで来れなかった。だから、地味で地道な人海戦術には感謝する」
おどけた笑い顔をマネして返してみる。ちなみに “人員” と云うのに俺自身は含んでいないつもりで語らせてもらう。
「それで、イザナイダケが狙いだと仰るその根拠はなんでしょう?」
「ただの推測だ。ユールに対して一方的な虐殺に踏み切れなかった理由はなんだと考えた時、真っ先に思い付いたのは『強敵との対峙を避けるため』だったが、五賜卿がそうまでしてユールに報復したい理由がそもそも分からなかった……。俺たちに一度ボコられたアルデンテならともかく、他の五賜卿が来たのには何か別の──、大きな目的があって然るべきだと考えた」
「それが、キノコだと?」
「ああ。だって知らないだろ? イザナイダケの在り処とかさ」
菌糸類のイザナイダケはユールの実に局地的な場所にしか自生していない。収穫に携わっていた冒険者たちなんかがだいたいの場所は知っていても、その収穫方法などの機密事項は〈かなみちゃんが裏で糸を引くキノコ商会〉や〈レイザらス〉が徹底して漏れないように管理している。街から情報が漏れていない以上、五賜卿たちに知る術はないのだ。
「おっと、まさか商人であるシロップさんが、誰がそれを知っているのかも知らないってことはないよな?」
これが俺の交渉手札。逆に、これしか切れるカードがないとも言えるが──、果たして乗ってくるかどうか。
「珖代様は場所を知っているのですね」
掛かった。魚が疑似餌に噛み付いた。
「キノコ商会の発足にはそれとなく関わらせてもらってる。イザナイダケに関する情報について、俺なら好きなだけ与えられると約束する」
この情報そのものにはウソは混じっていない。しかし、イザナイダケの生息地域である峡谷はかなみちゃんたちによって特殊な結界が貼られており、意図してキノコに近付こうとする部外者には決して辿り着けない仕様になっている(仕組みまでは解らない)。
そう。あの時、追い詰められて谷底に落ちたアルデンテのように、偶然でもなければイザナイダケを目撃する事は不可能なのだ。
そういえばここに来るまでにかなみちゃんが言っていた『五賜卿二人と俺の知っているあのヒト』とは誰のことだったのだろう。アンデッドやらゴリラの気配で他に誰が居るかどうか全く分からない。あの話はカクマルの事でやっぱり正しかったのだろうか。
「もう隠しても無駄なようですね。よろしい。ではこの国から即刻退去する条件として、イザナイダケの生息地域の開示と販売システムの完全破棄を要求します」
これでムリなら次の手を至急に考え直さなきゃいけなかったが、とりあえず成功と言っていいだろう。しかし、意外な条件が飛び出してきたぞ。
「完全、破棄……? 放棄や讓渡でなくてか? ユールの経済力を潰すのが目的なのか知らないけど、そこまでの権限は流石に俺には」
「即決出来ないなら交渉は決裂。まあ、放棄でも讓渡でもどちらでも好きに受け取ってもらえれば。ワタクシたちの目的はイザナイダケの奪取、又は種の根絶なのですから」
言葉の隙間にねじ込んで揺さぶりを掛けてくる。フッかけて相手を急かすその交渉術は流石、商人と言うべきか。しかし勿体ない。あれだけの一大産業を無くそうとする動きは商人としての整合性があまり感じられない。
Dead or Alive。
そこを敢えて強調してくるのは、何か特別な意味があるに違いない。イザナイダケの流通がそんなのにイヤなのか。
「待て。即決は難しいが……、したらしたらで簡単に信じてくれるとも思えない」
「ワタクシ、腐っても商人ですから。珖代様のお言葉には、信じられるだけの “価値” があると見ています。さぁさぁご決断は素早く、簡潔に」
「分かった、条件は飲もう。ただし契約書は書いてもらうぞ。後で無かったことにされても困るんでな」
「それなら蟲で済ませましょうか」
彼女の手から飛びたった一匹の小さな蟲が、俺に近い壁にピトっとくっつき羽根を休めた。よく見みるとその蟲はおしりがゆっくりと赤く点滅している。
「これは?」
「〘ケイヤクボタル〙です。アタマの部分に親指を。拇印を押してください」
言われたままに羽根を広げた状態で止まっているホタルに親指を押し当てる。点滅が黄色くなった。近くで見るとホタルって触るのに躊躇したくなる見た目をしている。四の五の言っていられないので、ぎゅっと目を瞑って親指を押し当てる。
「珖代様、フルネームを」
「喜久嶺珖代」
「ではワタクシの後に続いてお声がけください。──約定。キクミネコウダイは」
分からないがとりあえずやってみる。
「約定。キクミネコウダイは」
「ウィッシュ・シロップに対し」
「ウィッシュ・シロップに対し」
「自身の全権利を讓渡するまで、ユールの者たちが五賜卿に手出ししないことを誓ったものとする」
「……イザナイダケの全権利を讓渡するまで、ユールの者たちが五賜卿に危害を加えないことを誓ったものとする」
「あら残念♡ まずは息を吸う回数から制限してさしあげようと思ったのに」
若干、サディスティックに聞こえた気もするが、契約を述べ終わるとホタルの発光が緑色に変わった。ホタルはそのままシロップの元へと帰っていった。
「珖代様が裏切りを考えるとホタルのおしりは黄色く点滅し、実際に裏切りを実行すると赤く点滅します。赤くなりますとホタルの寿命と珖代様の寿命がリンクしますのでご注意くださいね。その場合、約一ヶ月で死を迎えます」
「俺だけリスクないかそれ」
「そう仰ると思いまして──」
そう言いながら彼女はふところから一匹の蟲が入ったビンを取り出した。




