第六十九話 惑星反射
~セバスサイド~
寒い地域に住むセントバーナードにとって、荒野のド真ん中にある街というのはどうにも厳しい環境にある。朝起きてセバスがまず初めにする事は、魔法を使っての水浴び。その後は昼から夕方にかけて日陰のある場所を探して転々と歩き回り、ある程度休憩したら日陰の濃い場所を探してまた移動して休むを一日中繰り返す。そうして暗くなったら家に帰る。これが、彼女なりの荒野の過ごし方。
狂犬だの元人間だの大地の騎士団に属していただの、色々ウワサ(ホント)は絶えないが、今は暑いのがただただ苦手なヒーラー犬。今日も今日とて日陰を探し街を練り歩いていると、大きな日陰スポットになりそうな高い防壁が目の前に現れた。ただ残念ながら、日光の射す時間帯に通りがかってしまったため日差しが壁一面に照り返している。ここに日陰がない事を知るとセバスはしふしぶ街中に踵を返した。
「バウ……?」
ふと、セバスは違和感を感じ振り向いた。見上げた先には普段閉まっている筈の防壁門が開いていた。それも、何故か門の下半分が斬られた状態で放置されている。暑さでボーっとしているセバスでさえ門が斬られていることは不思議に思った。とぼとぼ歩いて近付き、門の表記に目をやると『第三防壁門』と共通語で書かれていた。
「……?」
そんなことよりもセバスは、防壁の外側が大きな日陰になっている事に視線を上げて気付いた。そしてそのまま、ふらっと門を出る──。
防壁から剥がれた落ちたガレキや物見櫓に使われていた丸太の残骸の間をくぐり抜け、ようやっと日陰に腰を下ろす。目を閉じ肺の空気を一気に入れ替えている最中、周りでは突風が吹いたり叫び声が聞こえたり壁が壊れたりしている。それでも構わず休憩を取るセバスだったが、風に乗って運ばれてくる血の匂いだけは無視できなかった。
狂犬としての血が滾ったのか、或いは衛生騎士として見過ごしてはおけなかったのか──。どちらにせよセバスは、意識のない高貴な少女の前で足を止めた。
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──第三防壁門──
バラバラになった〝真心〟のソギマチは、時間をかけてその身体を再生しピタの背後を取った。
今まさにその鋭利な爪が、振り下ろされようという頃──。
「ピタちゃんっ! 後ろ!」
薫の叫び声と共に振り返るピタだったが、今さら気づいた所でどうにもならない。
終わった。
誰もがそう思い、モテゾウの笑いジワはより一層深く刻まれる。
だがそのとき、予想外な出来事が起こった。
ゴッッッッスン──ッ。
「うにゃ〜……」
バタンッ──。
〝真心〟の頭にどデカい氷塊が直撃し卒倒したのだ。
思考も身体も追いつかず茫然とするユイリー、ピタ、茂蔵に向かって、気高く品高く頭も高い少女の声が響き渡る。
「まったく、ワタクシがいないと本当にいつ死んでもおかしくないですわね。ピタ」
倒れているソギマチのずっと後ろから、重そうな巻き髪をヒモでまとめるようにして歩く少女の名は、トメ・ハッシュプロ・ハーキサス(略称)。
トメは胸部の辺りを斬られ倒れたハズだった。にも関わらず、ソギマチの奇襲に奇襲で返し戻ってきたのである。キズがすっかり完治している件について、トメの後ろからとぼとぼついてきているセバスを見ればおのずと理解できる。彼女のキズはセバスの回復魔法により癒されたのだ。ゆえに服はボロボロで魔導書は使い物にならなくとも、顔色は優れていて誰よりもコンディションは万全だった。
元気な姿をみて安心したのか、ピタはパッと満開の笑顔を咲かせてみせる。
「トメェ! ……どうして服が透けてるんだ?」
笑顔は一瞬で困惑の色に変わった。なぜなら、トメは全身ビショ濡れで真っ赤な下着が透けて見えるほどだったからだ。
武士の視線を感じたのか、意外に豊満な胸をとっさに寄せ隠しながらトメは赤面する。
「せ、説明はあとです! それより早く封印しますわよ!」
セバスに治療を施してもらった後、おっきな水の塊を叩きつけられて無理やり起こされた話はあとで話すつもりのようだ。
それよりも今は目の前の敵。
「ぬぅっ……!」
