第百二話 白い光りの
---別視点---
空よりも広く、海よりも深い神聖空間に、大理石でできた五角形の支柱が天に向かって五本伸びている。
無機質なその五本の柱に囲まれて老人が楽しそうに手を叩くと、空間中にパンと音が響き渡る。音に反応したのか、天井を照らしていた蒼い環状光が消えていく。
「いやー、しっかしアナタの言った通りの報告が来てびっくりだ。事前に知れて良かったですよ。おかげで部下にも示しがつきました」
──(それはなにより。私も信頼して頂ける要因が増えたことは好ましい)
「ほれでほれで、この総大司教に聞きたいことがあるってのはなんなんでしょか?」
老人は誰かと念話をしている。そして気前よく質問に答えると宣言した。信徒でも無い者に、総大司教から質問を求めることは異例である。
──(神の御業について、お聞かせ願いたい)
「神の御業? なぁんだそんなコトどすか賢者さん。答えですか、答えは、んー。神はなーんでも出来ます。…………それじゃあダメ? ウフフ、知的好奇心が恐怖を平気で上回るカタには敵いませんねぇ……。分かりました、久々の部下からの連絡で少し気分がいいワタシなので、今回は特別に神にまつわる質問を、ひとつだけなんでも答えましょう」
異例中の異例。老人は賢者と呼ぶその声を本気で気に入ったようだ。
柱の全長は十メートル。老人は猫背だと言うのに、その柱の五分の一に満たないくらいの大きさがあった。
念話で話し掛けるその賢者はひとまず感謝を述べてから、質問に取り掛かる。
──(魔素や魔力を一切使わずに、大地を一掃する業が神にはおありか?)
「音を聞きなさい」
──(なんの音か分からない)
賢者は『ひとつだけ』を守り疑問形では返さなかった。
「神への信仰と修行を重ねていれば、その音は誰でも拾えます。ちょうど、ワタシのようにね」
「今も聴こえると」
「もー、出血大サービスですよ。おお、おお神よ! ワタクシ目に今一度、御身のお声を拾うことをお許しください!」
老人はそう叫ぶと、両手を天に掲げ、その勢いでフードが脱げた。
鼻が顔の三分の一を占める老人だった。なにより、ヒトとしては青すぎる肌が特徴的な老人だった。
しばらく、念話は乱れた。
──(…………うん。ようやく繋がったようですね。不義理を働かれたのかと思いましたよ。それで、神はなんと?)
「ははは……かたじけない。本日八度目の交信だった故に、怒られてしまいました。またですか、と」
──(それはまた、大変ですね)
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──荒野──
リズニアは、口を半開きにしてユールに奔った光を眺めていた。
「また貴方ですか」
一言こぼすと口元を緩め、再びアルデンテ討伐に向けて歩みを進めた。
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足音が聴こえる。
ユールに迫る、大勢の足音が。
~セバスサイド~
先陣との距離、あと八メートル──。
防壁門にぶつかるアンデッドの大軍が壁の最高度地点を超え波のように広がったことで、セバスは追いかける足を止めた。
彼女は壁が壊されることを悟って諦めたのではない。防波堤のように一度は打ち返した壁の強度を信じて立ち止まったのだ。
しかし、壁はあえなく壊された。
第二、第四防壁門が同時に破壊され、屍の猛威が中心街めがけて一気になだれ込む。虚しくも蹂躙される街から多くのヒトが目を逸らす。守られる側とか守る側とか関係なく、受け入れ難い現実から皆が逃避した。
アンデッドの自己犠牲的行動に、レイは少なからず疑問を抱く。どこからかもう一度指揮官が現れ無理な特攻を仕掛けたのでは? レイはと勘ぐったが、不審な動きをする影をその魔眼で捉えることは出来ず、諦めて目を閉じた。
不可解な行動は全てアンデッドの自由意思、本能によるものだと結論付けて。
しかし、彼女は違った──。
イヌになって手に入れた第六感がそうさせたのか。おそらく、敗北以外の臭いを嗅ぎとったのは彼女だけ。
全身の毛並みを悪くするピリリとした感覚と類まれなる嗅覚が、セバスの視線を天空へと押し上げた。
見上げた暗雲の空に浮かぶ、小さな光の物体に目を凝らす。
いる──。何かそこに。
何もないはずのユール上空に、足場でもあるように立つひとつの影。──否、あれはヒカリ。ヒトの形を保とうとする光だ。
そこに在るのが当然の如く浮かぶ超存在。その光の流動体は見定めるように天下を見下ろしている。
「これ以上、余計な干渉はしないって決めたんだがなぁ……」
ため息が聞こえる。声からして女。ユイリーに似ている。
光は真下──、ユール中心街に向かって矢を射るようなポーズを取った。空を足場に大股開いて。
手足のように動く光の糸が、おもむろに弓とも矢とも境界線のつかない武器を造形し、その手に収まる。
やがて、弓矢と手の境界線がゆらゆら動き始めて周辺の雨を蒸発させるだけの熱量を瞬時に起こした。
姿見がぶれる。
まるで蜃気楼。
そうなるといよいよ、ダットリーのような冷静沈着な男にも認識出来るようになる。
「ユイリー……か……?」
──違う。
あんなものがユイリーである筈がない。
口に出した途端、違和感が口の中でパチパチと弾ける。
あれが、あんなものが、愛弟子であるのものか。あって良いはずがない。
反神論者のオレであろうとその偉大さ、その畏ろしさには、逆らえないほどの『シンイ』ってヤツを感じる。
見上げた空に光る星──。
流れることなく留まり続けるその輝きは、目一杯矢を引き絞り『シンイ』を唱えた。
星が、爆発する。
「──【荒野線光矢】」
光。光の柱。
直下する落雷より遥かに、
莫大なエネルギーの奔流が空を灼く。
雨を消し去り、
音速すらも越え、
神の拳が大地に振り落とされる。
ヒトの身では成し得ない業。
魔法では辿り着けない到達点。
人界極地突破轟【インドラ】。
大気中の魔素をも吹き飛ばし、荒れた大地に光が駆け満ちる。
【インドラ】はユール中心街に位置するギルドの目の前に着弾すると、太陽よりも眩い光を発しながら二手に裂け、第二防壁門そして第四防壁門より街になだれ込もうとする有象無象のアンデッドを、それ以上のスケールと威力とスピードで飲み込んだ。
神速。神威。
あるいは神話の類い。
感情をも埋め尽くす光の秤に人々は何を思うのか。
少しずつ、少しづつ。
光に塗り潰された昼夜の概念が戻ってくる。
街は無事だ。
しかし、大気中の魔素の濃度が急激に低下したことで多くの住民が目眩などの症状に見舞われた。
その光景を見下ろしながら、ヒトとカミの境界線が曖昧な存在は、髪をかきあげて口を開いた。
「人のいる所でやるもんじゃねェな、これは」
その正体──。
彼女こそが、ユイリー・シュチュエートの双子の片割れとしてこの世に生を受け、魔術の里で大蛇を討ち滅ぼしたことで帝釈天の加護を受けた転生者。
幼少期の喜久嶺珖代の兄貴分であり、彼を救うため命を落とした救世主。雪谷 字。──通称『ユキ』である。
ピキキ──……。
余波を受けた繊細な鏡が、何処かで割れる音がした。眠りについたはずの彼女は、一体、どうやって復活したのか。