第百一話 門番
信じたくなかった。
嘘だと思いたかった。
頭に過ぎることすら許さなかった可能性。
生き返ったという可能性。
敵という可能性。
死んだはずの漢が今、俺の目の前に立っている。
「よう。久しぶりだな、カクマル」
他人の空似なんかじゃない。
返事はないが確かに彼だった。
「悪いけど。こそ、通してもらえるか」
話しかけなくて良かった。
わざわざ聞く必要などなかった。
けど。
生前の彼をそのまま映した姿に、つい礼儀を果たさなきゃいけない気がしてしまった。
当然こちらに気づいて、──いや、元から気付いてはいたのだろう。俺の進路を阻むように立ち塞がる。
「なんだよ、またそうやって……」
声が震えてこれ以上は伝えらそうにない。
以前を思い出し、喉の奥が細く締め付けられる。
俺からすれば彼は。彼からすれば俺は。立ち位置が全く変わっていない。
『屍の卿』アルデンテが何を考えてカクマルをそのままの状態に残していたのかはスグにわかった。これには足止め以上の効果がある。間違いなく。
だが、俺の中の決心が揺らぐことはない。
死者のために足を止めていいのはコチラから逢いに行く時だけであって、ヒトは常に生きるために前に進まなきゃならない。
聞きたいことが山積みだ。でもそんな時間も状況でもない。命を懸けて戦っている皆のために、一秒でも早く終わらせなくてはならないのだ。こんな風に突っ立ってる場合じゃない。
「俺なんかより、やっぱ似合ってるよそのサングラス」
カクマルがおもむろに手を掛けたサングラス──。あれは、彼にこそ必要だと思って墓に供えていったモノだ。まさか掛けている姿が見れるとは。不幸中の幸いと言うべきなのか、素直に似合っていると思ってしまった。
何をやっているんだ俺は。
思わず顔が緩でしまう。
しかし状態は察せた。サングラスを外そうとする行為は魔眼が存在することを暗に意味しているからだ。同時に、ここを通すつもりが無いことも分かった。
相変わらず彼は、俺の前に立ちはだかる門番なのだ。
戦うのに、躊躇する理由は……ない。
一つだけ。ひとつだけ理解出来ないことが。それは、カクマルがサングラスを取るのを辞めてしまったことだ。
俺のセリフを聞いた直後からだった。返事はないが彼の魂にはしっかりと届いていて、反応してくれている──というのは、都合が良すぎる解釈だろうか。
と思った矢先、再びサングラスに手を伸ばし始める。
決心がついたのだろうか。今度こそ┠ 石化 ┨を使う気らしい。
俺には相手の目を見て動きを止める┠ 威圧 ┨がある。それをぶつけてもリズニア曰く、上位互換にあたる┠ 石化 ┨には勝てない可能性が大きい。まともに魔眼で挑むのは博打がすぎるだろう。
算段はなにも思い付かないが、ある意味これはチャンス。
今しかない。
コチラから仕掛けるには。
──ッ!
サングラス越しに映るカクマルの目が俺を見ているようで見ていなかった。だから両足を掬うように膝下にタックルを決め込む。
全く予期していなかったのかすぐさまバランスを失いカクマルは簡単に倒れた。すかさず背中に掛けていた聖剣を引き抜き振り下ろす。
「なっ……」
しかし、聖剣は分厚い前腕に阻まれた。アンデッド特攻のある聖剣が食い組むことも無く弾かれたのだ。
刃のあたった部分の服が破けると、中から錫色の手甲が光って見えた。
斬撃は対策済みか。
「ぅグッ──!!」
鼻柱に強烈な痛みが走る。
直後、俺は地面を転がっていた。
ぐわんぐわんと揺れる頭を抑えてゆっくりと立ち上がる。前歯の辺りと鼻からの出血が止まらない。どうやら顔面をモロに殴られたらしい。
殴られた拍子に落とした聖剣をカクマルはじっと見ている。これ幸いと右足のポーチにかかったオノを取り出し俺は思い切り振りかぶって投げた。このオノとポーチは俺を運んでくれたチョイチョイがなぜか持っていたもの。
「……ラァ!」
縦回転しながら顔に向かって飛ぶオノを、カクマルは反射的にしゃがんで避けた。そこまでは予想済み。
姿勢が低い位置に保たれたので接近し、両手で頭を押さえ付けながら鼻っ柱目掛けて膝蹴りを食らわす。膝が奥に入り過ぎたせいでアゴを蹴りあげてしまったが、むしろそのおかげでヨロヨロとふらついている。
すかさず畳み掛けるように首元に飛びついて、足を絡ませ絞め上げる。そのまま顳かみを二度殴るが、サングラスがズレ落ちそうになったので全力では殴れない。カクマルが引き剥がしにかかるので咄嗟に耳に噛み付いた。
「アぁウッ」
勢いよく投げ飛ばされるのと同時に、俺は、耳を噛みちぎってやった。
「……ぺッ」
血は出ない。
アンデッドだから。
足元に落ちているオノをとりあえず拾おうとしゃがんだ直後、聖剣が飛来。あまりの速さに反応が遅れた。聖剣は俺の頬を掠めたあと地面にナナメに突き刺さった。
