第八十四話 2人目、荒狂三舵
「粋年 荒狂三舵です。気軽にアレクと呼んでください」
「スイネン……聞いた事のない名前ですわね。もしかして、ファーストネーム?」
「まあその粋年は苗字ですよ。そういえば逆に読む文化もコチラにはあったりなかったりするんでしたね」
「す、すすす、スイネンアレクサンダーーーッッ!!!」
かなみは別空間から小さく折りたたまれた紙を取り出すと、手が悴んでいる訳でもないのに震えながら広げ始めた。箇条書きの文字が並んだ珖代自筆のメモを商人の顔と照らし合わせながら何度も見返す。そこには文字しか書いていないのだが、少女の顔色が確信に近付いていく。
「は、はい、そうですが……。どうしたんですか急に、そんな怖い顔して」
少女にはどうしても確認したい理由があった。そのメモには、とある事情で異世界へと転移した日本人の名前が幾つも記述されている。
その中に、男が口にした文字の羅列があったからだ──。
「『荒川』の“荒”に『狂言』“狂”。『数字』の“三”に『操舵手』の“舵”で荒狂三舵……?」
「そんな、ファイナルアンサーみたいに言われても……そうですとしか」
──やっぱりだ、聞き間違いなんかじゃない。このリストに載ってるって事は、この商人さんはあの日、あの場所で、トラック事故に巻き込まれた転移者のひとりだ……ッ!
ついに確信に変わった。この男こそ、探していた二人目の行方不明者だ。ちなみに一人目は中島茂茂である。
「今の子はファイナルアンサーって言っても伝わらない……? そうでもない?」
哀しそうに呟く商人の声はもはや届かない。
ひとつだけ疑問があるとすればその男の見た目が『日本人』と言うよりもこちら側のヒト達に馴染むハッキリとした凹凸のある顔立ちという点だ。馴染みすぎて、逆に影が薄いくらい馴染んでいる。
しかしその背景が汲み取れる理由は既に┠ 叡智 ┨で確認済。何せ、普通の親が荒狂三舵なんて攻めすぎた名前は付けないからだ。
「父親はギリシャ航空のパイロット! 母親は元日本人CA! の大学院生ハーフ!!スイネンアレクサンダー???」
「で、ですから、あっし自身のことはあっしが一番……じゃなくて、なんでそんな事まで知って……──あっ! もしかして┠ 叡智 ┨で覗いたでしょう? お嬢さんのエッチ! なんつって」
「転移者アレクサンダー。あなたは一年半前のトラック事故を覚えてる?」
冗談や笑いに逃げて欲しくないかなみは、荷台の先頭に腰掛けて日本語で問い掛けた。後ろの少女たちはお互いの顔を見合って首を傾げる。
「ダメですよ〜、勝手にヒトのプライベート覗いちゃ。まあ、あっしは自分のこと語るの苦手なんでむしろ有難かったり? いや〜そんな事もないか!」
少女は、後頭部を掻きながら愛想笑いで誤魔化そうとする商人の背に詰め寄った。
「答えて! 日本語、通じてるんでしょ?」
商人が振り向く。
「すいねん……ジャパニーズ! オーケー?」
よく見れば外国人フェイス。よく見なくても外国人フェイス。だから英語を使ってみた。
商人の顔から笑顔がさっと引いてゆく。
「あー……ニホンゴ。ゴメンね、父の仕事の関係でずっとアラスカに住んでたから、日本語全然分からないんだ──」
普段の商人とは雰囲気の違う落ち着いたトーンだった。
「──でも、何を言いたいのかは何となくわかるよ。最後に居たのは日本だからね……」
何かを思い出すように、涼しげに遠くを見つめながら彼はそう言った。
「隣り、座ってもいい?」
「どうぞ」
「アレクルスサンダー、アレクルウサンダー?」
「アレクで大丈夫ですよ」
「アレクは転移する直前、トラックの爆発事故に巻き込まれなかった? そういうの女神に説明されなかった? それとも覚えてない?」
「ちゃんと答えますんで、ひとつずついきましょう。僕も聞きたい事があるんで」
「うん──」
かなみはたくさん質問した上で、あの事故の真相やその後の顛末について包み隠さず語ることにした。ただし、犠牲者が出た事に対して償うことを決めた珖代のことは敢えて強調して語らなかった。それは珖代が自ら語ることに意味があって第三者が軽く語っていい案件じゃなかったからだ。
「かなみ殿は何語を喋っていたのだ? なにやら怒っているようにも見えたが……」
後方に取り残された三人は聞き入って良いか分からず、ただただ遠巻きに眺めていた。
「あれはかなみちゃんの国の言葉です。私にも多少は聞き取れるので分かりますが、どうやらあの二人はユールに来る以前よりの同郷の……知り合い? みたいです」
