第百十話 らしさ
『不死身の騎士』と謳われた騎士スケインは、皮肉にも本物の不死者に殺害され、カクマルの墓に並んで埋葬された。しかし、カクマルが墓から掘り出されアンデッドなってしまったのだから、隣りに眠るスケインが無事に済んでいるというのは考えにくい。……つまり、この先でスケインと戦うことも覚悟しておかねばいけないということだ。
「スケインは強いぞ。なんせ騎士であるために過去を捨てた男だ。俺も知らない能力を持っていることだろう。十分気を付けろ」
顎を引いてその忠告を確かに受け取ると、漢が自分の腕を持ち上げた。しかし細かい亀裂が関節に集中してあらわれ肘から先が削ぎ落ちる。それもボトッとした生身の感触ではなく、サラッとこぼれ落ちる流砂のように。
手だったことを知らなければ山盛りの砂糖か何かにしか見えない。次にどこが崩れるかといったら、おそらく亀裂の多い顔になる。
「最後に、いいか?」
頭が真っ白になって黙っていると、カクマルの方から聞いてきた。
「ツボを用意しろ」
「ツボ?」
「ヤツの生命力は異常だ。石化し粉々に砕いてもヤツは粒子から元通る。聖剣で灰にした後は形が保てないほど体積の小さなツボに入れ保管するんだ。でなければ、倒してもいずれ復活してしまう。ゆめゆめ忘れるな」
不死者アルデンテの処理方法──。そんなこと、意識からすっかり抜けていた。俺ひとり戦って勝てるかどうかも怪しい状況の中で、聖剣でトドメを刺せばそれで終わりだと想像していた自分の浅はかさに目眩がしてくる。ただそれ以上に、カクマルが俺たちの勝利を大前提にその先をしっかりと提示してくれたことがなによりも嬉しくて言葉にならない。
「わかった」
たった数分で足りないモノを見抜き、的確に助言する漢にもはや頭が上がらない。どんな時でも冷静沈着。死の間際でも、それは変わらないようだ。
「なんて言うか……、“カクマル”らしいな」
「……そうか……、俺、らしい……か…………」
直後、綻ぶその顔が中心から陥没し崩れて灰になった。
「……。」
なにが原因で、誰のせいだか、良くわかっている。良く実感している。よそよそしく吹く低気圧の風が灰を少しづつ空へと押し上げる。灰の行く末を追って顔を上げると、雨はもう降っていなかった。風に流される灰が一本の線のように天川をつくり、俺の進むべき方向を示唆してくれている。しかし──、
「──無理だ……、そんなすぐには……立てねぇよ……」
本当は今スグにでも立ち上がりたい。──でも立ち上がれなかった。宙に浮いているようにずっと頭がふわふわしていて、聞きたいことも言いたかったこともちゃんと伝えられたのかもはっきり思い出せない。
俺の手元に唯一残った、地面に刺さったままの聖剣の濡れた柄に顔を埋めるようにもたれると、なんだか剣も泣いているのか冷たく感じた。
体温で徐々に暖かくなる聖剣に心まで支えれられている気分になってきて、ようやっと少し冷静にモノを考える。
『自分らしさ』ってなんだろうか。
答えが出そうで出ないこの問いを、彼は最後に理解したように笑った。笑っていた。何か答えを得たのだろうか。だとしたら聞いてみたかった。
意味の無いウソをつくヒトじゃなかったしものすごく真面目なヒトでもあった。そのうえ冗談も程よく通じてもっと話してみたいと思える社交性もあって、強面な見た目とはだいぶ掛け離れた品格も持ち合わせていて──、圧倒的じゃないにしても俺なんかよりよっぽど強かったし、いるだけで精神的支柱になれるそんなタイプ。それが彼の目指した偽りの『らしさ』だったとしても、『らしかった』と伝えて笑顔になってくれるなら多少は救われる。共に冒険してきた勇者たちが羨ましくも思う。と同時に同情なんて言葉では測りしれないほどの大きな存在の喪失であることに今さら気付いた。
立ち上がれないのは後悔しているからじゃない。怯えて震えてるからでもない。ただ不安でしょうが無いからだ。
「失うのって、こんなカンタンなコトなのかよ……」
長いこと他人と関わることを拒絶してきた人生だった。失った哀しみを癒せない人生だった。あの時の喪失感をもう二度と味わいたくないと思い、心にバリケードを設置して他人を遠ざけてきた人生だった。
