第163話:捕食する機獣、空の支配権 ― 6R・大宮忠志の狩り ―
2030年8月1日。兵庫県尼崎市、尼崎競艇場。
「大宮橋右衛門杯」予選第6レースのピットアウトが宣言された瞬間、神戸の空気が変質した。
本来なら夏の太陽が照りつける爽やかな静水面。しかし、観客たちが目にしたのは、水面から立ち昇る薄紫色の腐食毒の霧と、鼓膜の奥を針で刺すような、不快な高周波のうねりだった。
「……来るぞ」
速水誠は、39号機のカウルを固く握りしめていた。
1号艇には、誠の同期であり、プロデビュー時からの無二の相棒として並び立つ「マブイ0(ゼロ)」の男、瓜生俊樹。
そして、4号艇には本大会の「主」であり、からくり虫技術の正統後継者、大宮忠志。
ピットを離れた瞬間から、大宮忠志の機体からは、まるで生き物のように蠢く黒いオーラが溢れ出していた。それは大宮家が数百年にわたり秘匿してきた、虫とマブイの禁忌の融合体である。
「最終的な進入は123/456の枠なり! だが、4号艇・大宮忠志の機体から、正体不明の飛翔体が無数に放出されています!!」
実況が絶叫する中、スリットラインを通過した直後、忠志の4号艇の側面パネルが開き、黒い雲のような群れが飛び出した。
『奥義:寄生蜂・群れ(スウォーム)』!!
「フゴッ!? フゴォォッ!!」
誠の膝の上で、シロが空を見上げて激しく吠えた。シロの視界には、一匹一匹が精密な「からくり」で制御された、全長わずか数センチの鋼鉄の蜂が、誠の機体を目がけて殺到する光景が映っていた。
「……っ、何っすか、これ!?」
誠の39号機が加速しようとした刹那、数十匹の「寄生蜂」が排気口、関節部、さらにはマブイ石の装甲に吸い付いた。蜂たちの腹部から展開された超振動ドリルが、誠の機体の堅牢な装甲を容易く貫通する。
「なっ……加速が鈍るっす! マブイが……体の中から直接、外に漏れ出してるっす!!」
誠は戦慄した。この蜂たちは、ただ機体を傷つけるのではない。誠とシロが練り上げた「黄金のマブイ」を直接吸引し、外部へ放出、あるいは忠志の機体へと転送する「エネルギーの吸血鬼」だったのだ。機体のメーターが急激に下がり、黄金の輝きが煤けた色に変色していく。
「……させん。誠、俺の背後につけ! 風と虫は俺が引き受ける!」
1号艇の瓜生俊樹が、自身の機体から「マブイ0」の特性を活かした無色の衝撃波を放った。感情も属性も持たない純粋な物理衝撃が、誠に取り付こうとする第二波、第三波の寄生蜂を粉砕し、神戸の水面へと叩き落としていく。
しかし、忠志はその光景を、複眼のようなゴーグルの奥で冷ややかに見つめていた。
「瓜生さん。あなたは相変わらずお優しい。だが、その仲間意識という脆弱なマブイこそが、絶好の隙となるのですよ。……『騒蝉』、発動」
キィィィィィィィィィィィン!!!!!
突如、競艇場全体を揺らすほどの殺人的な高周波が鳴り響いた。
それは、数千匹のセミが同時に鳴く声をからくり技術で増幅した、精神汚染兵器。
誠と瓜生のインカムには、鼓膜を突き破らんばかりの激しいノイズが走り、ピットにいる野田あかりからの指示は完全に遮断された。
さらに、誠の脳内にある「異常振動症」の残滓が、この音響攻撃に最悪の反応を示す。
「……ぐ、あああぁっ!! 耳鳴りが……平衡感覚が……!!」
誠の視界が左右に激しく揺れ、真っ直ぐ走ることさえ困難になる。機体は制御を失い、あわや転覆という角度まで傾いた。
「誠!! シャキッとするっす!!」
ピットでモニターを掴み、あおいが悲鳴を上げる。
だが、誠はただ震えているだけではなかった。
「耳鳴りなんて……あおいさんの、三時間コースの説教に比べれば……羽音みたいなもんっすよ!!」
誠は意識が遠のく中、逆に「吸い取られている」という接続状態を逆手に取った。
彼はシロとマブイを直結させ、吸い取られるスピードを上回る超高出力の黄金マブイを、自ら「蜂」の針へと叩き込んだのだ。
「吸いたいなら、全部持っていけっす!! 黄金の過負荷っす!!」
誠から放たれた、密度10,000%を超える純金のマブイが、蜂の回路を逆流する。
「な、何を……!? 自滅する気か!?」
忠志が驚愕した次の瞬間、誠の機体に群がっていた寄生蜂が、許容量を超えた黄金の輝きに耐えきれず、花火のように次々と爆発四散した。
拘束から解き放たれた39号機は、失ったエネルギーを取り戻すように、黄金の火花を散らしながらチルト3.5で空へと跳ね上がった!
「速水誠、空へ飛んだ!! 蜂を爆破し、絶望的な状況から『スカイ・ハイ』を強行!!」
しかし、忠志の口角が吊り上がる。
「逃がしませんよ。大宮の領域からは、鳥一羽、羽ばたくことは許されない。……『盾甲虫』、展開!」
忠志の機体から、今度は巨大な円盤状の物体が数枚、空中へと射出された。それは、複数のからくり虫が物理的に連結し、ダイヤモンド並の硬度を持つ「生体装甲」を形成したものだ。
誠の目の前に、瞬時にして巨大な「黒い壁」が形成される。
空中に作られた、逃げ場のない要塞。
誠の「スカイ・ハイ」の直撃軌道上に、絶対防壁が立ちはだかった。
「……どけぇぇぇ!!」
「無駄です。その輝き、我らが『標本』の一部としていただきましょう!」
ドォォォォォン!!
誠の黄金の機体と、忠志の黒い盾甲虫が空中で激突。
黄金の粒子と、黒い甲殻の破片が備前の空に舞い散る。
誠の機体は衝撃で大きくバランスを崩し、錐揉み状態で水面へと叩きつけられそうになる!
からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新
> 【空中の要塞】大宮忠志、盾甲虫で誠のスカイ・ハイを完全ブロック! 史上初、黄金のマブイが物理的に『捕食』され、壁に阻まれる! 誠、水面激突まであと3秒! 累計PVは驚愕の6億を突破!!
>
【第6R:1マーク中間状況】
| 選手 | 状態 | 戦況 |
| 大宮 忠志 | 完全支配 | 盾甲虫で誠を弾き飛ばし、余裕のトップ旋回。 |
| 瓜生 俊樹 | 奮闘中 | 誠を庇うために受けたダメージで、機体が一部損壊。 |
| 速水 誠 | 操縦不能 | 空中で壁に激突し、姿勢を喪失。水面へ真っ逆さま。 |
「誠くん!!」
ピットであおいが叫ぶ。その冷気のマブイが、誠を助けようと無意識に漏れ出す。
しかし、水面に激突しようとする誠の瞳の中では、シロが静かに、だが力強く笑っていた。
「フゴッ(……誠、まだ『翅』はある)」
黄金の龍は、叩き落とされてなお、その牙を隠していた。
大宮橋右衛門杯、波乱の予選。誠は、この「生きた壁」をどう超えるのか。




