第六十七話 ネギガナイト
「葱一閃」
その言葉を待っていたとばかりに闘気を纏いだした刀身が一気に白み始める。鴨葱は振ってもいないのに、空気を何層にも重ねて突き破るようなジェットエンジン音と眩い白色光を延々と放っている。
曇り空をも斬り開いてしまいそうなほど眩く神々しいそのカタナは、葱という鞘を捨て、特大に夜間を照らしてみせる(今は夜ではない)。
葱一閃は剣としての斬れ味や刺突力を向上させる力を持っているが、その真価は夜、つまり太陽のない環境下にこそ発揮される。
その昔──。夜の海から来るとされた古代種の悪魔たち。その悪魔を屠ったという逸話も残る暗夜特攻の剣技、それが葱一閃の原点。
島国や沿岸部の地域では【白夜剣】と崇められ、夜闇を照らす三種の神技として 【曙鏡】や【明星勾玉】と同じように語られきた伝説級の秘奥義。
そんな奥義をなぜ老いた武士が使えるのか、ピタは激しく動揺した。彼女の生まれた場所ではその伝説は浸透していたからだ。さらにピタにはその技に見覚えがあった。
──バカな……ありえん。あれは、どう見ても白夜剣。コータローの師匠がコータローへの伝授を諦めるのほどの大技だぞ? それを、なぜあんな男が……。あいつは一体、何者なんだ……?
メスを誘き寄せるホタルのヒカリとは訳が違う。自然にはない白さ際立つ発色と心臓に響く轟音は近付くもの全てに警告を飛ばし続ける。
バゴォォンッ──!!!!
跳ね返る斬撃に壁が崩れた。
警告には気付いているだろう。それでもなお止まることのない薫に対して、容赦なく次の一手が飛び出す。
「鴨水切」
刹那の折りに放り込まれる連続下段斬り。素早い攻撃に紛れた跳ねるように飛ぶ斬撃により、刀身が伸びているような錯覚に陥る。振る度に最適化される剣筋はやがて、剣の道を極めた者ですら嫉妬してしまうほどの無音の域に達する。ゆっくりと前に進みながら迫る剣技は全身を使っているにも関わらず、頭が一切ブレない。その動きはさながら、湖畔を泳ぐ優雅な鴨が水中ではしきりに足をバタつかせている光景を彷彿とさせる。
軽さと丈夫さを兼ね備えた愛刀〘鴨葱〙だからそこ出来る、ワシュウ・モテゾウ渾身の低空連撃斬。
居合い切りなど前座でしかなかったのだ。
前に前に進む剣と、前に前に進むカウンターとが真っ向からぶつかり合う。
常人には目視すら叶わない連撃とそれを受け流す技の応酬は距離を詰めるごとに激しさを増す。
弾かれた瞬間に極端に光が弱まるため、二人はコマ送りで戦っているようにも見えた。
一度は無音になった空間から風が吹き荒れ、雲の流れが早くなる。
薫の服がキレた。
モテゾウの髪がキレた。
両者互いに譲らず、その距離がどんどん詰められていく。
接触限界距離、残り三歩。
薫は常に意識する──。
トメを抱えていた時も。
ピタに近づいた時も。
残り二歩。
歩いている今でさえも。
これだけは忘れない。
決して味方に当たらないように計算しながら受け流すことを──。
残り一歩。
風が止み、
カタナが止まり、
薫の掌底がモテゾウの鳩尾に触れた。
その瞬間、モテゾウは秘奥義を放つ。
「流星葱の──」
さらにもう一歩。
限界のその先へ、薫は前へ出る。
剣の間合いのそのまた内側に入って、ゆっくりとそれを唱えながら。
「カウンターショック」
その瞬間、モテゾウの全身に衝撃が駆け巡った。
「グッッ、っ……!」
目を充血させ、天を見上げること二秒。男は膝から崩れ落ちる。喉元を通り過ぎる熱くてドロっとしたものが、食いしばる歯の隙間から漏れ出し、元栓を閉めるように男は自らの首を締めあげた。
カウンターショック──。
内側で反響し増幅する衝撃波は、その身体を内部からズタズタに引き裂く。秘奥義分の威力が薫の手を伝い、男の内臓系に直接返されたのだ。
「ゥッ……ガハッ!」
通常なら即死できる痛みなのだが、不死者にそれは叶わず胸や喉を掻き毟る。その代わりに再生能力が備わっているのでそのうち立ち上がることも可能なのだが、鉄と敗北の味が男の戦意を喪失させた。
「……なんたる、……なんたる、なんたる落ち目か……。主のそれは……どこの、流派の秘奥義か……」
自分が敗北したことよりも、その強さの仕組み、理由、根源がどうしても知りたかった。
「お帰りください」
「教えてはくれぬのか……」
「教えるも何も、ただ跳ね返してるだけですから」
嘘をついていないのは声の抑揚とその表情を見れば分かる。出会った頃に感じたあのオーラはやはり、勘違いなどではなかった。あの化け物少女と同じ顔なのだから、強くて当然だ。
「よもや、剣士以外の者に負ける日が来るとはな。あの方に申し訳が立たない」
「本当なら、貴方たちの魂を解放してあげるのが一番いいのだけど、ゴメンなさい」
女は憐れみを込めた目でそう言った。どこで勘違いしたのか分からないが、それだけは許さない。
「否だ、それは否だぞ女よ。剣豪という夢を追い続け寿命を迎えた哀れな男が、死後もこの手に剣を取り、研鑽を重ね、白鳥までとはいかずとも優雅に舞い続けてこれたのは、全てラッキーストライク様のおかげなのだ。これまでも、そしてこれからも、某は烏鳥私情で戦い続ける。故に、烏滸がましい願いではあるが、その辺の篭鳥とは一緒にしないでもらいたい」
「自ら望んで、服従したと?」
「順序がどうだったかは定かではないが……そうさな、生きていた頃よりも充実しているとも。なんなら主も来てみるか? 一方的に命を奪える立場というのは、聞きしに勝る極上の“快楽”だぞ?」
目をカッと見開き、口の両端を吊り上げるように男が笑うと、胸元に再び掌底が押し当てられた。無駄に怒らせてしまったようだが、敗北者にはおあつらえ向きの最後と言えるだろう。
「待ってくれ薫殿! その男に、ひとつだけ質問させてくれ!」
遠くから青い顔をした童女が駆けてきて呼び止めた。情けなど無用。今さらなにようか。
「貴様のあれは、神技【白夜の剣】ではないのか?」
「フン……何かと思えばそんな事か。神技などと烏滸がましい、あれは単なる我流よ。空想を信じたい年頃なのも分かるが、おとぎ話の御業とは分けて考えてもらいたいものだ」
「違うっ! あれはおとぎ話の技などでは無い! ワタシは以前にもあの神技を目撃している!」
目は口ほどに物を言う。だからこそ目撃が真実を告げていると分かった。
「はて、それは一体どこの──」
「四代目が使っていたと言えば、貴様にも誰の事だか分かるんじゃないか?」
某の言葉を遮り童女は続ける。その口調は過度な自信に満ち溢れている。脆く青いぞ童女よ。
「モテゾウモテゾウと何度も聞いていて、ずっと引っかかっていたがようやく思い出したぞ。貴様の名前は鷲羽茂蔵! 三代目聖剣使い──鳳凰院鷲羽!」
童女の言葉を不思議に思った女が胸元から手を離し、同じ言葉をくり返した。
「鳳凰院……わしゅう?」
懐かしい響きだ。だが今の某とは無関係なり。




