09 来訪者
リクリス襲撃から十三日後のことだ。ローランド卿の乗るエンプレス号とその他護衛艦が数隻、イギリスの軍港に戻った。他の船は引き続き、英国の領海内で魔物と海賊の警戒と討伐に当たっている。
ローランド卿は連れ帰った魔物を幽閉し、シアーズの訪問を待っていた。一見すればただの黒髪の女だ。部下は皆首を傾げていた。しかしどんなに隠していてもローランド卿には分かる。
シアーズよりも先に来たのはスペインからの使者だった。茶色のウェーブした髪の海軍士官。彼はローランド卿の前に跪いた。ここはローランド卿の邸宅だ。外は雨が降っている。部屋は一つのランプに火がともっているだけで、非常に暗い。使用人も数えるほどしかいない。使っていない部屋も多い。身分から考えると、随分と簡素なものだ。
「急な面会を申し訳ありません。我が国王陛下より、ローランド卿に伝言をお持ちしました」
ローランド卿はうんざりした顔で続きを促した。女王にも軍部でも同じことを何度も言われたのだ。この使者も、ここに来るより前には女王に謁見していることだろう。また怒られる、そう思うとつい顔をしかめてしまった。
ローランド卿は左目を手で覆った。この士官に会うと、まだ小さい頃のあの呪いが残っているような気がする。不快さを顔に出さないよう注意する。
「『貴国の海賊の捕獲のためとはいえ、他国の領海に無断で踏み入られた件、よく考えるように。今回は国民に被害が及ばず、我が国にも影響を及ぼす魔物の捕獲もできたため、相殺ということで、処分はこちらからは何も申し出ない。今後は両国の友好のためにも、自らの行いに十分の注意を持つことを願う。』との仰せです」
ローランド卿は溜め息をついた。そして静かに足を組む。
「いくら国王陛下のご命令とはいえ、貴殿もご苦労なことだな、カニバーリェス卿。あんな辺境の島に少々立ち入ったからといって、『国民』に何の危険があるというのだ。むしろ、より害をなす者を捕えたのだから、小言でなく、感謝の一つくらいあっても良いのではないかな」
カニバーリェス卿は、むっとしてローランド卿を見た。跪くのはやめ、立ち上がって近くの椅子に腰を下ろす。
「私からも警告しておくよ、ウィリアム。君は今まで何度もロン島の周辺に来たことがある。たしかに公海で留まってはいるが、理由はどうあれこんなことがあった以上、我が国に対しての牽制行為としかとれない。私がそう思わなくても、他の者は皆、警戒しているぞ。それとも本気の挑発か?君ももういい大人だろう。少しは慎みたまえ。君とシアーズの私情は国家間には関係のないことだ」
嫌味なほど冷たい目で、ローランド卿は彼を見返した。頬杖をつき、だるそうにする。
「いつまでそうやって人の私情に土足で踏み込んできたら気が済むのかな、フェルディナント。私は自分の仕事をしているだけだ。私情なんか知ったこっちゃない。そもそもあんな島を領地に持っていながら、一向に対処できない方が責められるべきだと私は思うよ」
「我が国を侮辱する気か!それはひいては国王陛下を侮辱することでもあるんだぞ!さっきも言ったが、自分の行動には責任を持ちたまえ。子どものような真似はよすんだ」
カニバーリェス卿は、机を拳で叩いた。衝撃で本が一冊落ちた。音がよく響く。ローランド卿は本を拾い上げ、しばらく黙った。カニバーリェス卿の手を、まるで不浄なものを見るかのような目で眺める。
「君は今、スペイン語でなんて言ったのか、良ければ俺に分かるように説明して欲しいんだが」
「……何?」
暫く沈黙が流れた。ローランド卿は左手を額の方へ持っていき、左目を掌で覆い隠すようにした。
「だから、我が国には机を叩く表現がなくてね。おおかたそれはスペイン語なんだろう?私はそんなにスペイン語がうまくないのでね。今、ほとほと理解に苦しんでいるところだ」
「私はお前のそういうところが大嫌いだ、昔から」
カニバーリェス卿が吐き捨てるように言う。
「ああ、とっても嬉しいよ」
棒読みでローランド卿は答えた。
ローランド卿はさっきから額の古傷を指でなぞっている。癖だろうか。深い深呼吸をし、カニバーリェス卿は少し落ち着きを取り戻した。