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からくり競艇 ~黄金の波切り、魂のフルスロットル  作者: 水前寺鯉太郎
第1章:学校編

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第1話:地獄の入所式

2026年4月。琵琶湖の夜明けは、春の到来を拒絶するような冷徹な静寂に支配されていた。

 比叡の山嶺から駆け下りる「比叡おろし」が、湖面に澱んでいた濃密な朝霧を乱暴に切り裂く。滋賀県、琵琶湖畔。そこに聳え立つ「大宮機艇教習所」の重厚な鉄門は、容赦なく吹き付ける突風を浴びて、時折低く唸るような音を立てていた。

 ここは、現代の「騎士」と称賛される水上格闘競技・からくり機艇レースのプロ養成所だ。

 「学費免除」「卒業後の巨万の富」という甘美な誘惑に惹かれ、全国から集った志願者は数千人。しかし、地獄と形容される選別試験を生き残り、今日この門を潜る権利を掴み取ったのは、わずか数十名の「レーサーの卵」たちに過ぎない。

 「……おい、手が震えてるぞ」

 整列の列の中で、速水誠は隣に立つ少年に声をかけた。

 声をかけられた少年、瓜生俊樹は、彫刻のように整った顔立ちをしていた。しかし、その瞳には少年らしい生気が欠落している。無理もない。彼からは、この時代の生命活動や機械駆動の根幹をなす精神エネルギー「マブイ」の気配が、微塵も感じられなかった。

 「……マブイがないと、この風は少し冷たく感じるだけだ」

 瓜生は感情の起伏もなく答える。彼はこの時代において極めて稀、というより、生存そのものが奇跡と言われるレベルの「コアマブイ0」の志願者だった。

 対する誠もまた、恵まれた境遇にはない。彼が生まれ持ったコアマブイはわずか「1000」。一般人の平均にすら届かない、底辺の数値だ。後天的な鍛錬で上乗せされる「外付けマブイ」を加味しても、ここに並ぶエリートたちの半分にも満たない。

 「俺も似たようなもんだ。量じゃ負けるが、コントロールで勝負するって決めてる。魂の出力がデカけりゃいいってもんじゃないだろ?」

 誠が不敵な笑みを浮かべた、その瞬間だった。

 列の前方から、皮膚を焼くような圧倒的な熱量が押し寄せてきた。

 「マブイの量で勝負できない奴から、まず脱落していく。それがこの世界の、残酷な物理法則だよ」

 振り返ったのは、宝石のような冷徹な輝きを放つマブイを纏った男、山崎征也だった。

 公表されている彼のコアマブイは「10000」。彼が歩を進めるだけで周囲の気温が揺らぎ、大気がパチパチと微弱な放電を起こす。その背後には、冷静な眼差しで場を観察する守屋あおいと、誠に鋭い視線を向ける實森ゆえが控えていた。

 「1000と0か……。掃き溜めの数値だな。機体に触れる前に、自分の魂の薄さに絶望して消えるのが身のためだぞ」

 山崎の言葉は鋭利な刃物となって誠を突いたが、誠の瞳から光は消えなかった。

 「薄いってことは、それだけ繊細に扱えるってことだ。お前のその暑苦しいマブイで、機体のタービンを焼き切らなきゃいいけどな」

 「……ふん。口の減らない部品だ」

 山崎は鼻で笑い、講堂へと歩みを進める。その圧倒的な覇気に、周囲の候補生たちはモーゼの十戒のごとく道を空けるしかなかった。

 講堂の壇上。一人の男が登壇した瞬間、喧騒は一瞬で凍りついた。

 足音を立てない幽霊のような歩法。だが、マイクの前に立ったその男から放たれる「重圧」が、広大な空間の酸素を奪ったかのようだった。全員の心臓が、誰かの手に直接握られたかのような錯覚。生徒たちのマブイが、本能的な恐怖で縮み上がる。

 校長・上田通彦。

 通算1080勝、主要タイトル全制覇のグランドスラム3回。かつて「不死鳥」と呼ばれ、異世界の紛争地帯からさえ無傷で帰還したという伝説の怪物。

 左眉から頬に走る大きな縫合痕と、欠損した指を補う金属製の義指が、彼が潜り抜けてきた修羅場の凄惨さを無言で語っていた。

 「……ここへ来たからには、これまでの名も、家系も、外での栄光もすべて捨てろ」

 上田の声は、低く、重く、講堂の壁を物理的に震わせた。

 「貴様らに与えられるのは、抽選で決まる不公平なエンジンと、自ら叩き出すプロペラのみだ。ここではマブイの量など、ガソリンの量に過ぎん。どれほど高級な燃料を積もうと、コントロールを誤れば自らのマブイの暴走によって機体ごと爆散する。それがこの競技の真実だ」

