第五十九話 出し抜かれた五賜卿③
少年の思いに応えるようにパーラメントはギュッと心臓を握りしめる。
「二度の失敗は許されません……。何があっても回避しなければならないのですっ」
言葉に熱の入る青い女とは対象的に、妖狐の少年は徐々にトーンを落ち着かさせていく。必死の説得が効いたのかと思えばそうでもなく、相手のペースに呑まれないための冷静さを取り戻していく。
「常に責任を持って行動するのが大人であり、ボクたち五賜卿の共通認識だ。だからこそボクは自分の不始末をこの手で片付けなきゃならない。もちろん、芯の目的もちゃんと果たす。ただ今は、あの小さな街をひとりで落とすための時間がほしい。そうすればボクの中で何かが進む気がするんだ……」
アルデンテは自分の手のひらに視線を落とす。そこに何かが握られている訳ではない。だが、アルデンテには確かに見えていた。やるべきことを。自分が掴み取る未来の形を──。
「父さんが汚した最強の名は、ボクがこの世界と共に浄化すル」
浄化という決意。それが真に何を意味するのか聞かずとも、パーラメントには何となく分かった。
「ブランシール様を超えるおつもりですか?」
睨み返すパーラメントにアルデンテは思わず吹き出した。それは余りにも的外れだった。
「ハハッ…… 笑わせないでくれヨ。ラッキーストライクの本来の継承者は母様だったんだろ? 父さんはソノおこぼれを貰ったに過ぎない、ただの弱者さ。そもそもネクロマンサーの一族じゃないしね」
「それは……」
パーラメントは驚いたように目を逸らし、それ以上は口にしなかった。──否、『出来なかった』が正しい。長い金髪が俯く度に右に左に揺れ、逡巡する本心が見え隠れする。
その沈黙はアルデンテには暗に認めていることと同義に映った。そして意外だったのが、トオルにとってもそれが大きな疑問に映ったことだった。
──妙だ。不死身伝説発祥の一族でありネクロマンサー界最強の位置づけにあると知られるグレイプ家。その中でも本家本元の父から子に受け継がれるという当主の称号──、それが『ラッキーストライク』のはず。歴代当主に女性はひとりも存在していないと聞き及んでいたが、どういうことだ?
彼は現在の“補欠”という立場にナリ上がる為に、ピンからキリまでの情報を地道にコツコツ集めてきた。五賜卿たちの内情など当然の如く把握しここまで登り詰めてきた彼でも、ここに来て全くの初耳情報。かなみの追跡よりも意識がそちらに持っていかれる。
補欠は随分と楽しそうに頬を持ち上げながら静観する。
アルデンテはパーラメントの反応に確信を得たのか、声に抑揚を乗せる。
「母様は誰よりもヤサしいヒトだっタ。ボクには語ってくれなかったけど、他を圧倒する強さはあったし女性初のラッキーストライクがどれだけスゴいことかは分かるハズダ。それがどうして気に入らない連中は、あらゆる手を使って母様を排除しようと企てテ、その名前を自分タチのモノにしようと画策していタ。それでもスグに倒されなかったのは母様の強さによる所が大きいからそれについてはわざわざ語るまでもナイ。──だが、そんな母様を卑怯にも死させたヤツがいる。それが父さんだ。歴代最強とまで言われた母様にイラナイ試練を与えて死なせ、その名も名誉もすべて横取りしタんだ」
部外者である筈のトオルが少年の過去を聞いてあることを思い出す。
──そうか、グレイプは元々彼の母方の姓。そこに婿養子で入ったのが彼の父親であり、のちの『ラッキーストライク』であるか。
先の時代から恐怖の象徴として名を馳せたことは知っていたが、まさか女当主の時代があったとは知らなんだ。……卑怯なやり方で当主になった父親に対し“汚名の父”と怒っているのか、もしくはただの母親想いか──。
「ラッキー先輩、ガキの言い訳みたいに聞こえるけど?」
トオルは自分の入り込める話でないと分かっていても何かを引き出そうとして少年を軽く煽った。お前には関係ないと鋭く睨んだアルデンテだったが、今度は一転して歯を見せて笑い不気味に応える。
