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21.私は、諦める気はない。

 魔公とは、いわばそれぞれの領地においての魔物の王のようなものである。人間の治める国よりもずっと広い領地を治める王。彼らは人間の王族にもへりくだった態度を見せることはないし、その必要もない。このダズィル王国内で、激情の魔公である彼が公爵の地位を持つのは、あくまでも便宜上のこと。それを、彼も含めて誰もが理解している。

 だから、開いた扉の間から顔を出した彼が、「久しぶり、キースリール殿下」と、笑みと共に気さくな挨拶をしてくるのもまた、自然なことだった。


「せっかく来てくれたのに、遅くなってごめんね。月初めは、何かと忙しくて」


 そう言って彼が入ってきた瞬間、張り詰めていた彼女の表情が緩んだ。当たり前のように彼女の隣に座る彼は、相変わらず麗しく、端正な面持ちで。柔らかい笑みを浮かべる彼のその顔は自分も見慣れていたから、すぐに分かった。彼女の様子に気付いた彼の鮮やかな金色の瞳の奥が、こちらを警戒するように冷ややかなことが。


 ……この二人がこうして並んでいることを、前世の自分ならば諸手を挙げて喜んでいただろうに。


 陽の光を集めたような美しい金の少女と、夜闇の分身のような艶やかな黒の青年。美しい二人が並ぶその光景を、自分はどれほど望んでいたことか。彼が、クラキオが命を落とす、その瞬間まで。

 けれど、その願いもこうして生まれ変わる前の話。

 キースリールとして生まれた自分は、幼い頃から彼女の、リーリアの姿を目にしていたものだから。どうしても納得できなかった。その隣に並ぶのは自分だと、ずっと信じていたから。

 もちろん、今も。


「気にしないでくれ、ツォルン公爵。急に訪問して申し訳ない。まあ、私としてはアイル嬢さえいれば良かったんだが。忙しければ、そちらに行ってもらって構わないが?」


 口元に笑みの形を作って言う。何のために、わざわざ彼が忙しいであろう月初めを狙ってやって来たと思うのだ。まだ先程の質問の答えももらっていないというのに。

 遠回しの退場願いに気付いているのかいないのか、おそらく気付いているだろうけれど、クラキオはにこやかに笑って「お気遣いありがとう」と返してきた。


「毎月のことだし、後は部下に任せてきたから問題ないよ。それに、わざわざ殿下が来てくれているのに、屋敷の主人である俺が不在というわけにはいかないからね」


 さらりと返されたごく自然な言葉に、心の内で舌打ちをしながら「わざわざすまないな」と、笑みのままに返事をする。どうやら彼は、自分たち二人で話をさせる気はないらしかった。


 せめて、先程の質問にだけでも答えて欲しかったのだが……。


 先程から、クラキオと自分の会話を少し困ったような表情で聞いているリーリアの方を見ながら思う。想い人がいるというならば、その相手はいったい誰なのだろうか。もしかしたら。


 ……クラキオ様でなければ、強引に話を進めることも出来る。その相手を遠ざけることも、別の相手をあてがうことも。私はこの国の第一王子なのだから。だが、その相手がクラキオ様ならば。……いや。


 そこまで考え、僅かに目を伏せた。

 相手が誰であろうと関係ない。自分こそが、彼女の隣に相応しい。この国で最も高い地位にあり、彼女と同じ人間で、最後まで彼女の聖女としての力を浪費させることのない自分が。それに。

 あれだけ想っていても、クラキオがリーリアと結ばれることはなかったのだから。

 遥か昔の記憶を呼び起こしながら思う。どのみちこれから先の未来で、クラキオは彼女の傍から離れることになる。このダズィル王国の民を襲った魔物として捕らえられて。

 時機にして確か、六か月後。新年を迎えての最初の月、孔雀の月。


 思ったよりは長いが……。しかしクラキオ様が捕らえられた後は、ティタリス嬢……いや、もうクワイト嬢になったんだったか。彼女の下僕(しもべ)となるから、リーリア様との親交もそれまでだろうからな。


 だから、相手がクラキオだとしても、大丈夫。本当に彼女から遠ざけねばならない相手は、この国には存在しないから。


「ところで、二人は一体、何の話をしていたんだい?」


 考え込んでいたら、クラキオが不思議そうな表情でそう訊ねて来た。白々しい、と思うのは間違っていないだろう。彼は耳がとても良く、この屋敷の敷地内に入った時点で、自分たちの会話など筒抜けのはずだから。まあそれを、()()()()()()()()()()まだ知らないはずなので、顔には出さなかったが。


