第137話:江戸川・大混戦の2R! ― 女王の差し、泣き虫の咆哮、そして「ポンコツ」の襲撃 ―
2030年4月22日、午前9時00分。
山口支部の「虚無の主」瓜生俊樹が、一滴のマブイも使わずに江戸川の潮流を制した芸術的な『サイレントターン』から、わずか30分後。
江戸川競艇場のピットは、静寂の余韻を吹き飛ばすような、凄まじい熱気と金属音に支配されていた。第2レース、予選。そこに組まれた番組表は、実況席が「準優勝戦の間違いではないか」と唸るほどの、重量級の激突を予感させるものだった。
堤防の上では、散りゆく桜が中川の泥水と混ざり合い、マーブル模様を描き出している。だが、その美しい水面の下では、瓜生が利用した「上げ潮」がさらに勢いを増し、艇を翻弄する巨大な質量となってうねり狂っていた。
ピットの喧騒の中心に、自身の艇を整備する**西野貴志(福岡)**がいた。
九州の福岡支部のペラグループ「ポンコツ会」を率いるリーダーでありながら、その実は狡猾なまでの勝負師。昨日の第11レース、速水誠の『空中先マイ』に目を焼かれ、宮地明に勝利をさらわれた屈辱は、彼の策士としてのプライドに火をつけていた。
「昨日は昨日の風が吹きよったが……今日は俺のインコース、一ミリも開けんばい!」
2コースには、佐賀の絶対エース・大峰幸太郎。
昨日の宮地の激走に涙し、自らも「師匠の意地」を見せるべく、朝から機体のプロペラを極限まで叩き上げていた。相棒のフレブル、ムネリンもまた、野太い声でピットの空気を震わせている。
そして、3コース。山口支部の重鎮であり、女子レーサーの中でも「魔境の女王」と恐れられる塩田まなみ。
G1の優勝経験を幾度も持ち、速水誠が「山口の龍」なら、彼女は「山口の深海」と称されるほど、底知れぬ経験値と冷静さを併せ持っていた。
「まなみ先輩! 西野さんのインは『お喋り』っす! 煽って、突っ込ませて、自滅したところをガッツリ抉るっすよ!」
誠の弟子・野田あかりが、自らの整備の手を止めてまなみに激しいアドバイスを送る。まなみは、ヘルメットを被る前にふっと口角を上げ、あかりの頭を軽く叩いた。
「あかりちゃん、威勢がいいわね。でも、江戸川の泥は、叫んでいる奴から先に飲み込むのよ。見てなさい、山口の女がどれだけ『しつこい』か」
そのやり取りを、自分の調整を終えた誠が静かに見つめていた。
昨日の敗戦で折れかけていた誠の心に、瓜生の「無」の勝利、そして塩田の圧倒的な「静」のオーラが、新たな力を吹き込んでいく。
「第2レース、予選スタート! センターから3番・塩田が好スタートを切るが、内側から西野、大峰が激しく抵抗する! 進入に乱れはない、ガチンコの激突だぁ!!」
1マーク。大峰が全速捲りを敢行し、西野の頭上を越えようと機体を大きくバンクさせた。
だが、策士・西野はそれを待っていた。
「大峰ぇぇぇぇっ、悪いがここを通すわけにはいかん!」
西野は艇を不自然な角度に傾け、自らのカウルを大峰の艇の腹にぶつけると同時に、機体のマブイを逆噴射させた。
物理的な接触と、逆噴射による衝撃波が、大峰のプロペラの回転軸を一瞬だけ狂わせる。大峰の機体はバランスを崩し、大きく外側へ膨らんだ。西野自身も失速するが、それによって1マークの内側に、ぽっかりと「死の空白」が生まれた。
西野と大峰が泥を跳ね上げ、互いの進路を潰し合う。
そのカオスの中で、ただ一筋の、鏡のような航跡が描かれた。
「……甘いね。男の子たちは、すぐ熱くなるんだから」
その刹那、塩田まなみが動く。