「んー? 別に母様を殺しタから憎んでる訳ジャナイヨ? あの家ジャ毎日誰かが死んでタ。ダカラ誰に殺サれてもオカシクなかッタ。ボクが許せないのハ、実力もないヤツがグレイプ家の当主になッテ『ラッキーストライク』を名乗ッテイたこと、タダソレダケ」
歪んだ感情は深淵よりも深く暗い過去をのぞかせる。
さすが、狂っているとトオルは思った。
本人は気付いていないようだが今まで以上に感情が壊れて呂律が回っていない。落ち着かないのか首を何度もひねっている。
「だかラボクは父さンが上ダナンテ思、ワナイ。超えルも何も既に下ダシそんなヤツの仕切ルイエにはイラレナイ」
「へーそっちなんだ」
母親想いではなかった。
──どちらにせよ、ラッキーストライクに一度ついたイメージの払拭はそう簡単じゃないぞ。それこそ、これまで以上の恐怖で支配でもしない限りは……。
トオルが煽ったその横で、パーラメントはゆっくりとアルデンテの目を見た。そして彼女なりの決心が着いたのか、感情を全て置き去りにした冷酷な目を向け語りかける。
「これは絶対に語らぬようにと止められていましたが……だいぶ勘違いなされているようなので、真実をお伝えいたしましょう」
「真実? どこ二ドんナ」
深淵はパーラメントを見つめ歯ぎしりをしている。
「お母様の死因は誰に殺された訳でもなく、遺伝性の病による病死です」
「…………ハ? イヤイヤイヤいや、それはないヨ。周リノ連中ダッテ戦死シタッテ言ってたシ、父さんダッてボクにソウ──」
「ワタクシの言葉はお父様より信用なりませんか?」
そう遮られると黙るしかない。
それに構わず彼女は言葉を重ねる。
「グレイプ家は妖狐族との縁を結び、不死性を活かし、これまで多くのネクロマンサーを輩出してきました。中でも当主を意味し一族最強の証でもある〝ラッキーストライク〟という魔称は、様々な時代の節目節目で崇められ、人間界では恐怖の象徴として──」
「前置きはいィ。結論をちょウだいヨ」
時間を置いて少し冷静になったアルデンテが逆に前置きを遮る。パーラメントは簡潔に話すことを意識しながら丁寧さを忘れない。
「その当時……お母様がラッキーストライクになることは確実視されていましたが、病に伏せってしまったために正式な継承は先送りとなってしまいました」
「だから父さんガ継承シタとデモ言いたいノ?」
「お父様がご継承なされたのは、お母様が亡くなられた後のことです。それまでは自分が継承することをずっと拒んでおられましたので」
「……ア、あア、あの父さんガ……?」
アルデンテは父親から直に母親の死を聞かされていた。しかし、その内容は今聞かされたモノと余りにかけ離れていて──。少年は記憶との齟齬に混乱をきたした。
「ダトしたら……ドウして、母様ガヒトに殺されタナんてウソを……ボクに……」
「それは、アルデンテ様にヒトと戦う覚悟を付けてもらいたかったというのと、……ご遺体を使役して欲しくなかったからです」
たった二つの理由で少年の頭はいっぱいになった。父は常に間違っているという固定観念が邪魔をして、狂気な一面が顔ににじむ。
「……アハハ、ハアハハアハ!! そっかァー。ボクが母様に肉付ケシテ、操ルノガ父サン気に食わなかったンダ?」
「違いますっ! ブランシール様はただ、それだけは見たくなかったのです!」
「ン? ダカラソレ、同じコトだヨネェ?」
彼女の思い出の中にいるブランシールという男は腹のうちを誰にでも明かすような男では無かった。だからこそ彼女は彼女なりに、召使いとしてブランシールという男の行動と心理を理解しようと努めてきた。その結果たどり着いた答えが、『母親を操る息子を見たくなかった』であろうという思いだった。だが、その曖昧な一言は歪んだ意味で捉えられてしまった。
狂気に染まった目で肩を震わすアルデンテにパーラメントは諦めず全力で対応する。真実を何度もぶつけること──。それしか今の彼女には出来ない。