 上田の鋭い眼光が、エリートたちの頭上を通り越し、最後尾に立つ誠と瓜生の上で止まった。

 「今日から1年間、貴様らは『人間』ではない。からくり機体に魂を吹き込み、時速100キロを超える水上の死闘を制するための『部品』だ。ついてこれぬ者は、今すぐ琵琶湖に飛び込んで実家に泳いで帰れ。教習所は、死体を引き取る手間を嫌う」

 入所式の余韻など、この場所には一秒も許されなかった。

 「直ちに班分けを行い、機材置場へ向かえ。最初の試練を始める」

 「エンジン抽選」。それはこの教習所における最初の、そして最大の運命の分岐点だ。

 からくり機艇に搭載される蒸気タービンエンジンは、レーサーのマブイを蒸気圧へと変換し、推進力を生む。しかし、長年使い古された教習機には、個体ごとに凄まじい「癖」や「劣化」が潜んでいる。

 「山崎征也、74号機。……当たりね。出力特性が最も安定している最新鋭機よ」

 守屋あおいが手元のリストを見て呟く。

 「……チッ、私は12号機。排気漏れがあるわね」

 實森ゆえが、油にまみれたエンジンを忌々しそうに睨む。

 そして、誠の順番が来た。彼が引き当てた札の数字を見た瞬間、周囲の教官たちの表情が、同情を含んだものに変わった。

 「……39号機か」

 並べられたエンジン群の最端。赤錆が浮き、至る所に継ぎ接ぎの溶接跡がある。それはもはや鉄屑の塊にしか見えなかった。

 教習所内で「死に体」と忌み嫌われる、呪われたエンジン。

 「嘘でしょ……誠、それ……」

 駆け寄った守屋あおいが、内部を覗き込んで絶句した。

 「タービンの主軸が完全に歪んでる。おまけに蒸気弁のレスポンスが致命的に遅い。これを動かそうと思ったら、並大抵のマブイじゃ制御できないわ。今の君の量じゃ、エンジンの異常振動に魂が共振して、腕の骨どころかコアが壊れるよ」

 「……39号機。過去3年で5人の志願者を病院送りにした呪物だ」

 背後から、瓜生が無機質な声で補足する。彼は自分自身の「66号機」――これまた出力の出ないスカスカのエンジンを引いていたが、その瞳に動揺はない。

 誠は、周囲の嘲笑を遮断し、39号機の冷たい金属面にそっと手を触れた。

 指先から伝わるのは、機械としての死を待つような絶望的な拒絶反応。歪んだ軸が、かつて誰かに強引にマブイを流し込まれた際の「悲鳴」を記憶しているかのように、鈍い微動を返してくる。

 「……お前も、期待されてないんだな」

 誠が小さく呟くと、エンジンの奥底で、カチリと小さな金属音が響いたような気がした。

 「おい、速水。己の運命を呪え」

 山崎征也が、ピカピカの74号機を軽々と持ち上げながら通り過ぎる。

 「マブイの少ないお前が、そんな不良品を掴まされる。それは偶然じゃない。この世界の理が、お前に『去れ』と言っているんだ」

 「……いや、違うな」

 誠は顔を上げ、山崎の背中に向かって言い放った。

 「こいつは、俺を待ってたんだよ。力任せに回されるのが嫌で、ずっと拗ねてただけだ。……見とけよ。量じゃ出せないスピードってやつを、俺が証明してやる」

 その日から、誠の孤独な戦いが始まった。

 カリキュラムは苛烈を極めた。午前4時起床。マブイを練り上げる瞑想。極寒の湖畔ランニング。そして午後は、ひたすら「プロペラ(ペラ)叩き」とエンジンの整備だ。

 誠は、他の生徒が寝静まった後も、深夜の作業場に篭り続けた。

 39号機の歪みを直すには、物理的なハンマーだけでは届かない。自分の微弱なマブイを針のように細く研ぎ澄まし、金属の分子レベルまで浸透させ、対話する必要があった。

 「はぁ……はぁ……」

 汗が作業場の床に滴る。彼の保有量はわずか1000。無駄遣いは一滴も許されない。他者が100の力で強引にボルトを締めるなら、誠は1の力でボルトの「重心」を見抜き、摩擦を極限まで殺して回す。

 「……熱いな」

 不意に、背後に気配を感じた。瓜生俊樹だ。

 「速水、君のやり方は非効率だ。マブイの共振係数をあと0.02下げろ。そうすれば、軸の歪みによる振動を逆位相で打ち消せる」

 「……瓜生? お前、マブイがないのになんでそれがわかるんだ?」

 「……計算だ。マブイがないからこそ、エネルギーの流れが数式として見える」

 瓜生は無表情のまま、誠の隣で自分のスカスカのエンジンを分解し始めた。

 「持たざる者」同士の、奇妙な共鳴。一週間が経つ頃、誠の指先は油と火傷でボロボロになり、視界はマブイの過剰使用で常に霞んでいた。

 だが、39号機は確実に変わりつつあった。拒絶するような冷たさは消え、誠が触れると、まるで体温を得たかのように微かな熱を帯びるようになったのだ。

 迎えた第1回試走会。

 琵琶湖の特設コースには、上田校長を筆頭とする教官陣が陣取り、ストップウォッチを手に生徒たちの「質」を見極めようとしていた。

 「一番、山崎征也。出るぞ」

 山崎の74号機が、野獣のような咆哮を上げる。黄金色のマブイが機体を包み込み、蒸気圧は一気にレッドゾーンへ。

 「ハアアアッ!」

 山崎の気合と共に、機体は水上を滑るのではなく、叩きつけるような加速で飛び出した。圧倒的なパワー。ターンマークに差し掛かっても減速せず、強引にマブイの出力だけで艇をねじ伏せる。