両親やユキを目の前で失った時に、それは痛いほど痛感したというのに。この異世界に来て、気付けば大切なものに溢れている。失いたくないものがたくさん出来てしまっている。
「ちくしょう……」
今の俺には多すぎる──。リズのおかげで何者でもない人生は終わらせることが出来たけど、その代償に、失いたくないものだらけの重い身体になってしまった。また置いて行かれると思うと胸が苦しい。力が入らなくなる。全てのものにいつか終わりが来ることは分かっている。でも、耐えられる気がしない。失い続けてきた人生だからこそ俺には、無理だ。もう辛い。考えてるだけでどうにかなりそうだ。
どうか、俺より先には行かないでくれ──。
そう願わずには居られない。
背後から足音がする。
ヒトひとり分の足音。俺の背中付近まできて止まる。何かを言い淀んでいる雰囲気は感じるが、なかなか話し掛けて来ない。
「あの……、お疲れ様です。こうだい」
声からして、リズリア。
「ほら! もうすぐですから行きましょ! 入り口はどの辺りでしたかねー」
振り返ることもすんなりと立ち上がることも出来ない俺に、リズニアは安易に近付こうとはしない。一体いつから見ていたのかは分からないけど気遣いは感じる。そんな彼女も、俺にとってはかけがえのない──、
「──なぁ、リズニア」
ふと、よぎった。
聞かなきゃいけない気がした。
なにも整理がついていないけど振り返った。
「……お前は……勝手に居なくなったりしないよな……?」
洸たろうの大切な存在は洸たろうの知らないところで終わりを告げた。会ったことは敢えて伝える必要もないし、カクマルもそれを望んではいなかった。ゆえに知らないうちに大切なものが消えてしまう恐怖を知った。それが俺にそんな事を嘆かせた。
みっともなく泣くことしか出来ないけど、リズは一切笑わずに聞いてくれた。腕を組みながら。
「うーん、それは約束しかねますですね」
──……。
あれ?
なんか思ってた反応と違う。
「誰だって、いつかはいなくなってしまうもので、それは明日かもしれませんし今日かもしれませんです。だから約束は出来ません」
そう言って彼女は俺の首に手を回して背中から抱きしめてきた。暖かい太陽の匂いがする。
「ただし、私はこうだいが大好きです。という事実だけは死んでも変わりませんよ」
リズっぽくある言い方だからなのか、なんだか涙が引っ込んでしまった。勘違いするような言い方には聞き覚えがあったのだ。
「……それ、かなみちゃんや薫さんもだろう?」
「はい。カナミンもカオリンもセバスちゃんもなかじまもみーんな大好きです!」
「おまえのそーゆーらしさはいらないなー……」
「えー!? ひどくないですかそれぇ?」
リズは両頬をぷーっと膨らませて不満そうに俺を睨む。その顔がなんだか可笑しくて思わず笑ってしまうと、リズもつられて笑いだした。
「こうだい」
「ん?」
リズはとある過去について語った。
その過去は俺にも関わることで、
知りたい結末が詰まっていて、
俺以外本来知るはずのない、
あの日見た夢の続きだった。
こんな奴でも──いや、こんな奴だからこそ、俺は立ち上がれる。一緒に戦いたいという気になれる。
二人して一緒に立ち上がったタイミングで、俺もあの日の気持ちを打ち明かそうと思った。
「リズ」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
「なんですかーもー! さっきから、ちょこちょこからかってません?」
初めて会ったあの日──。
身近な人を救って欲しいと切に願う彼女を見て俺は、純粋な善な気持ちに応えてあげたいと思った。純粋過ぎるがあまり、時々ヒトを傷付けてしまうこともあるけれど、その純粋さに今はこうして救われている。だからあの時と同じく、コイツが喜んでくれるような選択を俺は頑張ってみようと思う。
「ごめんな。さ、行こう」
「うえー……素直過ぎて気持ち悪いですー」
オノは拾った。
聖剣は引き抜いて肩に担ぐ。
リズは後ろから付いてくる。
もう振り返る必要はない。
「らしくないか?」
「ないですよ全然」
──でも、考えてみようと思う。
『自分らしさ』ってなんなんだろうか。
「らしくないかぁそっか」
空はいつの間にか晴れていた。




