静寂の死地、虫属性の包囲網
兵庫県尼崎市に位置する尼崎競艇場は、全国の競艇ファンから「センタープール」の愛称で親しまれている。その最大の特徴は、何といっても「静水面」であることだ。周囲をスタンドや防音壁に囲まれているため風の影響を受けにくく、水面の波立ちも少ない。このため、選手たちは極限までプロペラを煮詰め、コンマ単位の精密な旋回を競い合うことができる。
しかし、からくり競艇の世界において、この「静」は必ずしも「安全」を意味しない。静止した水面は、からくり技術を用いた糸や微細な振動を伝播させるのに最適な媒体となる。特に、今回誠たちが挑む『大宮橋右衛門杯』では、この静水面が巨大な蜘蛛の巣へと変貌するのだ。
2030年7月10日。山口県、下関。
備前での『万衆衆魂祭』三連覇、 Alexander そして守屋あおいとの約束を果たし、束の間の休息を得た速水誠を待っていたのは、地元・山口支部のピットに漂う重厚な、それでいてどこか刺すような緊張感であった。
俺の愛機、39号機のエンジン音を調整する乾いた金属音がピットに響く中、奥から一人の男が歩み寄る。山口支部の重鎮であり、俺の師匠である黒田瑛人だ。その手には、一枚の古びた、しかし強烈なマブイを放つ斡旋用紙が握られていた。
「誠。三連覇、 おめでとうそして二冠達成……見事だった。だが、お前が辿る持たざる者の道に、安息の二文字はない」
黒田が差し出した用紙には、墨痕鮮やかにこう記されていた。
『大宮橋右衛門杯』。
「次はこれだ。8月1日、兵庫・尼崎競艇場。表向きは静水面のスピード勝負だが……この大会には、からくり競艇の闇と根源が深く関わっている」
黒田の目が、獲物を狙う鷹のように鋭く光る。
「大宮橋右衛門……。かつて、テントウムシや蜂といった昆虫の生体構造とからくり技術を融合させ、現代の『からくり虫』の礎を築いた伝説の技師だ。この大会は、その血筋と技術を継承する虫属性の猛者たちが、全国から集う聖域なのだよ」
「フゴォ……ッ!」
足元の相棒・パグのスーが低く唸り声を上げた。スーの野生の直感、 Alexander そしてマブイを嗅ぎ分ける能力が、まだ見ぬ尼崎の水面に漂う異質な粘り気を察知したのだ。
「スー、どうした? まだ尼崎にも行っていないのに……」
「誠、スーの言う通りだ。お前の黄金マブイは、個としての出力では最強に近い。だが、虫属性の戦い方は、お前がこれまで戦ってきた力や速さとは根本的に異なる」
黒田はピットの壁に映し出された尼崎のコース図を指差した。
「彼らの真髄は群体と毒だ。尼崎の静水面は、彼らにとって巨大なセンサーとなる。極細のからくり糸を水面下に張り巡らせ、お前のプロペラの回転を感知し、無数のからくり虫を放つ。一度その巣に捕まれば、どんな出力も無力化され、神経を焼く金属耳鳴りのジャミングによって操縦不能に陥るだろう」
特に警戒すべきは、かつて蔵野家が使役していた『オオミノガ』の技術をさらに凶悪に進化させた、大宮家直系の末裔たちだという。
「三冠。やってやります、師匠! 虫に刺されるくらい、江戸川の突風や備前の闇に比べれば、大したことありません!」
俺は不敵に笑ってみせたが、その拳はかすかに震えていた。それは恐怖ではなく、未知の強敵に対する武者震いだった。
「師匠! 話は聞かせてもらったっす!!」
そこへ、背中に「爆速ギャル」と刺繍されたつなぎを着た野田あかりが、最新型のタブレットを乱暴に叩きながら乱入してきた。
「尼崎は静水面だから、余計な浮力はいらないっす。むしろ、虫の糸を物理的に断ち切る『高周波カッター・プロペラ』と、羽音のジャミングを無効化する『対電子装甲』が必要っす! マジ、ギャル的に寝てる暇ないっすよ!!」
あかりの瞳には、メカニックとしての闘志が燃え盛っている。39号機を虫除け仕様にするための、地獄の徹夜作業が始まろうとしていた。
一方、ピットの陰でそのやり取りを聞いていた守屋あおいは、自分の白いヘルメットを静かに撫でていた。
「虫属性……。群体で襲ってくるなら、まとめて凍らせるまでよ。私の氷で、全部冬眠させてあげるから、誠くんは前だけ見て走ればいいわ」
彼女の声は静かだったが、その周囲の温度が数度下がったのを俺は見逃さなかった。二人の絆は、備前でのあの日以来、より強固な、戦友としての熱を帯びていた。
【からくり競艇公式YouTube『カササギ』Template更新】
> 【新章突入】速水誠、三冠を懸け兵庫・尼崎へ! 伝説の「からくり虫」の末裔たちが、黄金の王者を待ち受ける運命の大宮橋右衛門杯、世界中のタイムラインが完全凝視!!
【大宮橋右衛門杯(尼崎)・展望データ】
| 項目 | 内容 | 危険度 |
| 舞台 | 尼崎競艇場(静水面) | ★★★☆☆ |
| 特殊環境 | 水面下の「からくり糸」 | ★★★★★ |
| 敵属性 | 虫属性(群体・毒・音響攻撃) | ★★★★★ |
| 誠の課題 | 精神的ジャミングへの耐性 | ★★★★☆ |
「黒田師匠……行ってきます!」
トラックに積み込まれた39号機を背景に、俺は深く頭を下げた。
「ああ。誠、一つだけ覚えておけ。虫は一匹では弱いが、群れとなった時、それは一つの意思を持つ。奴らの羽音に心を奪われるな。自分の中の黄金の音だけを聞け」
「はい!!」
山口の潮風を背に受け、俺たちは一路、兵庫県・尼崎へと向かう。そこには、大宮橋右衛門の遺産を受け継ぎ、黄金の龍を標本にしようと企む、不気味な複眼の戦士たちが待ち受けていた。
数日後。俺たちは夕闇に包まれた尼崎競艇場のピットへと到着していた。
カクテル光線が灯る前の水面を覗き込めば、そこには黒田師匠の言葉通り、半透明のゼリー状に蠢く不気味な蜘蛛の巣の糸が、無数に張り巡らされていた。鼻を突く、微かな毒素の匂い。
「三冠……、必ず獲る。俺と、スーと、みんなの力でな」
俺は新調された39号機のハンドルを強く握り締め、不敵な笑みを浮かべてその静寂の死地を睨みつけた。明日、すべての罠を俺たちのスピードでぶち抜く、黄金の戴冠への真の戦いが、ここから爆音と共に幕を開けるんだ。




