35 流れたいそうです
バンハの話は別として、フラティナから聞いた話でどことなく浮かれた気分になっていたミアーナだったが、突然、馬車が停まったことに驚いて我に返った。
「どうかしたの?」
「申し訳ございません、ミアーナ様。騎士に止まるように命令されたのです」
御者と話がしやすいように作られた小窓を開けて尋ねると、御者が頭を下げて答えた。御者の向こうに、護衛としては連れていっていなかったミュークド公爵家の騎士が立っていることに気づき、今度はキャビンの窓を開ける。
「何かあったの?」
「申し訳ございません、ミアーナ様。現在、ロコッド様が公爵邸のガゼボにいらっしゃるのです」
「ガゼボに? どうして門の中に入れたのかしら」
「始めはミアーナ様と話がしたいとおっしゃっていたのですが、いらっしゃらないとわかると、ある人物がマーベリック様の命を狙っているから話がしたいと言われたため、マーベリック様と当主様が話を聞くことにされたのです」
「ある人物ねぇ」
ミアーナの呟きに、騎士は苦笑して続ける。
「当主様とマーベリック様は、ミアーナ様とロコッド様を会わせるのは良くないと考えておられます。ですので、どこかで時間を潰しておいてほしいとのことなのですが」
「気を遣ってくださっているのね。でも大丈夫よ。私はラゲク様の側近の一人だし、マーベリック様にもお世話になりっぱなしだから、甘えてばかりではいかないわ」
ミアーナの話し声が聞こえていたのか、御者が彼女に話しかける。
「では、ミュークド公爵邸に向かいます」
「ええ。よろしくね」
ミアーナが頷くと、御者はゆっくりと馬車を動かし始めた。門の中に入って、ミアーナが中庭のガゼボに向かうと、一番にロコッドがミアーナの姿を見つけた。
「ミアーナ! 本当にすまなかった! やり直そう! 今になってやっと君が浮気をしてはいけないと言っていた意味がわかったんだ!」
立ち上がって叫んだロコッドのへらへらした笑みは不快感しか湧いてこない。しかし、ミアーナは怒りを隠してにこりと笑ったあと、ラゲクとマーベリックに話しかける。
「お二人とも、ロコッド様から聞きたい話は聞き出せたのでしょうか?」
「……ああ」
「とりあえずは」
二人が頷くと、ミアーナはロコッドに視線を移した。
「ロコッド様」
「ミアーナ、頼むよ。君に見捨てられたら、僕はもう終わりなんだ。君は優しいということで有名じゃないか。今回くらい許してくれたっていいだろう?」
希望に満ちた表情のロコッドに、ミアーナは柔らかな口調で話しかける。
「ロコッド様、申し訳ございませんが、私は優しくなんかありませんわ」
「そんなことないよ。今助けてくれたら君が優しいってことを証明できる。だから、お願いだ。助けてください」
(別に証明なんてしてもらわなくてもいいわ)
焦りのせいか、ロコッドの言っていることは意味不明だった。ふぅと息を吐き、ミアーナは改めて話しかける。
「ロコッド様、追い出されただけでは罰が足りないということですわね?」
「え?」
「わざわざ私に嫌がらせをして、痛い目に遭いたいと! 承知いたしました!」
一瞬にして笑顔から虫けらでも見るような目つきに変わったミアーナは、唖然としているロコッドに告げる。
「あなたのお望み通りにいたしましょう」
時と場合にもよるが、ミアーナはしつこい男が大嫌いだった。二度と自分に近づきたいと思えないようにするために、ミアーナは近くにいた兵士にあることを頼んだのだった。
******
ミアーナはラゲクから、ロコッドを好きにしてもいいという許可を得たあと、ロコッドを連れて近くの川の桟橋にやって来た。河というほど大きなものではないが、泳ぎが得意であっても、対岸に渡ることは難しいくらいの川幅だ。水が透き通っているため浅く見えるが、水深は浅いところでも一メートル以上あるとのことだった。
桟橋近くに小屋があり、そこには船頭が夜明けから日没手前の時間まで待機しており、客が来れば対岸に渡す船を出している。ミアーナは木の船の上で暇そうにしている船頭に笑顔で話しかけた。
「船頭さん、申し訳ございませんが、彼が禊のために川に流れたいそうです」
「か、川に流れたい、ですか?」
二人いる船頭の一人が驚いて聞き返した。
「はい」
「そ、そんなこと言ってない!」
ロコッドが訴えると、ミアーナは不思議そうにする。
「あら。先日、水に流せとおっしゃっていましたわよね? ロコッド様の目の前に流れているのは水ですわよ?」
「僕を水に流せと言ったんじゃない! 僕がしてしまったことを水に流せと言ったんだよ!」
半泣きになっているロコッドを見た兵士たちは、気の毒だと思う反面、笑いを堪えるのに必死で、皆、明後日の方向を見ている。
「ロコッド様、前回は温情で追い出すだけで済ませたのです。そのことが理解してもらえないのであれば、こちらも実力行使させていただかなければなりません」
「うっ、うっ。た、助けて」
ロコッドは見ず知らずの船頭に助けを求めたが、さらりと無視される。
「あ、あの、お嬢様、ま、まさか、生身で流すわけではないですよね?」
「もちろんよ。水に流せと言われただけで、殺してくれとは言われていませんから」
中年の船頭に、ミアーナは笑顔で答えた。
目の前に流れる川の水質は綺麗だが、かなり急な流れだ。さすがに本人を流すだけでは溺れてしまう可能性がある。
「悪いけれど、海までご案内してくれる?」
お金を積めば対岸だけでなく、海まで運ぶことは可能だが、今までそんなことを頼んでくる人間はいなかった。恐怖を覚えた船頭だったが、ミアーナから袋に入った金貨を見せられた瞬間、そんな気持ちはどこかへ吹き飛んだ。
ミアーナから大金を受け取った船頭は、キラキラと目を輝かせて尋ねる。
「流したあとはどうしますか?」
「そうね。可哀想だと思ったら、拘束時間が長く肉体労働の仕事を紹介してあげてほしいです。もし、可哀想だと思わなかったら、そのまま放置してください」
「ちょ、ちょっとお待ちください。この川が流れつく先は海ですよ! それでも放置して大丈夫なんですか⁉」
「どこかで引っかかることはありませんか?」
「それはあるかもしれませんが、順調に流れたら海になります」
「……さすがにそれは怒られるかしら。海の生き物も驚くし、きっと迷惑よね。では、こうしましょう」
ミアーナは少し考えたあと、ぱちんと両手を打って船頭に提案した。船頭はミアーナを呆れた顔で見つめたが、貴族に逆らってもいいことはない。よっぽどの事情があるのだろうと勝手に納得し、提案を受け入れることにした。




