第百四話 最強の守護者たち
門は常に開いている。
それなのに、
アリの子1匹通れない不思議な壁門が存在した。
──第三防壁門──
アンデッド二十万体が起こす嵐、激流、暴風雨──。それをたった一人で受け続け、侵攻を抑え続け、時間を流し続けた守護者がいた。
触れるもの全てを跳ね返すという能力を持ってこの異世界に転移した第三防壁門唯一の守護者にして最強の母親──。
蝦藤薫は既に満身創痍であった。
彼女は自分の意識に反してカウンターが発動してしまう体質であることにこれまで何度か頭を悩ませてきたが、今回ばかりはその体質に感謝せざるを得なかった。なぜなら、限界の先を超えても尚ここを守り通せる体質あったからだ。
裏を返せば、意識を失うことになっても何者をも通さぬ反撃体質になれる。本人はそう確信した。
首が重く曲がらない。
腕は肩より上に上がらない。
指先が足先が寒さで感覚を失くす。
雨で顔に髪が張り付き視界を悪くさせる。
それでも──。
それでも┠ 自動反撃 ┨は動いてくれる。
それだけで儲けものだ。
あとは娘たちの勝利を信じて待つのみ。
だが──。無理の祟った身体は無視できない悲鳴を上げていた。このまま続ければ末端に麻痺が残ることは避けられず、最悪、半身不随なんてことも有り得る。しかしここは異世界。彼女にドクターストップを掛けてくれる医者はいない。
1000体のアンデッドを捌く頃には【ストロークカウンター】も使えなくなり指はあらぬ方向へと曲がり出す。
2000千体を捌く頃には集中力が切れて┠ 見切り ┨が使えなくなり肌も服も簡単に斬り裂かれるようになった。
3000体を超えてくると貧血や目眩も容赦なく襲ってきた。
相手を内部から破壊する【カウンターショック】では屍に効果がないことは割と早い段階で分かった。
必殺の一撃【惑星反射】は隙が大きすぎて使えるタイミングが一度もない。現状を変える手段がない。
ふと、薫は手のひらを見た。
雨でも流れないほどの血がべっとりと付着している。彼女にはもはやそれが、何処から出ていて誰の血なのかさえ、考えがまとまらないほど脳内余白を擦り切らしていた。
……ビクッ!
反対の手が瞬時に敵を弾いた。
それがキッカケとばかりに薫の曖昧だった意識がはっきりと覚醒する。
「まだ……こんなにも………」
残り19万4233体を視界に捉え、自分の浅はかさや精神の限界に気付いてしまった。
「私には……もう、これ以上は……」
皮肉にも意識の覚醒が敗北を自覚させ、絶望が心の隙間に流れ込む。気絶してでも戦えると思っていた心が負に浸食されると、途端に力が抜け全身が痙攣し始める。
瞼が重い。
閉じてしまう。
音を感じない。
寒くない。
身体が揺られて前に後ろに。
傾く。倒れそうになる。
走馬灯に走る後悔が目頭を熱くさせる。
まだ、なにも伝えていない。
まだ、なにも残せていない。
まだ、なにも守れていない。
まだ、なにも──。
そんな想いとは裏腹に、身体はゆっくりと倒れて、風に全てを委ねることを選んだ。
刹那──。
閃光が奔る。
五本の雷撃が薫を狙うアンデッドの頭上に落ちる。
おかしい──。
自分の身体が地面と並行でないことに薫は気付く。
暖かさを感じる陽光が全身を支えてくれていると。それは比喩ではなく、実際に彼女を抱きかかえていた。
「良くもまァこの地獄を、ひとりで耐え抜いたもんだ。大した実力者だよアンタは」
その横顔は光に溶けていて分からない。だがそれでも味方であることは薫にも分かった。
「貴方、たちは……?」
「安心してください大方様。助けに来ました。本当によく頑張りましたね」
薫を支えていたのはユキ。
そして傍からレイが顔を覗き込む。
「あとは我々に任せて、アナタ様はしばらく休んでいてください」
「いえ、私も……戦います」
「ほぉら言ったじゃなぁぁあい。ひとりでこんなとこ守ってる奴が簡単に食い下がるワケないってーの」
アルベンクトが予想通りだと言うと、薫の足元にセバスがトコトコやって来た。
「ツーわけだから頼むわよ、セバスチャァァァン」
「バッフ」
セバスの回復魔法が緑色の優しい光を放ちながら、傷だらけだった薫の身体を癒してゆく。折れ曲がり真紫色に変色していた指先もみるみるうちに血色のいい肌色に戻り正常な形を得た。
アンデッドたちは新たな障害を前に敵と判断がつかないのか動きを止めてしまっている。
「ありがとうセバスちゃん」