「大した話ではないから、気にしないでくれ。また次の機会にでも聞かせてもらおう。……それよりも、丁度良かった。ツォルン公爵がいた方が話が早いからな」


 何でもない顔をして話を変えれば、クラキオは少し驚いた顔になった後に「というと?」と素直に訊き返してくる。リーリアもまた、首を傾げてこちらを見ていた。そんな些細な表情さえも麗しいと僅かに目を細め、キースリールは口を開いた。


「少し、アイル嬢に手伝ってほしいことがあってな。……王国の南部で、魔物同士の争いが活発化し、人々にも被害が及んでいることは知っているだろう?」


「ああ、もちろん。俺の方でも原因を探っている所だよ。王宮にも報告はしたと思うけど、羨望の領地から多くの魔物が入り込んできていて、激情の領地の魔物と諍いが起きている。何故俺の領地に入って来ているのかを聞きたいんだけど、入り込んで来た魔物たちは皆、錯乱状態で、まともに話が聞けなくてね。落ち着くまでもう少しかかりそうだ」


 困ったような表情で笑うクラキオに、こくりと頷く。自分も覚えているから、分かる。確かこの時機、南部の魔物の活発化と、北部の魔物の消失が重なり、対応が後手に回ったのだ。前回はリーリアが花嫁として屋敷にいなかったため、このツォルン公爵邸で聖石を加工する者も必要となり、圧倒的に手が足りてなかった。だから、気付いた時には遅かった。南部の魔物の活性化の、その根本的な原因に。


 今回はリーリア様がいるから、それぞれに人手を割くことが出来るはず。被害は前回よりも抑えられると思うが、……相手が相手である以上、クラキオ様の暴走は止むを得ないだろう。


 前回の自分たちは、無意識の内にその可能性を除外していたから。その相手にとって、何の意味もないから、と。

 魔物にとって、誰かを想うという心が、どれほど重要なのか理解していたにも関わらず。

 まあ、もし分かっていたとしても、結果は変わらなかっただろうけれど。


「それで、……リーリアに手伝って欲しいことっていうのは何だい?」


「…………っ!」


 ……リーリア?


 当たり前のように使われたその言葉に、キースリールはまたもその目を瞠った。今、彼は何と言った。()()()()()を呼ばなかったか。親し気に、リーリア、と。


 ……二百五十年以上も人間の社交界に身を置いていて、知らないはずもない。貴族の子女の名を呼ぶという、その行為の意味を。


 「殿下?」と、不思議そうな顔で呼びかけてくるリーリアに、はっとして表情を取り繕う。その、特別に何も気にしていない様子から、彼女自身もそれを許しているのだと理解し、僅かに膝の上に握り込まれた手に力が入った。


「アイル嬢には、聖武器の最終仕上げの手伝いを頼みたい。南部の小さな街や村には、魔物に対抗できる武器そのものが少なくてな。この国に元々生息している魔物を傷付けるつもりはないが、襲い掛かって来る魔物だけでも自分たちで対処できないと危険だと判断した。王都からも兵たちを派遣してはいるが、限りがある。そこで、常駐している兵たちだけでも魔物に対抗できるよう、聖武器の生産を急いでいるんだ」


 前世において、魔物のことは魔公に任せておけば良いという考えが定着していた。もちろん、それは今世もあまり変わりはないが、前世を知っている身としては放っておくわけにもいかないだろう。

 聖武器とは、通常の剣や弓矢などの武器に、聖女の祈りの力、つまり聖力を込めた武器の事である。魔物に対する攻撃策をあまり必要としないこの国においては、今回のような場合以外に聖武器の使い道がなくなるおそれがあるため、無駄な出費ではないかと大臣達からもかなりの反発はあった。まあ、最終的に、まだ使える聖武器は、聖武器がいくらあっても足りない周辺各国へと売り払い、国庫を潤すことも可能だと説き伏せたわけだが。

 聖武器はあくまで魔物への対抗策であり、対人間用の武器にはならないように出来ている。聖力が込められているからなのか、不思議なことに、人間に対して聖武器で攻撃をすると、まるで使い物にならなくなるのだ。剣は刃こぼれし、弓矢は矢じりが砕ける、というように。だからこそ武器として他国に売っても問題ないのである。

