氷点下の女王(クリスタル・エッジ)
二〇三〇年四月二十三日、十一時四十五分。ボートレース江戸川――SG『江戸川王座特区戦』二日目・第五レース、オールガールズ予選。
東都の競走水面は、春の盛りだというのに、一号艇の守屋あおいが山口女子の『篠田チーム』と共に作り上げた極限の『マブイ・ミスト』の極寒サージに完全支配されていた。
(……誠、見ろ。水面の泥水が、一マークの手前から完全に結晶化し始めてやがるぞ。あの天女の執念のパケットが、空間の温度を根こそぎ奪い尽くしてんだよ)
脳内ニューロンを通じて、相棒のパグ機獣・スーがその紅い瞳を危険に点滅させて低く唸る。ピットのドックで自らの出番を待つ俺(誠)もまた、モニター越しに伝わってくるあおいの凄まじい波動に背筋を冷たく震わせていた。
「あおいちゃん、実にいい冷気ね。……でもね、あんたの放つその氷は、少しばかり『硬すぎる』のよ」
三号艇のグリッドから、大阪支部が誇る絶対的女王・鎌倉明奈さんが通信回線を通じて冷徹な声で語りかけてきた。彼女の『クイーン』の周囲には、工学的に純化された『王道の氷』のダイヤモンドダストがプリズムとなって躍っていた。
対するあおいの放つマブイは、自分以外のすべてのオブジェクトを停止させる、狂暴なる『情熱の氷』。
「鎌倉さん。俺は、誠の往く路を阻むすべての不届きなオブジェクトを、ただこの一マークの座標で凍らせて止めるだけだ」
二人の氷の女王が視線を激しく交錯させた刹那、号砲の電子音が響き渡った。
第一ターンマーク! 四号艇の大倉理恵さんが『りん』のホログラムで逃げを打とうとした瞬間、あおいの限界結合奥義が解き放たれた!
【限界結合奥義:『氷の地獄』】
超低温のマブイサージが、江戸川の重い泥水を一瞬で完全なる「強固な氷盤」へと工学変質! 大倉さんの進路を無慈悲な凍土の下へ埋没させ、外枠へとスライドさせた。
だが、鎌倉女王はこの氷の檻の出現を待ち構えていた。
「ええ。あんたの築いたその氷盤、最高に滑りのいい『極上の滑走路』だわ、あおいちゃん!!」
【固有反転旋回:『奥義・クリスタル・エッジ』】
氷の強烈な反発力サージを、機体底面の特殊エッジフィンによって完璧に透過キャッチ! 一ミクロンの減速もなくすべてを爆発的な推進加速へと反転置換! あおいが「足を止めるため」に変質させた凍土を、鎌倉さんは「最速を叩き出すため」の滑走路として逆利用したのだ!
「なっ……俺の展開した氷盤の数式を、逆に加速のエネルギーへとハックしただと!?」
あおいの驚愕を置き去りにし、砕け散る氷の破片を夜空へ撒き散らしながら、鎌倉さんの三号艇が一気にバックストレッチの先頭へと躍り出た。
後方では、山口の新人・原田ももちゃんが、あおいの撒いた氷の防壁を自らの強化竜骨で粉砕しながら強引に突進。砕け散った氷塊のデバフを福岡のベテラン勢の視覚センサーへ容赦なく浴びせる泥臭い走りのハッキングで、三位争いに食い下がっていた。
先頭集団では、あおいの勝負師としての情念が臨界点へと達していた。
「……絶対に、逃がさない。鎌倉さん、あんただけは、この俺の前を先行させるわけにはいかないんだよ!!!」
チルトレバーを叩くと、『直線加速紋』の真の威力が解放され、巨大な氷の柱が水面から次々と直立! 江戸川のバックストレッチを、二人の氷の女王だけが魂を削り合う、極寒の私道へと完全変質させていった。
『カササギの累計PVはインフレの限界域を突破し、驚愕の【三億四千万パケット】を記録!!』
ピット裏のモニター前、俺はあおいの凄まじい寒気(と、俺に向けられた狂暴なまでの殺気)に震えながら、防寒ブランケットを頭から被っていた。
「あ、あおい……。声をかけたら、そのままダイヤモンド・ダスト刑に処されて凍らされないか……?」
俺が青い顔で呟くと、隣のあかりがニヤリと不敵なギャルの笑みを弾けさせた。
「誠師匠、そこはギャル工学的に安心っすよ!!! あのシステムは、誠師匠のマブイ周波数にだけ反応して『自動解凍』するように、隠しコードを仕込んでおいたっすからね!!! ……ただし、他の女子レーサーと鼻の下を伸ばして喋ってると、強制的にアイス・ヘル刑っすけどね!!」
「……あかり、俺の生命線に関わる余計なバグ設定をコンパイルしないでくれ……」
最終ターンマーク。鎌倉明奈の華麗なるエッジテクニックが勝つか、あるいは守屋あおいの胸に宿る執念の氷壁がすべてをハめ殺すか。氷と氷の狂暴なる激突によって、江戸川の水面は真白き虚無の世界へと美しく塗り替えられようとしていた。