「ブランシール様──お父様は不器用な方ではありましたが、確かな愛情を持って家族に尽くす立派な御仁でした。ゆえに“母と子”の関係が、“奴隷と従者”にすり替わるのを決して良しとしなかったのだと思います」
「シロップ、キミの感想だロソレ」
「確かにそうかもしれませんが、私がお邸に仕えている間、お父様は一度だってご家族の悪口は口にいたしませんでした。それだけは事実です!」
「ソレハ……ボクタチに無関心だったカラ……」
「無関心なヒトが召使いをここまで置きますか?」
「……は?」
受け止められず身震いするアルデンテは逐一説明しないと進めない。それを理解してか男が口を挟んだ。
「ウィッシュ・シロップが五賜卿パーラメントの座に登り詰めたのは、その実力以上にグレイプ家の後ろ盾が大きく貢献していたから。──だって話をどこかで聞いた事があるんだよねぇ。つまりはそういうことでしょ、パーラ先輩?」
どこか芯の通った声でそれを伝えると、すぐにいつものフランクなトオルに戻った。
「ええ。ワタクシが五賜卿としてアルデンテ様と肩を並べられるようになったのは、お父様のお力添えあっての事です。既に邸の者ではありませんが、アルデンテ様に尽くすことが私の最大の喜びであることに変わりはありません」
「アハハ……アハハハハハハハ。世間ハ狭イト思ッテタケド、良くヨクヨクヨク考エテミレバソノ通りリダよネ! 父サンのコトモ母様ノコトもヨくシラナカッタのはボクの方だったンだネ! ……ソンナ真実なら、ボクハイラナイ全部イラナイ消えてイラナイなくしてバイバイダアハハハハハハ」
今までの自分を否定し、それを認めるには許容できないほどの領域に踏み込んでしまった。感情も表情も何が正しいのかさえ、あべこべになりだして、アルデンテは頭を抑えながら笑っている。ゲラゲラと楽しそうに泣いている。
パーラメントが目線を下ろし、何か言い淀んでいることにトオルは目ざとくも気付いた。
「パーラ先輩。伝えてない真実とかまだあったりする?」
「はい……いえ、いいえ! これ以上の真実なんてないです! 戯れ言はやめなさいっ!」
無意識にイエスと答えてしまい必死に有耶無耶にしようとするが、隠そうとするばするほど気になってくるものだ。アルデンテは問いかける。
「勿体ブルナヨ。……この際だカラ、真実を教エてくれナイカ? 聞クダケデ疲レルけド、何も知ラズニノうのウト生キルのハモっと疲レルんだ」
「先輩の口から言えないようだったら、僕が変わりに言ってあげようか」
つまらない追い討ちにパーラメントは観念したように真実を語りだした。言わない方が……聞かない方が幸せだと思ってしまう程の衝撃の真実を。
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「ウソだ……そんなはずナイ」
「それが真実です」
少年は受け止められない真実に膝から崩れ落ちた。夢も希望も何もかも失ったような目は深淵に落ちずに済んだが、代わりに多くのモノを見失った。その無機質な目で地面の石ころを眺める。完全に蚊帳の外であるトオルでさえも、その真実には目を見開くほど驚愕したことは間違いなかった。
「そっか、だからボクは何をやっても……。何をしてても何を見ても何を選んでも満たされないのカ」
「そんな状態でも心がどん底を感じているのなら、満たしてくれる者には必ず出会えます。あるいは、もう既に出会っていませんか?」
「……ああ、そうだ確かに。たしかにそうかもネ」
少年は何かを思い出し、何事も無かったようにスっと立ち上がると両手を大きく広げ深呼吸する。
「この戦いの中にボクを満たしてくれそうなのが一人いる。ボクは何よりもそれを優先したくなった。だからウィッシュ・シロップ──他のことはキミに任せてもいいかい?」
「承知しました」