薫からカタナを引き離そうとして、モテゾウが唸り声をあげた。振りほどこうにも薫の指圧からは逃れられない。右手の親指と人差し指でカタナを抑えながら空いている左手が伸びてきて、モテゾウの胸元に再び押し当てられる。
「ま、まて……! お主を特別なアンデッドとして活かしてもらうようあの方に掛け合ってみる! ゆえにそれだけは──」
「黙らないと舌、噛みますよ?」
薫の口から、今度は前とは違う言葉が唱えられた。
「一〇〇〇〇分のいち、──惑星反射」
直後、感じたことも無い衝撃が男の身体を突き抜けた──。
あっさりと吹き飛ぶモテゾウ。
銃口から発射された弾丸がその衝撃に薬莢を散らすように、彼の身体もまた、衝撃に耐えられない一部分が弾け地面に落ちた。
【惑星反射】──。
この世界を自転するひとつの惑星だと仮定し、自転する際に発生する膨大で法外で規格外なエネルギーをいち対象者に問答無用で跳ね返すと云う薫の究極奥義。それを一〇〇〇〇分のいちの威力にカットした大技カウンターがゼロ距離で決まった。
絶対防御型の薫がたまたま見つけてしまった最強にして、今ある唯一の先手手段である。ちなみにこのワザの最初の犠牲者となったリズニアは、くらってからユールに帰還するまで一ヶ月半かかった。それほど強力なカウンター技であるし、抑えなければ自転の速度を変えてしまいかねない。
環境をも変えてしまう反射をかなり抑えて放っても、男は秒で吹き飛び彼方へと消えていった。
飛ばした瞬間、薫は残念そうに顔を歪めた。どうやら威力に不満があったらしい。左手からはプシュ〜っと煙が上がっている。
「不死者相手に力を抑えすぎたかしら」
はんせいはんせい、とばかりに薫は頬を両手で叩いて気合いを入れ直した。
その行為を黙って見ていた小さな少女ピタは、しばらく放心状態になったあと、無意識に引き攣った笑みを浮かべ始めた。ただ内心は、どこか複雑そうに喜んでいて──。
──諦めていた。
ユイリー殿の大魔法が破られた時、もう、勝算は尽きたものだとばかり思っていた。
そこに、たった一人で現れ、状況を一変させてしまったどころか、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)と打開してみせたカオリ殿……。
本当に世界は広い。かなみ殿やユイリー殿だけじゃない、上にはまだまだ上がいる。
「嬉しいはずなのに、なんなのだろうな……この、置いて行かれたような気持ちは」
「ワタクシたちとは住む世界が……いえ、住んでいた世界が違うのでしょう。コータローのように」
トメの言葉に妙に納得させられた。
「こう、ホンモノを見ると、あの時挑んだワタシらがバカらしく見えるな」
薫殿に挑んだあの日の自分が恥ずかしく思えてくるのほどの歴然とした差だった。だから、もう笑うしかなかった。
「その感覚は痛いほど分かります。でも、これからもっと強くなればいいだけの話でしてよ。これから」
トメは半分になった魔導書を手に持って見つめながら、自分も同じような心境であった事を明かししつつその先の進み方を提示した。要はピタを励ましたのである。
「む〜……にゃにゃにゃあ……」
話し合う二人の目の前で〝真心〟が後頭部を抑えながら徐ろに立ち上がった。
「あら、ごきげんよう。頭がキンキンするほどの氷塊のお味はいかがでして?」
「あ、あなたはっ! ……なぜ生きてるんですか。斬られたはずなのに」
まだ足元がおぼつかない〝真心〟の元にピタがニンマリと微笑みながら近づいて行く。
「薫殿ーっ、何枚におろしたら飛ばしやすい?」
「できるだけ細かくで、お願いします」
薫が指定するとトメが何も言わず詠唱を始め、ピタは黙って武器を取り出した。
〝真心〟の前でキラリと光る短刀──『紺血』が掲げられる。
「あ、あの」
「カーボンエンチャント」
紺血の強度が上がった。
「も、もしかしてソギマチ……」
「エッジエンチャント」
紺血の鋭さが上がった。
「……斬られるぅ感じですか?」
「エリアエンチャント」
紺血の攻撃範囲が広がった。
「──絶、命、乱、舞ッ!」
ピタの必殺技によって、ソギマチの少女はサイコロステーキになった。




