第031話 - 壁の許で
―長野県、上田市だった場所。
長野県上田市の東側に当たるこの街。
「こんな物騒な場所でよく農業なんて続けてられますね」
独りの老爺の耳元で兵士の声を聞いた。
彼は聞いてて聞こえないふりをした。
国境警備兵もこれ以上はなにも聞いてこなかった。
いまや壁の麓の町となってしまったこの街に、人の影など全く無かった。
そう、この一人の爺さんを除いて―
壁が出来たあの日も、彼はここでずっと畑の管理をしていた。
訪れたあの日。
血の海になった畑。
壁の建設が終わり、安全になってきた頃には彼は再び、土の血を洗い落とし、耕して、また畑を作った。
この畑と壁は、目と鼻の先だ。
きっとこの畑には紛争で亡くなった数多の人が眠っているのだろう。
とか、
あの爺さんは畑を管理しているんじゃなくて、作物の下に骨でも埋めているんじゃあないか。
なんていう噂が国境兵の間でも広がっていた。
「はぁぁ~…俺はいつまでここに居ればいいんだよ…」
そういいながら木の陰に腰を下ろす、国境兵が居た。
福島から徴兵でやってきた、姫端だ。
結局彼は東側国境管理局からの好成績評価を経て、「壁」の中でも一番大きな関所であるここまで飛ばされたのだった。
好成績とは、すなわち「殺した脱東者の多さ」であった。
今まで何人ものの人々を数えてきたのだろうか…
彼には数え切れなかった、いや、これほどの好成績だったのならば計測者にも分からなかったことであろう。
「―トマト、食うか?」
しわしわの手に乗っかったトマトが眼前に現れる。
「…あぁ。」
休憩時間で暇も有ったので、ありがたく頂いた。
「…おまえさん、ここら辺の者じゃ無いな?」
「あぁ、徴兵で福島からやってきた。」
「ご苦労なこった、福島からかぇ…どこも大変な事だろうに。」
長野の自然はこの緊張に包まれた空気とは正反対に穏やかだ。
「宇都宮も、埼玉も、東京も。全てが駄目になってた。」
「…」
「俺、今も昔も思うんだ。こんな国、とっくのとうに終わってるんだってさ。」
「―誰もが間違いに気が付かないで、誰も何もしようとしない。」
「…」
「おやっさん、あんたもずっとここに住んでるなら分かるだろう?」
「―いざ政治対立が深まると紛争で無駄な血ばっか流して、弱みを握られると東西双方ともに壁を作って現実逃避。好きなことばっかやって、また国民を犠牲にしていく。」
「俺、分かるんです。こうやって人を撃ち殺すと。」
「―皆、この国の大きな過ちに気が付いた者だけが壁を越えようとする。」
爺さんは、何も話さずに彼の声に耳を傾けていた。
彼は、全てを話しつくしたかのようにトマトをかじった。
ウウウウウウウゥゥゥゥ…
交代合図のサイレンが誰も居ない町中に響き渡ると
「さ、休憩も終わりだ。トマトありがとうございました。」
とだけ残して、彼は持ち場へと戻っていった。
「…人の血で育ったトマトは美味しかったのかの?」
と、かすれ声で彼に言い、老人も自らの持ち場へと戻った。




