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第二章:硝煙とプーシキン

その時、取調室の分厚い木製のドアが激しくノックされた。

私の思考プロトコルを遮るようにして、別の部下たちが、大きな木箱を抱えて一斉に入室してきた。

「軍曹殿! アジトの家宅捜索を終えました。これらが現場から出てきた押収品です!」

部下たちが机の上に淡々と並べた物品を、私はその鋭い目で瞬時に分類し、記録した。

男性用の背広、二着。

ソ連軍の軍服と制帽、一着。

シュパーギン一九四一型七・六二ミリ短機関銃、一丁。巨大なドラム弾倉を装着したその禍々しい姿から、我々が通称「マンドリン」と呼ぶソ連軍の自動火器だ。

それに伴う弾薬と、イタリア製のベレッタ拳銃が一丁。

肉厚な大型のナイフ。

正体不明の薬品が満たされた、いくつかのガラス瓶。

そして――もっとも厳重に扱われるべき、重要資料が入っていると思われる、古びた革のかばん。

白熱電球の光の下に晒されたそれらの品々を、私はじっと見つめた。私の頭脳は、このバラバラの遺留品たちを繋ぐ「一つの不条理な計算式」をすでに弾き出し始めていた。


私は近くにいた部下に冷徹に命じた。

「この薬品を調べる。衛生兵を呼んでこい」

「はっ!」と短く敬礼を返し、部下たちが慌ただしく部屋を出ていく。バタン、と分厚い木製のドアが閉まり、室内に再び重い静寂が戻ってきた。

伍長たちも外で待機させ、取調室の白熱電球の下、残されたのは私と、椅子に縛られた金髪の女の二人だけになった。

静まり返った部屋で、私は机の上の押収品を睨みつけながら、ただ一人、低く呟いた。

「……ハラショー」

私の口から漏れた、完璧な発音のロシア語。それが室内の空気を微かに震わせた瞬間だった。

「――クスッ」

縛られた女が、短く喉を鳴らして笑った。毅然とした無表情を崩し、そのグレーの瞳に明らかな愉悦と驚きの色を浮かべながら、私という「奇妙な憲兵軍曹」の顔を、楽しげにじっと見つめていた。


先ほどまでの完璧に統制されていた私の思考回路に、明確なバグが生じた。

岡田虎三憲兵軍曹としてのプライドと、自分の完璧な論理の隙を突かれた動揺が混ざり合い、私の顔は一気に真っ赤に染まった。私は椅子に縛られた女に向かって、声を荒らげて怒鳴りつけた。

「本官を馬鹿にする気か! 女スパイめ!」

尋問のプロトコルを忘れ、声を荒らげるなど憲兵としてあるまじき失態だ。しかし、激昂する私を正面から見据えながら、金髪ショートカットの女は、グレーの瞳を微かに細めて平然と言い放った。

「あなたのロシア語、アクセントが少し変よ」

彼女の日本語は辿々しかった。発音も発声も不自然だったが、論理的な意味としては、十分にこの私、岡田に通じた。私の語学力の不完全さを、彼女は見抜いていたのだ。

女はさらに、椅子に縛り付けられたままの体をわずかに揺らし、唇の端にあの妖艶な笑みを浮かべて続けた。

「早く縄を、解いてちょうだい」

「……不穏分子を解放する訳にはいかない」

私は声を絞り出すようにして拒絶した。規律と手順を何よりも重んじるこの私が、ソ連の密偵を、しかも七三一部隊を狙う危険人物をみすみす放免するなどあり得ない。

だが、女はグレーの瞳に困惑と、ほんの少しの狡猾さを滲ませながら、決定的な一言を口にした。

「私はレディーよ。おしっこに、行きたいの」

「――!」

そのあまりにも直截的で生々しい生理現象の要求に、私の思考システムは完全に停止した。

羞恥心が爆発し、私の顔は耳の裏まで真っ赤に赤面した。額や頬から、大粒の汗が滝のようにしたたり落ちた。

私はたまらず外の部下を呼び、憲兵伍長と憲兵上等兵の二人に、彼女を便所へ連れていくよう命じた。

しばらくして、伍長と上等兵が彼女を便所から連れて帰り、再び取調室の椅子へと座らせ、縄をかけ直した。部下たちが退室し、再び部屋が二人きりになった瞬間、女は不満を爆発させるようにヅケヅケと言い放った。

