第七十五話 快適な鏡の旅をお楽しみください。
「食客がなんの用だ」
「あら、コチラも向いても下さらないの? 冷たい王様だこと」
女は悲しそうな素振りも見せず、艶っぽい唇を振るわせて言葉を重ねる。
「ワタクシのスパルタスリザードを何台かお貸ししようと思ったのに」
「お前のでは無い。ワタシがお前に貸してやってるのだ」
「ふふっ、では、聖水などいかがですの? アンデッド対策にはうってつけですし、この辺でもあまり手に入らないでしょ?」
そう言って女は扇子を開いて不敵な笑みの口元を隠し、指をパチンと鳴らした。すると、後ろをついて歩いていた巨漢の男が、木箱の中にぎっしりと詰まった聖水の小瓶を王様に見せつけた。
「この箱をあと五百、無償で提供致しますの」
一体どこまで話を聞いていたのか──。
陛下は面倒くさそうにため息をついて言った。
「いらん。さっさと帰れ」
終始目も合わさず、素っ気ない態度であしらわれた女は面食らった表情で固まった。さすがに即答されるとは夢にも思っていなかったよう。
「……ふん」
レオナルドはその女の持つ扇子に描かれた『鼻の長い生き物と太陽』をあしらった紋章を見て何者であるかを悟り、慌てて立ち上がった。
白を基調としたドレスはハッキリとしたカラダのラインを強調し、手足のようにスラッと伸びた蒼髪が切れ長の蒼い眼を強調している。そしてその眼光は、どういう訳かレオナルドを射止め続ける。背後に立つ男も白の装束を着ているが、何より目立つのは巨漢であることと顔を白い布で覆い隠していること。呼吸をしていないのか、布は全くゆれない。無機質な大木がそこに立っているようだった。
「も、申し訳ありません陛下……!」
少し遅れて入ってきたメイドたちが止めきれなかった事を王に謝罪している間に、女はレオナルドに急接近。焦りを悟られまいとするレオナルドの耳に、女の声が降りかかる。
「アナタ、お名前は?」
その色香は大抵の男を惑わせるのに充分だったのだろうが、レオナルドは違った。
「レオナルド・ブラックスリー、と申します。お初にお目にかかれて光栄です。ウメ・ハッシュプロ・ンドラフィス・ハーキサス・ドメスティック特位魔法神官様」
「あら、ワタクシの名前を知ってて下さったの? うれしいわ」
閉じた扇子がレオナルドのあごをなぞる。
「先日、勇者と同行する妹君に大変お世話になりました。ので、いつかお礼をと思っていた次第でございます」
『勇者』とそれと『妹』という単語を聞いて、ウメは露骨に不機嫌な顔を晒した。さっきまでの色気がウソのような舌打ちまで聞こえてきた。
「あーそっ、あの妹の知り合いの? だったらいいわっ、興味ありませんの」
ウメはつかつかとレオナルドの前を通り過ぎる。
悪気があって言った訳じゃないレオナルドは戸惑いながらも、ほっと肩の力を抜いた。
女は鏡を遮るように王様の眼前で足を止める。
「目的はなんだ」
「目的? まあ、悲しいですの。ワタクシはただ、困っているようでしたからお力になれればと思って駆け付けただけですのに。……あとはまあ、『監視』も兼ねて。ですがね」
ウメの立ち振る舞いから色が消えた。そこに居るのはただの神官だった。
「貴様らに見せるモノはない。用が済んだのなら帰れ。ワタシは忙しいのだ」
「いえいえいえっ、そういう訳にはまいりませんの。なぜなら、陛下の決断は世界にとって大きな意味を持ちますから……」
ウメは口を吊り上げて笑うが目は鋭く王様を睨んでいた。その顔は唯一残っていた品位すら捨ててしまっている。
「神教、王政、皇帝、民主、亜人、魔族。世界広しといえども五賜卿の猛威を退け、怒りを買い報復にあった国はわずか二十。また、返り討ちに出来た国はひとつとして存在していない。アナタの成そうするそれがどれほどの偉業で、どれほど“異端”なことなのか、お分かり頂けますよね?」