 「……タイム、1分42秒3。新人としては破格だ」

 教官が感嘆の声を漏らす。続いて、守屋、實森と優秀なタイムが刻まれていく。

 そして、ついにその時が来た。

 「……次、速水誠。39号機、準備しろ」

 会場にざわめきが広がる。引きずり出された39号機は、相変わらずボロかったが、細部まで磨き上げられた金属が鈍い輝きを放っていた。

 誠は操縦席に乗り込み、エンジンの始動紐に手をかける。

 (……行けるか、39号機。俺の全部、お前に預ける)

 誠のマブイが、細い糸となってエンジンの深部へと流れ込む。歪んだ軸、隙間だらけの弁、摩耗したピストン。それらすべてを、誠のマブイが補完し、一つに繋ぎ合わせていく。

 「……起動!」

 ドォォォォォォンッ!

 響き渡ったのは、爆発音ではない。透き通るような、高音の旋律。

 39号機が、かつて誰も聞いたことのないような美しい「歌」を歌い始めた。

 「なっ……なんだ、あの音は!?」

 山崎が目を見開く。排気筒から噴き出したのは、黒煙ではなく純白の蒸気。誠の艇は、まるで氷の上を滑るかのような滑らかさで加速を開始した。

 「マブイが……機体と完全に同調シンクロしている……!?」

 守屋あおいが驚愕に目を見開く。通常、レーサーはエンジンを「支配」する。だが、誠は「共生」していた。わずか1000のマブイを、一滴の無駄もなく推進力に変換する。

 第一ターンマーク。誠はスピードを落とさない。いや、加速している。

 「曲がれるわけがない! あの角度で突っ込めば転覆するぞ!」

 だが、誠の視界には、水の流れ、風の抵抗、エンジンの鼓動がすべて見えていた。艇が急角度で傾く。誠は最小限のマブイを瞬発的に噴射し、艇の底を水面に叩きつけた。

 「……そこだっ!」

 シュパァァァァンッ!

 水飛沫が扇状に広がり、39号機は鋭いカミソリのような軌跡を描いてターンを切り裂いた。

 「モンキーターン」を超えた、魂の削合による「神速の旋回」。

 バックストレッチに出た誠の背中を、琵琶湖の風が押し上げる。ゴールラインを駆け抜けた瞬間、タイマーが刻んだ数字に、会場は静まり返った。

 「……1分41秒8」

 山崎の記録を、コンマ5秒上回るトップタイム。

 「……馬鹿な。1000のマブイで、俺の10000を超えたというのか!?」

 愕然と立ち尽くす山崎を余所に、誠は艇をピットに寄せた。全身の倦怠感が襲うが、心地よい。

 「……サンキューな、39号機」

 エンジンの熱い吐息が、誠の頬を撫でた。

 ピットサイドで待っていたのは、無表情ながらもどこか満足げな瓜生と、そして険しい顔を崩さない上田校長だった。

 「速水誠」

 上田の眼光が、誠を射抜く。

 「今の走りはレースではない。ただの『心中』だ。機体と心を一つにするのはいい。だが、機体の痛みまで引き受ければ、お前のコアは1年も持たんぞ」

 「……それでも、俺はこの39号機と、一番上まで行きます」

 誠の返答に、上田は一瞬だけ、かつての自分を見たかのように口角を上げた。

 「……いいだろう。貴様ら『持たざる者』が、この世界の序列をどこまでぶち壊せるか、見せてもらう」

 比叡山から吹き下ろす風は、依然として冷たかった。

 しかし、誠の胸の中に灯った火は、もう誰にも消せそうになかった。

 2026年、春。琵琶湖の地から、新たな伝説がその産声を上げた。

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Xから読みにきました。 Xでの朗読スペースでも楽しませていただきました。競艇の事は詳しくはないのですが、 知らなくても読みやすく、またマブイという魔力要素によってレースの状況が変わってくる。 使い方次…
競艇の事は全然知りませんが、 本作はとても面白く読めました。 競艇に魔力要素を取り入れるのは、 非常に面白い試みと思います。
スポーツを題材とした内容は、僕の中では新鮮な刺激を受けました! このシビアな世界を生きる、その逆転劇はとても熱い展開でもあり、物語のコアだと思います。一般的なスポーツを題材とするのではなく【生命活動や…
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