同じ五賜卿としてではなく“主”とその“従者”という関係でもって、ここに新たな協力関係が結ばれた。その意図を汲み取った上で女は頭を下げてそれを了承した。
「もうすぐ、第一陣がユールに到着する頃合いです。ここからは気を抜かずに次の──」
ゴゴォォォォ──……。
突如、洞窟が今までにない縦揺れを起こした。何かに掴まっていないとふらついてしまう程の激しい揺れ。揺れはほんの一分ほどで収まった。
「アルデンテ様、今のは……?」
「……。」
返事がない。だが口は微かに動いている。
少年は大きな目で地上の穴を見上げている。空虚な瞳の色をしている。
「アルデンテ様?」
「消えた……」
パーラメントが不安そうに聞き返すとアルデンテはそう答えた。少し間があって少年は続けざまに言う。
「……第一陣が、消滅した」
「あ、アルデンテ様、幾ら何でもご冗談が過ぎます。防壁奪取に成功している以上、ヤツらが勘づいて迎撃してくる可能性があったとしても、奇襲を防ぐ手立てを準備する暇はありません」
「バレたって言うより、着く前に一斉に消された。誰のシワザか分からないケド」
死霊軍の召喚者であるアルデンテは軍の進行状況が見えずとも概ねを把握する能力があった。軍がどのくらいまで進んでいて、どういう状態にあるのかまで把握するその力の甲斐あって、忽然と姿を消した事実に瞬時に気付けた。
しかし──。
それがたった一人による犯行であり、ましてやインドラ神の力を借りた能力である事までは想像も及ばなかった。
「第一陣のアンデッド軍は総勢一万の大軍隊ですよ? それが一斉に消されるはずが……。何かの間違いでなければ一体、誰に消されたと言うのですか……」
「アハハハハハ。ひょっとしたらボクたち、何かトンデモないモノを見落としてるのかもネ」
「笑ってる場合ですかっ!」
アルデンテはいつものように声高らかに笑った。だが苦しい汗をかいていた。普段は絶対にかくことのない汗を。故にパーラメントは次を見据えて行動する。
「……アルデンテ様、第二陣三十万をその場に一旦待機させ、先頭五万を切り離し即時先行させてください」
「Bプランだネ。イイよ了解した」
その時だった。
「大地を粛清する者──そう呼ばれる男がいるよ」
聞きなれない単語に、二人が示し合わせたように自然と振り向いた。そこに居たのは補欠のトオルだった。
「その人物は暗殺者だとかS級冒険者であるだとか色々言われてるけど、実際分かっているのは男であるってことと、この地域にしか出没しないってことだけ」
「ワタクシの情報網を舐めないで。グラゼロはユールに住む聖職者であることまで把握済みです」
「へーやるね先輩」
「そいつは強いノ?」
「情報通りなら間違いなく魔族の脅威です」
「眠れる獅子を起こしちゃった……かは分からないけど、一万のアンデッドが消されたってことは事実でしょ? だったら考えておかないと。ユールに潜む化け物たちについて、一旦話し合わない?」
トオルの忠告に二人は気合いを入れ直し、お互いが思う脅威だと思う人物についての情報を出し合い、擦り合わせた。そして、脅威と思われる敵が出揃った。
「勇者が街を出た今、我々の目標を阻む可能性のある脅威は六つ──。
聖職者大地を粛清する者。
S級ダットリー。
暗殺者E。
漆黒の超大型ドラゴン。
召喚者の少女。
そしてレベル無限の戦乙女──。
この中の誰かひとりにでも遭遇した場合、全力でこれを処理するものとする。で、よろしいですね?」
「ま、遭遇したらね」
「(ヴァリュキュ)リアはボクが倒す」
「ウホウホ!」
各々がやる気を見せたところで、作戦会議は終了した。
パーラメントは至急出口を探すためにアップルにガレキの撤去を命令する。これだけ大きな洞窟の入り口がひとつしかないはずがない──。そう考え作業を進めている内に、トオルの姿はどこにも見えなくなってしまった。しかしそれを気に止める者はおらず、それ以降、黒幕と呼ばれた男がこの戦いに参加することは無かった。