「日本軍のトイレってなんなの? 臭いし、一体どうやって用を足したらいいのよ。手を洗う所もないわ」

文化の違いと劣悪な衛生環境への容赦のない酷評。そのあまりに堂々とした態度に、私は憲兵としての動向予測を完全に乱され、動揺を隠せなかった。私は奥歯を噛み締め、必死に感情を押し殺した。冷静になれ、冷静になるんだ。私は心の中で自分に強くプロトコルを命じ、冷徹な仮面を取り戻そうと努めた。

しかし、次の瞬間。女は私の目をじっと見据えたまま、冷酷な一撃を言い放った。

「あなたの図嚢(ずのう)から、プーシキンの詩集が見えるわ。――こんなことバレたら、大問題ね」

「――ッ!」

心臓が跳ね上がった。私は自分の肩から下げた革製の図嚢に目を落とした。その隙間から、私が密かに大切にしていた、ロシアの文豪プーシキンの古い詩集の背表紙が、確かにほんの僅かだけ覗いていた。

ハルビン憲兵隊の軍曹が、敵国ソ連の思想的象徴とも言える文学書を隠し持っている。これが司令部や上官に知れれば、即座に思想犯として拘束され、銃殺処分になってもおかしくない致命的な機密だった。

私の完璧な防壁は一瞬で崩壊した。パニックが脳内を駆け巡り、私の頭から、再び滝のような汗がとめどなく滴り落ちた。

私が言葉を失い、恐怖と羞恥の汗に塗れているのを見つめながら、女はさらに唇の端の笑みを深くした。そのグレーの瞳には、私を破滅させる脅迫の光だけでなく、奇妙に温かい、深い知性が宿っていた。

彼女は、辿々しいながらも流れるような美しい低音の日本語で、まるで歌を口ずさむように囁いた。

「『私はあなたを愛していた。愛はまだ、おそらく、私の魂の中で完全には消え去っていない……』。――プーシキンの『私はあなたを愛していた』。美しい詩よね、岡田軍曹。こんな時代に、こんな場所で、その詩を隠し持っている憲兵に会うなんて思わなかったわ」

私の内面、誰にも触れさせなかった孤独な領域を、彼女の言葉が正確に愛撫した。私は目を見開いた。彼女はただの脅迫者としてではなく、この詩の意味を深く理解する者として、私に語りかけていた。

「取引をしましょう、軍曹」

女は妖艶に微笑み、椅子に縛られたまま、私を絡め取るように見つめた。

「私はあなたの秘密を守る。あなたの美しい魂を、あの野蛮な上官たちに引き渡したりしない。その代わり……あなたは私の秘密を守って。私をここから生きて出し、あの男たちのような『マルタ』にはさせないと、約束してちょうだい。お互いの秘密の、美しい共有よ」

プーシキンの詩を媒介にした、あまりにも完璧で、逃げ場のない心理的な抱き込み。私は彼女の発言に、正直面食らっていた。しかし、私は必死に防衛線を張るために声を絞り出した。

「……私にはそのような権限はない。それに、君から情報を早く聞き出せと、上から催促されているんだ」

それは私の精一杯の抵抗だった。だが、女は私のそんな発言などどこ吹く風で、悪びれもせず次の要求を口にした。

「ここは寒いわ。ペチカのある場所で話さない? ――お腹も空いた。ウォッカとキャビア、バターたっぷりのパンと、温かいスープが食べたいわ」

ハルビンの春の地下室の冷え込みを訴え、さらにはこの物資不足の戦時下で、ウォッカにキャビア、バターにスープという最高級のロシア料理を平然と要求してきたのだ。

私は怒りを通り越して、ただただ唖然とした。目の前の女スパイが、一体どこまで本気で、どこまで私を翻弄しようとしているのか、私の論理的な思考回路は完全に処理の限界を迎えていた。


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