 ダズィル王国や、傲慢の魔公が治める領地の国以外では、魔物が聖女を狙うために、聖女ではない女性たちまでもが襲われる事件が多発している。そのため、聖女は厄介者扱いされ、名乗り出る者はまずいない。そうなると聖武器を作ることも出来なくなるわけで。そういった関係で、実はダズィル王国は、聖武器の一大産地でもあるのだった。作った先からすぐに売れてしまうため、在庫は常にない状態であるが。

 国外とはいえ、必要に迫られている他国の需要を蹴って国内に供給するというわけにもいかない。そのため現在、キースリールは協力者を捜しているのであった。


「すでに聖殿の聖女たちには協力を了承してもらっている。だが、彼女たちも慣れない仕事となるため、数や速さを期待するのは難しいと思ってな。少しでも多くの聖女に協力をしてもらいたいと思い、『花嫁』としてその聖力の強さが認められているアイル嬢に協力を願いに来たのだ」


 もちろん、半分以上がただの口実ではあるが、人手が多い方が良いというのもまた事実。『花嫁』としての仕事は理解しているし、多忙なのも知っているのだが、リーリアほどの力があるならばもしかしたらと思ったのだ。

 案の定、リーリアはふむふむと数度頷くと、にこやかに笑みを浮かべて、「わたくしで良ければ……」と口を開いて。


「だめ」


 そう言う、クラキオの声が、彼女の言葉を遮った。


「ただでさえ忙しいのに、これ以上彼女の仕事を増やすのは、彼女を『花嫁』として監督する立場の者として認められない。申し訳ないけど、他を当たってくれないかな」


 申し訳なさそうに、しかし有無を言わせぬ口調でクラキオはそう告げる。彼女ほどの聖女でも、やはり『花嫁』の仕事は厳しいのかと不思議に思っていたら、傍らのリーリアが驚いたように彼を見上げて、「クラキオ様!」と少しだけ不服そうに声を上げた。


「確かに忙しいのは事実ですが、段々と仕事にも慣れてきておりますし、少量であればお手伝いも可能ですわ。だから……」


「だめ。認められない。……聖力が枯渇して、二度も意識を失うように眠りについた君が何を言っても、俺が頷くことは出来ないよ。これ以上の仕事は許可できない。分かるよね?」


「でも……」


 なおも不満そうにリーリアは言い募るが、クラキオは笑顔のまま首を振るだけだった。

 二人の話を聞いていたキースリールもまた、今回ばかりはクラキオの意見に賛成する。彼女が、聖力が枯渇して、意識を失うように眠りについた、なんて。


「アイル嬢、ツォルン公爵の言う通りだ。この話はなかったことにしてくれ」


 彼女に無理をさせるのは、キースリール自身が絶対に認められない。

 クラキオに続いて、キースリールまでもがはっきりとそう言えば、リーリアはぱっとこちらを見て、しょんぼりと肩を落とす。「どうしても、ですか?」と言うその姿は、その華奢な身体つきも相俟って、庇護欲をそそった。思わず、そこまで言うならばと言ってしまいそうになり、慌てて口を閉じる。僅かに首を横に振り、再び口を開いて「駄目だな」と答えた。


「私は、君に無理をさせたいわけじゃない。他にも当てはあるから、そちらに声をかけてみよう。だから、ツォルン公爵の言うことを聞いて、決して無理をしないでくれ」


 他の男に彼女を預けるというのは非常に気に食わないが、仕方がない。彼女は他者への思いやりはあっても、自分を顧みることがあまりにも下手すぎるのだ。前世の彼女が眠りについた時のように。

 リーリアはしばらくキースリールとクラキオの顔を交互に見遣っていたけれど、とうとう諦めたらしく、俯きながら「分かりました」と小さく呟いていた。

 その落ち込みように、申し訳ないような心地になり、何か言葉をかけようと口を開いて。

 「リーリア」と、低く柔らかな声が聞こえた。


「俺も彼も、君のことを思って言っているつもりだよ。聖女は君一人じゃないから、大丈夫。今回のように、武器に聖力を込める程度ならばね。他者を思いやる気持ちは大事だけど、それで君が倒れてしまっては本末転倒だろう?」


 「分かるよね?」とクラキオが続ければ、リーリアはしょんぼりとした態度をそのままに彼の方を見上げて、こくりと一つ頷いた。「分かりましたわ」と言う彼女に、クラキオはまた柔らかく微笑んで。

 ぽすりと、彼女の金色の頭を撫でた。「良い子だ」と、優しい声で呟きながら。

 そんな光景を、キースリールはただ茫然と見ていた。もしかしたら自分は、思い違いをしていないだろうか、と。


 確かに、クラキオ様は時期にリーリア様の傍から離れることになる。けれど、それまでの間に二人が、その気持ちを通わせてしまったら……?


