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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第7章:江戸川死闘編

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第144話:空中の夢、黄金の逃げ切り ― 速水誠、江戸川特異点を超えて ―

2030年4月22日、17時。

江戸川競艇場、第12レース予選最終日。そのバックストレッチにおいて、物理学の法則は音を立てて崩壊していた。

観客席から上がる絶叫は、もはや歓声ではなかった。それは未知の事象を目撃した人間が発する、畏怖に近い悲鳴である。夕闇が迫る中、中川の水面は、速水誠の39号機が放つ黄金の光によって昼間のような輝きを取り戻していた。

「チルト3.5」という、江戸川の猛烈な上げ潮の中では自殺行為に等しいセッティング。しかし、誠の39号機は、もはやその限界さえも置き去りにしていた。機首は天を仰ぎ、プロペラは水面ではなく「空間そのもの」を掻き毟っている。

それは、チルト4……あるいは、それ以上の「未知の角度」。

観測史上、誰も到達したことのない**『チルト∞(無限)』**の領域であった。


「うあぁぁぁ……!! 水面が、泥が、見えない……!!」

誠の意識は、激しい加速Gによって肉体から剥離しかけていた。コクピットに座っているはずの感覚は消え、自身の四肢が、あるいは骨格が、39号機のカーボンフレームと一体化していく。

異常振動症の痙攣が、機体のバイオ・サスペンションと共振し、彼に「自身の艇が水面に浮いているのではなく、完全に空間の一部として溶け込んでいる」という錯覚を抱かせる。

視界は黄金色のノイズで埋め尽くされ、上下左右の感覚が消失した。このまま空の彼方へ、大気圏さえ突き抜けて消えてしまうのではないかという恐怖が誠を襲う。

(……誠! ぼさっとすんじゃねぇ! 意識を現実に繋ぎ止めろ!!)

その時、脳内に直接、荒々しくも温かい咆哮が響いた。

シロだ。

誠の背中に刻まれた古代の黄金紋様が、かつてないほど激しく明滅し、機体から漏れ出すマブイを黄金の翼へと成形していく。

(……誠! 前を見ろ! 俺の紋様が、お前の進むべき空間を『黄金の軌跡』に変えてるぜ! その道は、江戸川の泥よりも堅牢で、光よりも速い!!)

シロの咆哮が、誠の魂をコクピットへと叩き戻した。

空間を味方につけた誠の機体は、河合準が放つ「氷結波」が空気を凍らせる速度さえも凌駕し、江戸川という概念そのものを「追い抜いて」いった。


2番手で追走する「遠江の神」河合準は、操縦桿を握りしめたまま呆然と前方の光を見つめていた。

彼の放つ「氷結波」は、通常、あらゆる動体を分子レベルで停止させる。しかし、誠の機体の周囲では、空間そのものが黄金のマブイによって「高密度の防壁」と化しており、河合の冷気は誠に届く前に、自らの冷たさで結晶化し、水面へと剥落していった。

「準さん、あれはもう……競艇じゃないわ! あれは……昇天よ!!」

妻の細田あおいが通信機越しに叫ぶ。

誠の機体から放たれる黄金の衝撃波は、ついに江戸川の上げ潮さえも物理的に「真上に押し上げた」。重力に逆らうように屹立した巨大な水の柱が、コース上に黄金の塔を形成する。

誠は、その黄金の柱の頂点を極点とし、そこから滑り降りるように、第2マークを「完全な滞空状態」で回り切った。1マークから2マークまで、一度もプロペラが水を叩くことはなかった。


「速水誠、未知の領域から帰還!! 最終ターン、空中先マイで完全制覇!! 2番手以下を圧倒する5挺身、いや10挺身近い差!! これが『チルト∞』、伝説の誕生だぁぁぁ!!」

からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新

> 【伝説誕生】速水誠、江戸川を『チルト∞』で制す! 3億PVの怪物レーサー、マブイ開花賞の真の王者へ!! 全世界が目撃した、黄金の翼!!

>

PVは、この歴史的瞬間を捉えた瞬間にサーバーが一時ダウンするほどのアクセスを記録し、ついに3億という途方もない数字を叩き出した。

誠は最終ターンマークを大外から「滑空」して抜け、重力に引き寄せられるようにゴールラインへと吸い込まれていった。

【第12R:リザルト】

| 順位 | レーサー | 状態・マブイ残量 | 備考 |

| 1着 | 速水 誠 | 黄金臨界点、マブイ5% | 歴史に残る空中逃げ切り。シロと完全に一体化。 |

| 2着 | 河合 準 | 驚愕の冷却、マブイ20% | 「負けたよ。今夜は冷やし中華ではなく、お祝いだ」 |

| 3着 | 進藤 司 | 無音の敗北 | 「……無の境地さえも、あいつの黄金には敵わんか」 |

| 4着 | 細田 あおい | 悔し涙の追走 | 「山口のペア、恐ろしいわね……」 |

| 5着 | 下山 勤 演算不能バグ | 「データが……データが『空を飛ぶな』って叫んでる!」 |


ピットに帰還した誠は、機体がタラップに接舷しても、動くことができなかった。

コクピットから降りる力もなく、ただ激しく肩で息をしながら、シートに深く沈み込んでいる。シロが実体化し、力尽きた誠を後ろから包み込むように抱きしめていた。

「……やりきった。シロ、僕たち……勝ったんだな……」

(……ああ。完璧だ。お前は今日、江戸川の空そのものになったんだぜ。……よくやった、相棒)

そこへ、誰よりも早く守屋あおいが駆け寄ってきた。彼女はタラップを飛び越える勢いで誠のもとへ駆け寄り、泥だらけの彼を力一杯抱きしめた。

「誠……バカ! 本当にバカ! あんな角度、一歩間違えたら死んじゃうわよ!! 遠江の神様に喧嘩売るなんて、どれだけ心配させたか分かってるの!?」

あおいの目からは、大粒の涙が溢れていた。

これまで彼女を突き動かしてきた「嫉妬」のマブイ。それは、誠が放った黄金の熱気によって、温かく、純粋な「慈愛」の涙へと昇華されていた。

「……でも、最高に格好よかったわ。私の、山口の……本当の王者ね」


2030年4月22日、18時。

予選全てのプログラムが終了した。

山口支部は、誠の「チルト∞」による衝撃の勝利を筆頭に、瓜生俊樹の「静寂」、塩田まなみの「精密」、そして原田ももの「下剋上」と、全日本が戦慄するほどの圧倒的な成績を収めた。

ピットでは、山口支部の面々が凱歌を上げている。

しかし、その祝祭の影で、愛知の「空中死神」水谷佳恵だけは、静かに自分の機体を睨みつけていた。

「黄金の翼……。いいわ、速水誠。あなたの熱で、私の風がどこまで高く舞い上がれるか、明日、本当の空で教えてあげる」

江戸川・SGマブイ開花賞。

ついに舞台は整った。

黄金、氷、風、静寂、そして泥。

全ての想いが交錯する「優勝戦」のゲートが開く。


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