彼女は潮流のわずかな揺らぎを読み取り、30mラインという極めてタイトな位置から、コンマミリ単位のハンドル操作を行った。
『奥義:鏡面差し(きょうめんざし)』
西野が作った猛烈な引き波と、大峰が撒き散らした噴煙。その狭間にある「波の凪」を、塩田の機体は糸を通すような精密さで潜り抜けた。
それは瓜生の「無」とはまた違う、圧倒的な「経験」に裏打ちされた空間把握能力。山口の女王は、泥沼の戦いの中に自ら専用のレッドカーペットを敷き、そこを音もなく走り抜けたのだ。
「なっ……いつの間に抜かれた!?」
西野が驚愕の声を上げ、大峰のフレブル・ムネリンが「ワワン!(やるやん!)」と悔しげに吠える。
バックストレッチに出た瞬間、塩田まなみは既に独走態勢に入っていた。
彼女の背後に残されたのは、山口支部の「誇り」という名の、誰にも踏み込めない黄金の航跡。
ピットでは、誠がモニターに釘付けになっていた。
「……まなみさん。あの潮流の中で、あそこまで精密なハンドル捌き。マブイを力として使うんじゃなく、『メス』のように水面を切り裂くために使っている……」
(……誠。山口の強さは、お前一人じゃねぇ。お前が『攻め』、俊樹が『無』なら、あの姉御の『経験』こそが、山口の根底を支える柱だ。覚えとけ、女王の怒りは泥よりも深いぜ)
シロもまた、塩田の走りに畏怖の念を抱き、真剣な眼差しで画面を見つめていた。
からくり競艇公式YouTube『カササギ』PV更新
> 【魔境の女王】塩田まなみ、精密差しで実力者たちを完封! 瓜生に続き山口支部が怒涛の2連勝! 累計PVは1億3,000万を突破。山口旋風、もはや誰にも止められない!!
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【第2R:最終結果】
| 順位 | レーサー | 備考 |
| 1着 | 塩田 まなみ | 貫禄の勝利。江戸川の荒波を「庭」のように扱った。 |
| 2着 | 西野 貴志 | 大峰を道連れにしつつも、2着を死守。ポンコツ会の意地。 |
| 3着 | 大峰 幸太郎 | 西野の罠に沈む。しかし、後半戦への闘志は消えず。 |
レースを終え、ピットに戻ってきた塩田まなみ。
彼女は機体から降りると、ヘルメットを脱ぎ、乱れた髪をかき上げた。そして、防護服のポケットからタバコを取り出し、火をつけようとした瞬間……。
「まなみ先輩!! ピットは火気厳禁、絶対禁煙っすよ!!」
あかりが血相を変えて飛んできて、まなみの手からライターを奪い取った。
「あらごめん。あまりに気分が良かったから、つい。……でも、誠くん。山口の女は、甘くないってこと、分かってくれたかしら?」
まなみは、誠に向かってウィンクを投げる。
「……はい、まなみさん。最高の刺激をもらったっす」
誠が深く頭を下げた。山口支部の連勝により、ピットの空気は最高潮に達していた。
しかし、その歓喜の輪から少し離れた場所で、2人のレーサーが静かに火花を散らしていた。
一人は、愛知の水谷佳恵。チルト3度の機体を眺めながら、「静寂も精密さも、私の風の前では無意味よ」と冷たく笑う。
そしてもう一人は、佐賀の弟子・宮地明。
「山口の勢い……ここで俺が止めてやるバイ。師匠の仇は、俺が討つ」
江戸川・マブイ開花賞。
山口支部の怒濤の連進が、他のレーサーたちの闘争本能を極限まで呼び覚ましていた。
次なる戦いは、上空を舞う風か、あるいは氷の監獄か。
誠の出番は、刻一刻と近づいていた。




