第七十二話 ワニニャンコフ先生
引き続き玉座でのやり取り。
「先生! 先生なのですか!?」
──(先生はやめたまえ)
「いえいえ何をおっしゃいますか!! ワニニャンコフ先生はワニニャンコフ先生ですよっ! ああなんと……! その、先生の作品はいつも楽しく拝見させて頂いてます! 『ワンワンにゃ〜るど』の新作、我々“ワニリャー”は首を長くしてお待ちしております!」
『ワンワンにゃ〜るど』とは、ファンたちの間で長年親しまれている不朽の名作シリーズで、主人公の少女が言葉の話せない獣人族だらけの世界に飛ばされてしまうお話である。次巻が最終巻になると公式発表がなされてから、かれこれ二十年以上進展のない超人気小説である。
黙って聴いていたメイドたちが、ザワザワし始めた。知っている者、知らない者、半々のようである。
陛下の許可もなく歩き回り熱い感謝を述べるレオナルド・ブラックスリーは四方八方の壁に向かって何度もお辞儀をした。彼にとって『ワンワンにゃ〜るど』はそれほどお気に入りの作品らしい。
「ふっ……『ワンワンにゃ〜るど』……」
威厳ある賢者の意外な作品に、陛下は腹を抑え、吹き出しそうになるのをガマンする。それを見て先生は咳払いをす?。
──(んんっ……! 呼び方などはこの際どうでもいいとして……そろそろ本題に入りましょう)
「その口ぶりからして、頼んでいた解析は終わったようだな」
──(説明に入る前に、鏡を重ねてもらえますか)
「鏡を縦に」
陛下の指示に合わせて横八〇センチ、縦一二〇センチの楕円形の鏡である【宵鏡】と【曙鏡】が距離を開けて直線に並べられた。
それだけでは何も変化は起きないようだが、立ち上がった陛下についてくるように言われ、レオナルドと王が鏡の間に立つと不思議なことが起こった。
「ワニニャンコフ先生っ! どこかの景色が映っています! これはどういう魔法ですか!?」
鏡と鏡の間に立ったヒトやモノは通常、実像が何重にも重なって無限に写し出される。しかし今の二人は、どちらの鏡を向いても姿が反映されておらず、その代わりにこことは違う、全く別の風景が映し出されていた。
──(これは魔法ではないよレオナルド君。安寧と恐怖を重ねることで、世界を見通す鏡になっただけさ)
「すごい……これがワニニャンコフ先生の魔法……」
──(聴こえていないのかね、せっかく名前まで呼んであげたのに……)
「触れるでないぞレオナルド。今回用意した鏡は、あくまで鑑賞用の簡易的なヤツだ。ヘタに触れでもして歪んだ時空に飛ばされでもすれば、身体がバラバラになるやもしれんからな」
いたってまじめな陛下の忠告に深く頷き、レオナルドは誤って触れないようにしながらゆっくりと近付く。
「うむ、ユールの上空まで来たな」
「この、緑の地帯はなんですか?」
──(君と王が見ているのはユールすぐそばにある大荒野。緑色に塗り潰されたように見える箇所が今回、王より調査を依頼された場所だ)
「かなり大きい。王宮がスッポリ埋まってしまいそうだ……」
驚きのあふれるレオナルドを横目に、陛下は左右の鏡に両手をかざしながら、ズームしたりスワイプしてみせたりした。
陛下の手の動きに合わせて動く映像を見てレオナルドは感嘆とした声をあげる。それを聞いて陛下も機嫌が良い。そして、より鮮明に映し出される緑の正体を見てレオナルドはさらに目を丸くした。
「なっ、そんな、信じられない……! ここにいるのはもしや、全てアンデッドですか?」
「ひとつ言いそびれていたんだがな……──実は、お前が来る一時間ほど前に、五賜卿の報復が始まったのだ」
「──!」
純粋な少年のような笑顔が一変し、レオナルドの目付きが鋭くなる。
「それで……、戦況はどうなっているですか!」
──(それを調べる為の私だ。まず、緑の地帯の正体なのだが、五賜卿ラッキーストライクの不死者である事が分かった。タイプは全て骸の剣士。数は丁度二十七万)
「一気に二十七万……」
「それだけ、ヤツらも本気というわけだな」
(加えて、彼らの動きを封じ込めている謎の植物の正体は、魔力を栄養に育つマジックツリーの種であり、その種を魔力による爆進麦芽製法で暴走させたものだと推測される)
「えっ、爆進……なんだ?」
陛下が聞き返しレオナルドに視線を送るも、レオナルドも分からないのか首を横に振った。二人の視線が上空に向いた。
──(本来はゆっくり成長するツリーなのだが、莫大な魔力を種に流し込み無理やり発芽させることで、ポップコーンのように弾け一気に成長する木だ。そのまま暴走状態に入ってしまうと魔力を持つ者に根や草を絡ませ吸収しようと──、……ついてこれているかね?)
