第百十一話 地下要塞の開戦
水浸しの廃墟。
全域を照らす太陽とそれを反射する濁った水溜まりの上。
奴は、そこにいた──。
「アルデンテェーーーーーー!!!」
吹き抜けの最下層に向かって力の限りその名を叫ぶ。
洞窟中に響き渡るその声を聞いて新しいオモチャを見つけたように、少年は笑顔でコチラを振り向く。
景気づけの声張り。武士の名乗り合いほど高尚なものではないけれど、『今から俺たちが相手になる』という宣戦布告の意思は、どうやら伝わったようだ。なんとなく心のモヤもスッキリと晴れ渡るような気がした。
俺たちが今居るのは、レイら元義賊が半年前まで使用していた天然地下要塞の第一層部分。岩場に隠された入り口から暗い洞穴の一本道を通って、最初に到着する階層である。
第一層、第二層、そして第三層から構成されたアジトは構造上中央部が吹き抜けになっていて、どこからでも全体が見渡せる造りになっている。そのため、向こうからもコチラの居場所がすぐに分かったという訳だ。
「リズ、手筈通りに」
そう言って振り向いた時には、もう女神さんは居なくなっていた。
「ん、おい。リズ……?」
左右を確認していると下から「バシャンっ!」と水しぶきが上がる音がした。
どうやら、あの女神は話を最後まで聞かずに最下層まで一息に降り立ったようだ。十階建てビルに相当する高さから飛び降りて無傷なのは流石の身体能力だが、さきゆきが一気に不安に感じて眉間を押さえる。
「ったくもう。そっちは任せたからな……」
年に二度、三度ある豪雨をどう対処していたかは知らないが、洞窟全体の水捌けはかなり悪く足元は滑りやすい。特に、リズたちのいる第三層の居住区はくるぶし辺りまで水が溜まっている。しかしそんな事はお構い無しと、三十万体ものアンデッドを操る賜卿は嬉々として声を上げた。
「アッはははーん、リア! ボクのためにわざわざ殺されに来てくれたんだネ!」
「その気持ち悪い笑い方、気持ち悪いですよ」
「嬉しいなァ……! さぁ殺してあげるヨ!」
「前回通りの暇つぶしと行きましょう」
リズが注意を引き付けてくれている間に、俺はもう一人の五賜卿を探しに出掛ける。足元は常につるつるで最悪落ちでもしたら、俺の場合 “即死事項” なのでなるべく壁際を攻めるようにして進む。
早速二人の剣戟が始まった。水溜まりの上を「パシャシャ」と走る音と銀色の火花が散っているのが見える。リズは時々空中で逆さになりながら、剣を合わせたりしている。水の抵抗を全く感じさせない素早い立ち回りには目を見張るものがある。さながら闘技場の観客席に居るような気分だ。……もちろんそんな経験はないが。
リズは普段通りの二刀流。対するアルデンテも同じ二刀流で、傍付きのアンデッド二体を引き連れてようやく互角といった戦いを繰り広げている。二体のアンデッドは補助的な役割に近いらしく、主人が下がる時のみ攻撃に参加している。その主人はと云うと、下がる度にどの流派にも属さないリズニアのあべこべな剣技を注意深く観察し、その技のひとつひとつを真似ながら着実に盗んでいた。
「まずいな……。早くしないと」
今はリズが優勢だが少年が技を覚える度にやりづらそうにしている。このままでは人数差でどう転ぶか分からない。俺は危険を承知で走ることにした。
──急がねば。
洞窟の側面には敵の最下層侵入を遅らせるための無数の洞穴が存在する。
洞穴の中は駐屯所だったりトイレだったり倉庫だったりするが、基本的にはどこかしらの洞穴と迷路のように繋がっている。出入り口から数えて時計回りに六つ目の洞穴が第二層へと繋がる道だ。これは以前、かなみちゃんと二人で訪れたことがあってたまたま覚えていた。最下層にもう一人の賜卿は見えないのできっと二層にいるはず。
ドドドドンドドンドド──!
そこら中の洞穴から、何やら鈍い破裂音のようなものが響いて聴こえてきた。
「ウホーーーッ!」
さらに野生の雄叫びも聞こえる。
ゴリラがドラミングでもしてるのか? ナワケナイカ。
警戒しながら走っていると、割かし大きめな生物が洞穴から現れた。かなり毛むくじゃらで黒くてムキムキで四足歩行で、想像していた通りのゴリラ・ゴリラだった。
「ホントにいた!?」
近付くと想像以上にデカい。
一旦足を止めてどうするか考える。
ドドンドドンドドド──!
興奮状態なのか、コチラに向けてドラミングを放つ。確かドラミングって威嚇行為だったような……。
「ウホー! ホッホホッホホホ!」
「待って、待て。落ち着け! アンタがもう一人の五賜卿なんだろ? な。まず落ち着いて話し合おう。うんっ」
「ホホ! ……ウホッホ」
「……違うのか?」
「ホウホウ」
言葉は……通じてるっぽい?
確か目を合わせるだけでも襲われたりうんこを投げつけられたりすると聞いたことがある。テレビで見た知識の範囲でしかないがゴリラから目を逸らす。どこかの動物園では、ゴリラ観察用にあさっての方向を向く目のイラストが書かれたメガネが売られているとかいないとか──。とにかく、ゴリラとかクマに出会った時は目を合わせて刺激しない。これは鉄則。てことは俺の┠ 威圧 ┨、使い所によっては怒らせてしまうんじゃないか?
