第九十八話 鏡が映す残酷な真実
マズいと振り返るセバス。しかし後陣中腹を攻めていた大地の騎士団ではすぐさま抜け出す手立てがなく、止めに行くことが出来ない。その間にも先陣がユールに迫る──。
「バウッ! バウ!」
「構わず行ってくれッッッ!!! 団長ォッッッッッ!!!!!」
セバス団長はその体格ゆえに視野は低く、敵陣間を抜けやすい。だが決して小さくはない大型犬であると自覚しながら、──今、この状況で追いかけることが出来るのは自分しかいないと気付いた。
ゆえに身体は動いていた。
「行ってくださいっス団長!!」
「ワタシたちの分も、早くッ!!」
モヒカンや女戦士、仲間たちの声。イヌに姿を変えられていなければ今頃、部下だったかもしれない彼らからの悲願を聞き届け、セバスは大きく前進した。
振り返らずにするすると突き進む。
セントバーナードの体躯を活かしアンデッドらの股を抜け、後陣から一息に脱出を試みる。たかが一匹のイヌに何が出来るのか、頭の片隅に自己否定がよぎる。それでも絶えず、前を見て走った。後陣もアンデッドの数が多い。体当たりで砕けるほど脆いホネ連中であっても、当たり所が悪ければ身体は悲鳴をあげる。何度全身を打ち付けようが、彼女は声一つ上げず敵の下を掻い潜る。雨で抜かるんだ足元が、冷えて固まる皮膚の感覚が、体力が──いや、そんなモノはどうでもいい。
今はただ、強引な突破を果たして見せたことを喜ぶべきだ。
先陣との距離、およそ二十メートル──。
屍兵の全力疾走はもはや芸術的で、寸分の狂いなく足並みが揃っていた。その勢いは、門の上から聖水をかける兵士たちに武器を投げるための助走とは訳が違う。確実に門へと向かい走って──否、それとも違う。なにか変だ。防壁の前まで来ても彼らから止まる気配が微塵も感じられない。それはまるで、壁の先を目指して走っているような、そんな異様な光景だった。
先陣との距離、およそ十二メートル──。
全身の毛が雨で濡れて重くなっても、彼女は足をとめない。とうに疲労は全身を蝕んでいる。それでもあと先考えることはしない。距離を縮めるために、今は全力を振り絞る。
イヌだろうとヒトだろうと、最早、関係ない。走る。躓く。走る。
ただ、目の前のユールを救う為に。
──ユール──
なんでもない、小さなお家。
ゴドドドドドド──。
燃える猪よりも猪らしく。
掲げた旗をも突き破る勢いで屍兵軍団が地面を揺らす。その音は次第に大きくなる。
スピードも質量も桁違いの大きな塊となった厄災の足音が、怒涛の雷となってユール中に響き渡る。
大雨の影響で、街には人がいない。
さらに落雷の音で、人々は家にこもった。
「ママ……」
食器が。家具が。家が。
ガタガタと音を立てて揺れている。目には見えない恐怖が徐々に近く激しくなっていくにつれ、部屋の隅で震える少女を抱きしめる母親の抱擁は強くなる。
「大丈夫よ、お父さんたちがきっと終わらせてくれる」
父の無事とユールの安全を願う事しか出来ない。
──ユール──
自宅、大きなリビングルーム。
町長は机の下に潜ろうとするも、揺れに杖がとられ転倒した。周りの者たちが急いで起こそうと近寄るも、町長は自分たちの身の安全を最優先にするようすぐさま断りを入れた。
「今は信じましょう。勇者と、串刺しの英雄の勝利を」
──ユール──
詰所。
女主人デネントは、息子たちを心配し無理に起き上がろうとする夫の患部をあえて殴って無理やりに制止した。
──ユール──
お食事処レクム。
その息子たちはというと、泣き出す妹を家の中で必死に慰め守っていた。
「エナム、テレム、安心しろ。何があってもお前たちはオレが守る」
──ユール──
珖代宅、中島の部屋。
怪我の治療を終えたウメ神官は、危篤状態ではなくなったものの、依然として意識は回復しておらず、ベッドに寝かされたままの状態になっている。皿が割れてようが本棚が倒れようが目覚める気配はさらさらない。ただ、どこか健やかな寝顔をしていた。