薫がお礼を言うと、ユキは誰よりも前に出て、なにかを宙に浮かべて羽の付いたペンで何やらなぞり始めた。
「はぁ……。なにしてやがんだ」
ユキが聞いて欲しそうにしていることを悟ってか、ダットリーが腕を組みながら嫌々聞いてくる。
「ンなの見りゃわかんだろ。『日記』を書いてンだよ。ユイリーに向けて、お前の師匠はウソをついている。だから簡単に信用はするな。ってな」
浮いている物質の外枠が光に溶けていて分かりづらいが、それはユイリーが大切にしていた革の手帳だった。
「信用するならアルベンクトがいい。オネェはだいたい良いやつだから……っと」
そう呟いてユキは日記を書き終える。
「今は疑うのも余計な手間が掛かるから信じてやるがよォ、将来的に裏切るかもしれないんでな。悪く思うなよオッサン」
そのダットリーはアルベンクトと共に既に戦い始めていて、あまり聞いていない。ユイリーへの書き置きが決まると、手帳と羽根ペンは雫を落としその場から消えた。ユキはダットリーを全く信じていないようだ。
「そんじゃあ一発抜いて、ちゃっちゃと寝ますか」
「ホーント下品な言い回しね。本当にあの子の姉なのかしら」
「まて」
矢を構えて【インドラ】の準備に入るユキの前にレイが立ち塞がる。
「なぁんだよ、ト○ザらスのトイ」
「レイザらスのレイだ! オマエそれで、どのくらい倒すつもりなんだ」
「直線だろ、んー。だいたい四万弱かそこらだな」
「じゃあやるな! やらなくていい」
「はぁ? どうして」
「それ撃った後気ィ失っちまってたら、アンタの人格は戻って来ないんだろう?」
「おうその通りだが」
「お嬢のケモノさんが居るとはいえ、アンタと入れ替わるユイリー・シュチュエートがスグに戦えるとも限らねぇ。今はとにかく人手だ! 人手がほしい! さっきの要領で人員補給するのがオマエの役目だ。分かったな!?」
「ちょ……、圧がスゲーな」
ユキは渋々納得して弓を下ろす。神の力は少々エネルギーを消費するも、ヒトや物の移動にも使えるようだ。
「ンで、誰を連れて来ればいい? ザコをいくら集めても邪魔にしかならないから主力級のやつだけな。あ、ちなみにこの街の範囲内で勘弁だぜ」
「ギルドマスターのオウルデルタ・バスタードは呼べるか? 安否の確認も兼ねてな」
ダットリーがそう言うと、バスタード……バスタード……とユキは目を閉じて何度か呟いた。
「おっけ、いた」
「それじゃ弟のガードナーをお願い。怪我を負ってたらセバスちゃんに診てもらいましょ」
アルベンクトのガードナー発言に対しても同様に目を閉じて了承する。
「どこにいるかも分かるんですか。だったら珖代さんをお願いできますか?」
「珖代? あーアイツは無理だ。一足先に敵んとこに俺が向かわせたからな」
「そうだったんですか、居場所が分からなかったので良かったです」
薫は胸をそっと撫で下ろした。
「バウ!……バウバウ!」
「お嬢のケモノさんは大地の騎士団団長、ニゴウの事を言ってるんだろう」
レイはセバスの考えをしっかりと受け取り伝えた。
「ニゴウ……ニゴウ……。アンタは?」
最後にユキはレイに問うた。
レイは即答する。
「ナカジマシゲシゲだ」
「ジマ……ナカジマ……。おっけ、こいつらだな?」
──パチンッ!
ユキは天に向かって指を鳴らした。
すると先ほどの如く追加でもう四本、落雷が起きる。ジリジリと見定めるように近付いていたアンデッドたちがまた巻き添えを食らって消滅する。
光の柱からはそれぞれバスタード、ガードナー、ニゴウ、中島の四人が現れるが、誰ひとりとして状況を理解しておらず辺りを何度も見渡している。すると、先頭に立つユキが声高らかに宣言した。
「よーし、揃ったな。何が起こったか分からねぇ奴も、とりあえず聞いてくれ。なにも考えるな! この門を死守し続けること以外なにもなッ!」
バスタードとニゴウはその意味を、その状況を瞬時に把握して群れの遠くを見据える。多少のケガがあるが、セバスの出番はなさそうだ。
「死ぬほどつれェとは思う。しかしだ、てめェの街をてめェで守ろうとしないヤツに明日を生きる資格はねェ!! ……だから気ィ締めてかかれや」
ガードナーや中島は逃げ場のない状況で強引に背中を押され、遅れつつも理解を示した。そして、覚悟を決める。
「行くぞォォ!!」
「「「「「「「「「おう!」」」」」」」」」
横になりながら、セバスに治療される薫は思った。
おそらく、この門は守られる。
娘たちがアルデンテに敗北しない限りは。