第百七話 辛いとき辛いと言える仲間
「断る」
意外だった──。意思と行動が乖離してるとは限らないと言っていたものだから、俺はてっきり処分されるものかと思っていた。それがまさか、こんな形で、そんなお願いをされるとは夢にも思っていなかった。
「断る。聞こえなかったなら何度でも言ってやろうか? 断る」
受け入れられると思っていたのだろうか。断られた瞬間、普段あまり動かない表情筋がピクりと動いて見えた。
「あってはならない三度目の人生。この先に進むついでだと思ってくれて構わない、提案を受け付けないか?」
「だから断るって言ってるだろ」
「止めろと言うのは、殺してくれて構わないと言う意味でもある。今の俺には自分で死ぬこともできないからな」
「いやだってば。何度も言わせんな」
「アナタたちを傷付けたくはない。これだけ頼み込んでも、なぜ分かってくれない」
「頼めば何でもすると思うなよ……」
「キクミネコウダイ。人の為に行動が出来るアナタなら分かるはずだ。賢い選択をしてくれ」
「は? 分かるはずだぁ? 分かるわけないだろそんな……! そんな分かってたまるかよ大間違いだ! 知ったふうな口を聞くなよ! ……たかだか数日顔を合わせた程度のくせしやがって何がわかんだよ!」
「後生だ。キクミネコウダイ、俺を止めてくれ」
感情が爆発した。抑えていたのに。
ようやく出来た会話もずっと平行線。このままでは埒が明かないので、言い方を変えてみる。
「……要求を受け入れてほしいなら聞いてくれ。──勇者たちに一目会ってやってくれないか? 一言……。なにか一言、感謝を伝えるだけでいいからさ」
せめてもの譲歩のつもりでコチラから条件を提示したのだが、カクマルは話の途中で首を横に振った。
「それは出来ない。なぜなら、奴らに合わせる顔がないからだ」
「へ、なんだそれ。向こうから会いたがっていたとしてもか?」
「……。」
「どうなんだよ……? 答えてくれよカクマルッ!」
土砂降りの雨の中、彼は長い時間を掛けて言葉を探す。
「死んでまで生き恥を晒したくはない」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない! 何か残してあげたいとか思わねぇのかよ! ようやく話せたと思ったのに。お前マジ……そんなのないだろ……」
「コウタロウは仲間の死を乗り越えて立派に成長した。ゆえにこそ、俺の役目は十分に果たせたと解釈している」
「意味が分からねぇ……。それはおまえの勝手な意見だろ! 会えて動いて喋れて想いを伝えられるなら、それで十分じゃねぇのかよ!? どうしていちいち会わない理由を探す! 役目が終わったなんて言い方をする。怖いのか……? 会うのが怖いから、この瞬間も無かったことにしてくれってのか? そんなの、勝手がすぎるだろう……」
二度と会えないと思っていた人間にもう一度逢えたときの喜びを俺は知っている。本当に……、それで、どれだけ救われるかをコイツは知らない。それが許せなかった。
「俺は主役を引き立てる為の脇役でしかない。余計な演出はしない。下がる時は下がる。でなければかえって要らぬ影響を与えかねない。キクミネコウダイ、俺からすればアナタも主役の一人だ。行き詰まった時、たまにでいいから俺の墓に立ち寄ってくれ。それだけで『幸せだった』と俺は思える。だから、俺という屍を越えて、世界を旅してくれ」
ふざけるなと一蹴するのは簡単だけど、少し──、その感覚を知っていて戸惑ってしまった。
ユキに魅力されていた当時の俺は、アイツのための脇役であり続ける人生になんの躊躇いも無かった。自分の人生に彩りを与えてくれた人物を支え続けるのが俺の役目だと勝手に思い込んでいた。それが思い違いである事に気付いたのは、ついさっきのことだけど。だからこそつくづく思う。ユキに逢えて良かったと。
──ハタから見ると俺は、相当アホなことを考えていたんだな。古い鏡を見せられてるみたいで最悪だけど、よーく理解したよ。オマエも相当バカなんだな、カクマル。
「いやだ、絶対に断る。たとえ手足を引きちぎってでも仲間の元へ送ってやる……!!」
「悪役じみたセリフだな。コッテコテの」
「うるせぇ! 部外者は引っ込んで──」
ソギマチの皮肉に思わず反応して振り返ると、彼女は止まっていた。比喩的な意味ではなく、石のように固く、その肌を硬化させている。
カクマルの┠ 石化 ┨だ。視線を戻すとサングラスをかけ直す瞬間が見えた。
「やっと本気で話せるか」
「俺はずっとだよ。お前こそどうなんだカクマル」
「余計な心配をする必要はなくなったが、本質は一緒だ」
「めんどくせーな言えよ。ホントは何がしたいかをさ」
「俺のすべきことはない。アナタが俺を止めてさえくれれば」
「もう何度も聞いた! そんな事は。志し半ばで倒れておいて何も無いかとふざけるのも大概にしろよ。俺に闘い方を学ばせてくれたアンタはどこに行ったんだよ……。この状況を利用してやるくらいの、気概はみせたらどうなんだッ……!」
「アナタに俺の気持ちは理解できない。なぜなら、あの頃の俺はもう何処にもいないからだ」
「あぁ分かんないよ、先に死んで行った奴の気持ちなんて! だからって残された側の気持ちも無視するのか……? 一度でも洸たろうがお前に会いたくないと、お前を、忘れたいとでも言ったのかよっ?! 答えろよカクマルっっ!!」
平静を保とうと何度も歯を食いしばったが、もうこれ以上は耐えられない。全身の血液が沸騰しそうだった。
「直接顔を突き合わせて言えば、決意が鈍る。コウタロウも、おそらく……も」
小さくだが、確かに聞こえた。
『おそらく俺も』と。カクマルは自分自身の精神の安定の為にも会いたくないと感じている。そうか、ならきっと、そこにこそ彼の本音が眠っている──。そう確信した。
俺がユキとの再会で互いのすれ違いに気付けたように、実際に会ってみないと分からないことや、伝わっていないことは多々ある。それを絶対に分からせてやならきゃいけない!