あれは聖剣自らが出せる軌道や速度じゃない。カクマルが投げたのだ。
その事実に気付いた時には漢が目の前まで走って来ていた。デカさに似つかわしくない、速度の乗った拳が飛ぶ。
「──ゥヴックああああ」
ボーリング玉のような拳をなんとかオノで防いだ。衝撃を和らげるために後ろに転がりながら受身を取る。
これは、カクマルとの一騎討ちの後に習得した衝撃の逃がし方だ。
『接近戦が得意な相手からは、こうやって逃げながら戦ってください』ってリズに教わった賜物だが、それが功を奏した形だ。
カクマルよりも聖剣のほうが距離的に近くなったので引き抜きに向かう。
と、少し目を離した隙にカクマルが急接近。引き抜くのに手間取っていると、今度は俺に掴み掛かろうとして来たので反射的に飛び避けた。
しかし、飛び退いてからカクマルの狙いが俺じゃないことに気付いた。
奴は聖剣を手に取ったのだ。そして、
「くあッ──!」
空中で逃げ場のない俺の脇腹に切っ先が通る。
アバラ骨まで抉られて、血が吹き出す。
同時に聖剣を奪われてしまったが、なんとか距離を置くことは出来た。
脇腹を抑えていると、段々と痛みの自覚が湧いてきて悲鳴を上げたくなる。
「変だな……あの時と大して変わってないハズなのに、本気だとこうも強かったんだな。アンタ」
勇者曰く。
適性者以外に聖剣は持ち上げられないほど重く感じるらしい。
だと言うのに彼はいま、片手で引きずりながらコチラに向かってゆっくりと歩いて来ている。
──はは。脇腹が痛すぎて、なんだか笑えてくるな。
初っ端から厳しすぎるだろ。相手が相手じゃなかったら、逃げ出していた所だ。
一拍。
薙ぎ払いが飛んでくる。だが造作もない。
ただでさえスピードに乗らなければ避けやすいカクマルの攻撃が、剣を持った事で大振りの一撃ばかりとなり、避けやすくなった。
問題はカクマルの攻撃範囲が広がり、懐に入りにくくなってしまったこと。近付こうとする度に両手持ちに切り替えられ、タイミングをズラされてしまう。更に体重の動かし方や切り返しの力加減も段々とコツを掴み、対応してきている。油断は一切できない。
このままではヤバい。そう気付いた時、俺は最大のミスを犯してしまう──。
後ろに避けつつ様子を伺っていたことがアダとなり逃げ道を失ってしまったのだ。
ここは岩場の多い地帯。元から多かったのか、あるいはレイがアジトの入口を隠すために置いたのかは分からないが、岩に囲まれていることをいつからか失念していて完全に追い込まれた。
「イィッ!?」
横凪をしゃがんで避けると岩がスライスされた。
お次は縦切り。岩が縦にスパッと割れた。包丁でじゃがいもを切るみたく、それを何度もやってくる。振り回されている感はまだ否めないが、それでも聖剣のキレ味は健在だ。
「おい! こっちに連れてくるニャー!」
「やっ、なんだお前!?」
岩の隙間に小さな顔が挟まっていた。
ネコ? いや、ヒト? ネコの子? 正確には顔しかない。なぜだ。
「ネコの、人?」
「ちがーう! ソギマチは“技術”のソギマチ! 立派な先祖返りのオオカミなのでさぁ! それより早く避けなぁて!」
「避けるったってどこにも……」
「足元! そこ!」
見下げると、大きく最上段に振りかぶるカクマルの股下に、抜けられそうな隙間が出来ていた。
俺は背後の岩を蹴って勢いをつけ、股下をスルッとくぐり抜けた。
「に゛ゃ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
俺のいた場所、少女の頭目掛けて聖剣が振り下ろされようとしている。
「聖剣よ」
立ち上がり、反転し、その名を呼んだ。すっぽ抜けた聖剣が俺の手に落ち着く。漢はバランスを崩し岩に手をついた。
高さは己の目線。
切っ先は奴の背中。
踏ん張る足が腰を捻らせ、
腰の捻りが腕に伝わる。
終わる。終わらせる。
この無防備な背中に。
無慈悲な一撃を。
一撃で。
聖剣なら終わらせることが出来る。
約束を無下にして。
勝負を無碍にして。
会わなかったことにして。
全てが……。
全てが終わる。
誰も知らない。
誰も見ていない戦いが、終わる。
──それでいいのか? 本当に
気持ちが。
肩から先が。
固まったように動かなくなった。
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──。
気が付けば俺は仰向けに倒れていた。脱力感から首一つ動かせない。両手に剣やオノを持っている感触もない。空の冷たい涙に打たれて痛い。
全身を突く、痛みに打ちひしがれる。
それだけ。それだけしか分からない。
俺は、
どうしたらいい?