──ユール──
レイザらス、地下要塞。
〈レイザらス〉の諜報部員たちは震源を特定することが出来ず、祈るしかなかった。リリーも同様に、レイ専用のイスに手を添えながら無事を祈る。
──ユール──
第二、第四、両防壁門とも、目の前で起こった奇妙な集団行動に息を飲んだ。そして気づくのが遅れた。
壁ごと、征かれる。
コイツら、ぶち破る。
「今スグ──」
「「門から降り(離れ)ろォォオーー!!!」」
双方の壁門の上には疲弊から小休止をとる者たちがいる。そこに向かってニゴウ、そして、ダットリーが声の続く限り叫んだ。
間に合わない。
アンデッドたちはその衝撃に臆することなく物理的に身を費やし、先頭から順々に壁に激突。骸を粉砕。およそ理性のあるヒトでは到底なしえない所業により第二防壁門及び、第四防壁門をその壁ごと破壊した。
何のための作戦だったのか。
何のための時間稼ぎだったのか。
空いた口が塞がらない騎士。
嗚咽や悲鳴をあげる保安兵。
膝をつきうち震える冒険者。
自責の念に駆られてしまうあまり、呼吸の仕方さえ忘れるセバス。
追いつくことは出来なかったのだ。
決壊したダムの如く。
麓を埋め尽くす雪崩の如く。
奴らは止まらない。
我々は、侵入を、黙って見ているしか出来ない。
守りたかったあのヒトも。
護りたかったあの場所も。
守護りたかったあの思い出も。
全てすべて、総て。
壊されていくのを指をくわえてただじっと見ているしか出来ない。
親子は抱き合い、老人は音の先を見つめて目を閉じる。
ユールのために戦った全ての者たちに渦巻く " 敗北 " の二文字。
ユールの勝利を信じる全ての者たちに降りかかる " 諦観 " の二文字。
戦士は絶望した。
現実から目を逸らすように。
我々はよく頑張った。小さな街にしてはよく奮闘した。
だから今は──大切なものを想い、少しだけ目を閉じることを許して欲しい。
幸福な思い出に抱かれる罪を、どうか。
一つだけ気がかりなのは──。
勝利を祝えないこと。
ユールは白い炎に包まれた。
──どこかの庭園──
ティーカップを口元まで近付けて、彼はそのまま動かなくなった。
目の前のテーブルに置かれている顔全体が映るほどの小さな鏡は、先ほどまでとある地方の片田舎を映していたのだが、突如として自身の顔すら映らない真っ白な板に変わってしまった。
「申し訳ありません」
調整を諦めたメイドが頭を下げた。
「原因は不明ですが、専門家の方をお呼びして早急に対処いたします」
「いや、もういい。下げてくれたまえ。おそらく強力な魔素の乱れによる影響で……」
そこまで言いかけて彼──、賢者プロテクトは、顎に手を当て声にならない独り言を始めた。メイドは鏡を持って撤収する。
「いや、あれはなんだ……? どう説明する。一瞬、発光していたように……燃えるような白い何かが……」
──機能しなくなる直前、鏡は眩い光を放っていた。正確には鏡がと言うより、鏡に映った向こう側の世界に、何らかの眩い原因が起きていなかったか?
白い光が鏡を停止させた可能性は高いが、それとアンデッド侵入の因果関係は不透明だ。状況から鑑みるに、大量のアンデッドが起こしたものと思われるが一体……。尤も、光の正体が魔素であったかどうかさえ謎ではあるが。
「……うむ」
しばらく眉間を揉むと男はカップを専用の器にそっと戻した。
「どの道、その後の顛末には想像を事欠かない。ここは、ユールの民の奮闘を讃え、黙祷を捧げるのが正解かもしれないな」
そう言って彼はゆっくり目を瞑った。
春の陽気を思わせる、穏やかな時間が流れる。
──王都、玉座の間──
「そう他人事のように言ってくれるな。彼らの敗北から学ぶのが残された者の務めであろう。それはお主も例外ではないのだぞ、賢者よ」
悲しんでいる余裕はないと、西の王は声をかけた。その声は疲れもあって沈んでいる。
彼の目の前にある二つの鏡もまた、真っ白だった。
ユールの敗北を否定する者はもう何も映らない。