気づいたら俺は、カクマルの頬を助走をつけて殴っていた。
「ふざけんなァッ!!!」
アキレス腱が切れてて踏ん張れなかったのか、簡単に吹き飛び倒れる。
「いつまでそうしてるつもりなんだよっ! アンタはもう、過去の人なんだ。隠してきた本心があるなら今しかないだろ!! 吐けよ全部。言えよ、ちゃんと……! 言わなきゃ誰もお前なんか、気付かないんだぞ!!」
言いながら胸が苦しい。もしかしたらユキも、カクマルと同じように苦しんでいたのかもしれない。会う前もそして、会った後も──。そんな事を考えてしまう。
会うことを強要することが必ずしも良いことなのか、自信がなくなってきた。
「俺は──」
カクマルが何かを口にしようと、切れた右のアキレス腱を庇いながら立ち上がり、近寄ってきた。己の意思と葛藤しているのか、苦しそうな表情で首を何度も横に振っている。そうしてようやく、思いの丈をこぼす。
「──俺は、冒険がしたかった……! 洸たろうと……仲間たちと、もっともっと冒険がしたかったッッ!! 頼られて街を救って感謝されて、求められることが嬉しかった! みんなで協力して難敵を討ち果たした時の達成感はヤバかった! 役目も忘れて火を囲んで、皆と談笑している時間はただただ楽しかったとも……! 時々、洸たろうは突っ走り事態を悪化させてしまうことがあった。でもそれでも、誰ひとり欠けることなく乗り越えて来れたから。これからもそうあると信じて疑わなかった……。なのに、なのに呆気なく死んだ。スケインがやられて次に俺。嵐が過ぎ去るようにあっさりと全てを奪われた……! ああお前の言うとおりもっと皆と旅を続けたかったよ!! でも俺には、その実力も運も無かったんだ……。こんな惨めな俺の姿を、あいつらには見せたくないんだ……。だから……だから分かってくれ……珖代」
溜まっていたものがサングラスの内側から溢れ出し、雨に流れて混ざる。
抑圧されてきた感情──。屍になった今でも語ろうとしなかった堰を切って放つその発言は、おそらく誰にも話したことのない本音というやつ。心の壁の一枚も存在しない本来の彼が全力でぶつかってきた。
こんな人間だとは思わなかった。でもそれは、俺の理想とするカクマル像を押し付けていただけに過ぎなかったのかもしれない。期待に応えようとしてくれる優しい性格に、全乗っかりで甘え過ぎたのかもしれない。それがカクマルから本音を言う機会を奪い、追い詰めていたとも知らずに。
「違うよカクマル。……俺に言ってどうする。それこそお前の口からちゃんと伝えるべきなんだよ。その相手が居るだろう、お前には」
たかが数日の知り合いである俺でも追い詰めていたことに気付けたのだ。きっと勇者たちは俺以上に多くのことを受け取ってくれるはず。そう思わずにはいられなかった。
「会ったら余計に辛くなるだけだ! それとも、首だけになって守られながら、お荷物として生きて行けとでもいうのか……? そんなもの地獄と変わらない。もう洸たろうたちのことはほっといてくれっっ!! 伝えたところで何も変わらない! 戻れないんだッ! あの頃のようには、もう……!」
カクマルはひとしきり反論すると、上下していた肩を落ち着かせ、いつもの冷静さを取り戻した。ソギマチの石化はまだ解けそうにない。
「アナタの言う通り、俺は過去の人だ。今を生きる者たちが立ち寄ることがあっても、進まねばならない時に足を止めされるワケには行かないと思ってる。……分かってくれ」
まともな事を言ってるようで、その実、独りよがりな感情に聞こえた。その反面、今までになく人間味を感じることは出来たが、俺の中で『勇者たちの気持ちを知りたい』と思う感情はさらに強くなる。
「いや、分かるのはアンタの方だ」
辛いことを辛いと伝えられる相手がいる状況も幸せなことだ。それを、口で言っても分からないヤツには、分からせてやる。