「ですが、かなみさまの様子を見るに "そのことに今まで気づかなかった" ような感じが──。あっ、戻って参りましたわ」
「「かなみちゃん(殿)」」
ピタはユイリーに言葉を譲る。
「お知り合い? 長かったね」
「うん。同郷のヒトだったからつい、話が弾んじゃったんだよね。あははは」
「そっか、だから日本語だったんだね……」
かなみはほんの少しウソをまぶした。
そして、日本語が分かるユイリーはそれがウソであることに気付いていていながらも触れない優しさを見せた。──ユイリーだけじゃない。ピタやトメも違和感を感じてはいたが口に出さなかった。
ただ、そういった感情に鋭いのがチート少女の嬉しくも哀しい能力であり──。少女は咄嗟にウソを付いてしまったことを悔いるように三人から目を逸らした。
『ユイリーちゃん。かなみちゃんの友だちとして、キミにお願いしたいことがあるんだけど……イイかな?』
『ワタシに、ですか?』
かなみちゃんの困り果てた顔を見た瞬間、いつの日かこうだいさんに頼まれたあの日のことをワタシは思い出した──。
━━━━━━━━━━━
その日は雲が厚かった。
「──ワタシに、ですか?」
「うん。きっと、キミじゃなきゃダメな日が来ると思うから。お願いしたいなと」
「ワタシでお役に立てるなら全然聞きます! むしろ聞かせてください!」
いつもの任務の帰り道、荒野からユールに帰るまでの道ですら無い大陸の真ん中で、それとなくワタシを岩のくぼみに座らせると、こうだいさんは岩に寄りかかってそれを話してくれた。
「ユイリーちゃんから見て、かなみちゃんってどういう存在?」
その質問にはっきりと友だちですと返すと、こうだいさんは腕を組んで眉を八の字にした。唸りながら悩んでいたので、求めていた答えと違ったみたい。
「うーん、そうなんだろうけど。ごめん聞き方が悪かったかな。もっとこう、抱いてる印象的なものはどうかな?」
「印象……。大切な友だちでもありますし、尊敬する魔法士でもあります。ただ……」
口にするのも憚られる感情がふと湧いてきて、思わず凍ってしまう。すると、こうだいさんが優しく聞き返してくれた。
「ただ?」
「……ただ、怖いんです。オトナたちには感じない、底知れぬ“何か”を感じることが出来たり、時々難しいことを呟いたり、何を考えてるか分からないこととかもあったりして──、でもでもっ、そういう所は友だちとして自慢できる部分でもあるんですよ? 本当に怖いのは……ワタシなんかじゃ、かなみちゃんの役には立てないんじゃないかなって感じることです」
置いていかれてしまうような感覚──。
それは好きな人に思いを伝えるよりも、もしかしたら怖いことなのかもしれない。
口にすると余計に。
ワタシには魔法がある。
そばに居てくれる力もある。
それなりに勇気だって。
でも、でもそれでも──、
「──どこか遠くに行ってしまいそうで怖いんです」
「自分じゃ、釣り合わないってこと?」
頭の中がぐちゃぐちゃで上手くまとまらなかったのに、こうだいさんは一言で伝わったことを教えてくれた。
「確かに釣り合わない友だちってのは怖いなぁ。それも、自分より上の人間だと思うとますます友だちなのか不安になる」
ワタシが俯きながら頷くと、いつの間にかこうだいさんは目の前にいて、穏やかな春の風のような笑顔で、ワタシの顔を覗き込んできた。
「でもそうやって自分を卑下するんじゃなく、友だちのことを一人の人間として尊敬できるのはユイリーちゃんの素晴らしいところだね。ありがとう。かなみちゃんは最高の友だちを見つけられたんだな」
「そ、そんなことは……」
じーっと見詰められると目をどこに向ければいいか分からなくなる。普段気にもしない前髪が弄りたくてしょうがない。
──まぎれろ! 気よまぎれろ!
「そ、それで、お願いしたいコトってなんですか?」
──よし、ナイス切り返し! ワタシ!
「ユイリーちゃんの言う通り、かなみちゃんは強い。スゴく強いよ。でもね、だからそこ弱い部分もあると思うんだ」
強いから弱いなんて、難しいことを言う。でも、怖くはなかった。かなみちゃんの弱さを知ってあげたい気持ちが凄く強かったから。
「すぐには分からないかもしれない。でも、もしそれに気付いたら、こう伝えて欲しいんだ──」
━━━━━━━━━━━
今なら分かる。かなみちゃんの弱さとは何か──。
目を逸らした彼女にワタシは勇気を振り絞って声を掛けた。