胸元より下の方ならセーフだし観察してみる。すると、都合の良いことにゴリラの足元でフンコロガシがフンを転がしていた。
なんで? と思ったのも束の間、ゴリラがフンを鷲掴みにして投げつけ始めた。
「ちょ、ちょっそれやめ……! ホントに! やめろォ!」
飛んでくるフンを屈んで避けながら、目的の洞穴まであと二つほど離れた洞穴に身を潜める。顔を出して様子を伺う度にフンコロガシの丸いフンが飛んでくる。
「なんであんな都合よくフンコロガシがフン転がしてんだ……。しかも、普通のフンじゃないなこりゃ」
壁に当たって割れたフンの中から緑色の液が飛び出し、壁を溶かしている。何から考えたらいいのか分からないが、当たっちゃいけないことだけは確かだ。今更になってどうしてゴリラなんだ!? という疑問を叫びたくなってきた。五賜卿恐るべし。
顔を出すとヤられるので耳を澄まして様子を伺う。遠くで剣戟の音はするが、あのゴリラが近づく足音は一切聴こえない。距離が十分離れている今なら!
「よし! 3、2、1で行くぞ。3……2……1ッ」
顔を叩いて気を引き締め直し、いざ、自分の決めた合図で穴から決死の覚悟で飛び出す。
┠ 囲嚇 ┨をするには距離があり過ぎる。だからこそ目を見て止めるしか──。
「いやぁ、やっぱムリぃ〜!」
全身を出した途端、速攻で溶解液フンが飛んでくる。また洞穴に押し戻された。
「一か八か行ってみるか……」
俺の前にはどこに通じてる分からない洞穴がある。引くも進むも出来ないので、今はここを行くしかない。
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穴から顔を出す。
見渡すとゴリラの背後を取っていた。どうやら四つ先の穴に繋がっていたようだ。ここから二つ前の穴を通れば次の層へ行ける。俺の出待ちをしているゴリラに気付かれないように、そっと、抜き足差し足忍び足で行く。
慎重に、慎重に……。
「後ろです! こうだいッ」
黒ずくめのゴリラの手元に列をなす、怪しげなフンコロガシたちに夢中になっていたは俺は、背後から近付いてくるもう一人の仲間に気付かなかった。
「┠ 囲嚇 ┨──ッ!!」
リズの叫び声で存在に気付けた俺は、咄嗟にその骸に威圧派生«周囲»をかけ、目が覚めると体が縮んでしまってー……はいなかったが、聖剣で粉々に砕くことに成功した。
本当に夢心地で、目が覚めたらスッキリ終わっていた。内容は既にうっすらとしか思い出せないが、最強の誰かに成りきって、縦横無尽に聖剣を振るうような気持ちのいい夢だった。
「ウホォォォォオオオ!!」
アンデッドをバラバラに砕く音を聴いて、ゴリラが背後の俺に気付いた。出し抜かれたことにだいぶ腹を立てている様子。
──┠ 威圧 ┨!
今にもフンを投げて来そうだったので目を見て止める。行動を封じ込められる時間は五秒〜十秒といったところ。それだけあれば十分次の階層にいける。
「はぁ……はぁ……」
洞穴を抜けて、一息に第二層までやって来た。さっきより三層が近いし穴の数が増えているのですぐ分かる。振り返るとゴリラの姿はなかった。追いかけるのを辞めたらしい。
「なんだったんだあのゴリラは……ん?」
洞穴中からドタドタゴロゴロと音が響いている。ぱらぱらと振り落ちる砂の塊に気付いて上を見上げると、一層の床に亀裂が入っているのが見えた。まさか──、
──ドゴゴゴゴォオオーーン!!
やばいと思ったその瞬間。一層の床、つまり第二層の天井が音を立てて崩れ落ち、ご一緒にゴリラがトッピングされてきた。頼んだ覚えはない。
「あっぶ……ねぃ」
咄嗟に洞穴に戻ることを選んだのでなんとか死なずに済んだが、段差に躓き尻もちをついた。そうして、動けなくなっている間にゴリラが身の回りの大きなガレキを持ち上げて、剥き出しの歯を見せて食いしばる。
「いぃ!?」
ビビらずに┠ 威圧 ┨を使えばワンチャン逃げられたかも知れないのに、判断をする前に反射的に視界を腕で覆ってしまった。その間に岩が容赦なく投げ込まれる──が、岩が肌を掠めることはなく、なぜか洞穴の奥へ奥へと投げ入れ始めた。
──俺の退路を岩によって塞ごうとしている?
よく分からないが岩が転がり戻ってくる危険性もあるし、さっと立ち上がる。
引けないのでもう一度┠ 威圧 ┨をかける。振りかぶった状態で停止したことを確認してから、全力ダッシュでゴリラの横を通り抜ける。すると、女がひとりコチラに笑いかけるように立っていた。
「誰だッ!!」
すかさず聖剣を構える。
「お久しぶりですね、まさかこんな所でお会い出来るだなんて」
「お前は──!」
風格で分かる。
この女は──。