 離れたとしても、他の誰かの下僕となったとしても。そう簡単に、心まで引き離せるだろうか。

 じわじわと湧き上がってきたのは、焦りと困惑。そして、鈍い痛み。知らずぎゅっとその手を握りしめ、「ツォルン公爵、アイル嬢」と、キースリールは必死に言葉を紡いだ。


「私からの話はそれだけだ。そろそろ次の予定もあるから、お暇しよう。急に訪ねてしまい、すまなかったな」


 第一王子としておかしくない笑みを取り繕いながら、キースリールはそう言って立ち上がる。クラキオとリーリアもまた、そんな彼を見送ろうと立ち上がった。「気にしないで」と、クラキオがいつも通りの柔らかい口調で言う。ずっと変わらない、穏やかな青年。


 私は一体、どうすれば良い。どうすれば、この二人の間に割って入ることが出来る。どうすれば、彼女と結ばれることが出来る。


「……? キースリール殿下?」


 じっと見ていたからだろう、「どうかされましたか?」と、リーリアが不思議そうに声をかけてくる。大きな緑色の瞳が、ぱちりと瞬いた。

 どうすれば良いか、分からない。けれど。

 やっと、彼女を想うことを許されたのだから。


 諦める気も、ない。


「ああ、大丈夫だ。ありがとう、アイル嬢」


 言って微笑み、今度こそキースリールは歩き出した。二人に見送られて、見慣れたツォルン公爵邸を後にする。どうすれば良いのかと、ひたすらに胸の内で繰り返しながら。


「……ツォルン公爵様は、アイル嬢の事を名前で呼んでおられましたね」


 公爵邸からの帰り道、護衛もかねて同じ馬車に乗ったリアグランは、おそるおそると言った様子でそうぼそりと呟いた。彼もまた、気づいたのだろう。それほどに意味のあることなのだ。このダズィル王国において、貴族の子女の名を呼ぶというのは。

 「お二人は、どういう……」と心配そうな顔で続けた彼に、キースリールは平静を装いつつ、「あくまでも、魔公と『花嫁』だろうな」と静かに返した。


「公爵は魔族で、人間の社交界に出ているとしても周囲には魔物の方が多い。人間の平民たちと同じで、魔物には普通、名前しかないから、そちらの方が呼びやすかったんじゃないか」


 遠い昔、前激情の魔公、つまりクラキオの父がこのダズィル王国と契約をした頃。聖女の価値が認められ、平民の聖女であっても貴族の養子となるようになった。

 そんな時、とある平民上がりの聖女が言ったのだ。自分の名ではなく、名字で呼んでほしい、と。平民に名字はないため、貴族になった証のように感じたという。だから、名前ではなく、名字で呼ばれたいと言ったのだ。その少女の話を聞いた他の平民上がりの聖女たちも同じように主張し、ついには貴族の子女は名前ではなく名字で呼ぶのが常識とされるようになった。名前で呼ぶのは、家族や婚約者、伴侶など、ごく親しい者だけ、となったのである。

 「立場が上の公爵に言われれば、アイル嬢も拒否は出来ないだろうしな」と続くキースリールの言葉を聞いたリアグランは、納得したように頷いていた。貴族社会の上下関係の厳しさを、彼自身もまた理解しているから。


「……そう。深い意味なんてないんだ。まだ」


 ぼそりと、キースリールは口の中で呟く。今はまだ、きっと。だから。


 ……私ももっと、彼女の傍にいなければ。


 彼に、負けないように。

 思い、目を細めて過ぎ去る景色を眺める。彼女の、リーリアの心を勝ち得るにはどうすれば良いのかと、ただそれだけをじっと考えながら。

一応文字数間に合った……ようです。

今回もまた説明が多いこと多いこと。相変わらず読みにくくてすみません……。

次回からはまた、二週間に一度の更新になります。

……頑張れたら一週間に一度が良いな……。

頑張る!


閲覧、ブクマ、評価ありがとうございます!

めちゃくちゃうれしいです!

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