賢者の話に二人は全くついていけてなかった。半分魂が抜けたような顔で二人はじーっと鏡を眺めるしかない。
──(……うん。とどのつまり、魔力を持つ者の動きを封じ込める植物という事だ)
「……なるほどな。アンデッドたちが身動き取れずに絡め取られているというワケか。となるとますます気になるのが、誰がやったのかという事になるが……レオナルド、検討はつくか?」
突然話を振られて、レオナルドは肩をビクッと振るわせた。
「えっ! ……いや、はい。……状況証拠だけですと、考えうる人物がひとりだけいます」
──(ほう、それは一体)
「カナミ・エビトウ。ラッキーストライクの脅威を一度退けた影の立役者のひとりです」
「あー伝書で言ってた、なんだかスゴい少女か。しかしなぜあの少女だと?」
「以前、伝書にてご送付させて頂いた彼女の発明品を覚えていらっしゃいますでしょうか」
「ああ。衝撃で体積が何倍にも膨れ上がるクッションのことだろう? はっはっは。あれなら娘たちがよく昼寝に使っているぞ。まったく。いい物を発明してくれたものだ! 子供の気持ちは子どもが一番分かるということだな。礼の文書を送った上でもう十個ばかし買い付けるのもありやもしれん!」
王様は上機嫌でかなみのクッションをそう評価し、レオナルドはさっそくメイドたちに手配するよう促した。
「そのクッションの中身ですが、確かマジックツリーが使われていたはずです」
「なに? それは本当か」
──(王よ。そのクッションとやらは今どこに? 出来れば持ってきてもらいたいのですが)
「うむ、構わぬが一体何をするつもりだ?」
──(中身を調べます)
───────────
~ポンコツ女神サイド~
多くのアンデッドが植物に絡め取られた侵緑の大地。その中を、我が物顔で突っ切る一匹の半魔がいた。背中には、今話題沸騰中のあの少女が乗っている。
「おーい、カナミーン!」
リズニアの視力は10.0を超えているのだろうか。
まだ砂利よりも小さいピヨスクの、その背中に向かって大きく元気に手を振っていた。元女神だからなのかは不明だが驚異的な視力。
ピヨスクの全長はゆうに三メートルを超えている。その姿が百分の一程度のサイズに見える距離で、彼女は表情を曇らせた。
「……カナミン?」
背中に乗る少女が、ぐったりとした様子で運ばれている風なのが見えたのだ。実際、その眼は正しかった。
先の五賜卿たちとの戦いで一時的な魔力欠乏症に陥り意識を失ってしまったかなみ。その彼女をこれ以上戦わせる訳にはいかないと判断した珖代が半魔であるピヨスクにかなみを乗せ、街に引き帰させた。
まさに帰る途中だったピヨスクを、たまたま近くを通りかかったリズニアがたまたま見つけた。
モテゾウとの接触事故が不幸中の幸いとなって。
ピヨスクは手を振るリズニアに構わず、すぐ横を素通りしようとする。
「カナミン、なんか、辛そうじゃないですか?」
目立った外傷は無いものの、煤けた服はビリビリに破けていて、少女がいつもより小さくなって横たわっている。今は深い眠りについてるようだ。
いくらガサツで意地っ張りで姑息で外道な発想しかできない元女神であっても、ヒト並みに“心配”はするようで、進行方向を塞ぐように前に出てピヨスクに声をかけた。
「こうだいのとこのランドリーチキンですよねー! 止まってくださーい! 何があったんですー!」
特に悪いことをした訳ではないが、ピヨスクはリズニアを華麗によけてスルー。
「ちょっと、止まってくださいってばー! なぁんで無視するんですかぁ! 無視はまことに遺憾ですよでーす!」
とり残された砂煙の中でリズニアは虚しい叫びを連発させた。
リズニアに気づかなかったのか、意図的に無視したのかは定かではないが、これがお遊び気分の女神にはいい薬になったようで──、
「──大丈夫ですかね……かなみちゃん」
徐々に小さくなるピヨスクの背中を、静かに見守った。
それから姿が見えなくなって直ぐに、リズニアはピヨスクが来た道を振り返る。何かを口走る訳でもなく、冷静にただ一点を見つめだす少女。
アンデッドのその先の、さらにその先にある脅威に語りかけるように──。