ゲスい笑顔を近付けるウメ。その瞳の奥は深海よりも深い上澄みに満ちている。
薄ら寒い笑みに対し王様は毅然として信念を貫き通す。
「家の庭を掃除するのに、どうして他を気遣うコトがある。本気の五賜卿に挑みどうなろうとお前たちには関係ないし、今更それを世界見せつけるつもりなんぞさらさらない」
「いけませんいけません真実を隠してはいけません。真実は皆平等に与えられるべき権利なのです。それをアナタが拒むと言うのなら、我々が世界に発信しなければなりません。そうっ! 真実こそ愛っ!! 人々に与えられた平等な愛なのだから!!!」
徐々に速く大きくなっていく声に王様は鼻で笑った。
「おまえがそれを言うか」
ウメは──続ける。
「『五賜卿の脅威を二度退けた国がある』それがどれだけ甘く畏ろしい言葉なのか想像してごらんなさい。神が嘆き哀しむ姿が、アナタには想像出来ないのですか?」
「賜卿に勝たれでもすると、神はお困りでもするのかな? お前たちの信じる神というのは随分と心が狭いのだな」
スッ──。
神の小ささを嗤う王様の喉元に、逆手に握った扇子が突き付けられる。レオナルドに向けていた時とは握り方から何もかも違う。
「陛下ッ……!」
レオナルドが咄嗟に叫ぶが、王様はあい変わらず鏡に手を翳したまま無視を決め込む。全くのお構い無し。──否、その態度そこが王の答えである。
「おっと、触れてはいけない真実だったか?」
「神への侮辱と受け取りますが」
「どう受け取ってもらっても構わんが、お前はいつ真実を話す? 愛する妹たちのためにいつまで神官ごっこを」
「だまりなさい……!」
少し効いたのか、ウメの笑顔が崩れた。突きつけた扇子が微かに震えている。鏡の向こうには、ピタやデネントと会話するトメの姿が映し出されている。
「……賜卿を倒しきる力があると証明された時、この国の威光が他国にいらぬ波紋を広げることになる。大国同士のバランスが乱れ、疑心の渦が巻き腐り、人類がまたひとつ遅れをとる。そうなれば、ここで勝てたとしても次に敗北するのは我々人類です……。今ならまだ間に合う。あの街を失うだけで済む。王よ、考えなおしてはいただけませんの……?」
声は異様に小さく、今までよりほんの少しだけ語尾が強かった。女の声が初めて響いたのか、陛下は同じだけ小さく「それが本音か」と告げたあと、ほんの少しだけ眉を上げて目を合わせた。
「何を言われようが決定を変えるつもりは無い。だが──」
陛下がまたしても小声で何かを伝えると、ウメは扇子を納めた。それと同時に、調子は元に戻る。
「……見えますの。見えますとも。アナタが目指す未来の先には、福音の訪れない暗黒の世界が広がっていますの。嗚呼、なんと嘆かわしいことか! 神の畏れた時代に自ら進もうとしてしまうだなんて!! なんと愚かな西の王か!!!」
「次のプロパガンダは決まったな」
哀しみや呆れでは無く、皮肉を滲ませた表情で陛下は呟いた。
「おや、響いてらっしゃらない。真実なのに」
ウメはキョトンとした顔で、本当に、不思議そうにした。
「神だの真実だの、それしか言えんのだから、可哀想だなお前たち神官は」
「それが神を崇める者の務めです」
「務めか、ふん、なるほど。ではワタシから、ささやかながら休暇をプレゼントしてやろう。行き先はそうだな……ユールでどうだ」
「はい?」
「光栄に思え、余の恩情だ」
そう言うと子供のような無邪気な笑顔でウメの首根っこを掴み、王様は鏡に向かって投げ入れた。
鏡は、触れたウメをヌルりと連れ去った。
「え?」という声を最後に残し、ウメの全身が鏡に呑みこまれたのである。
「陛下ぁぁあ!?!??」
あまりにも予想外な終わり方をした交渉に、レオナルドは眼球が抉れるほど叫んだ。
それとほぼ同時に、感情の読めない巨漢の男が王様の前に立つ──。