目に見える全ての私が愛していますわ
次の日のこと。
学校に行くと、校門の前から何やら他人事ではいられなさそうな騒ぎが起きていた。
「あらあら……」
その呟きを俺は聞き逃していない。事態を理解する必要もなくカゴメの仕業だと気づけた。するとこの騒動を起こしている人物は十中八九海東だ。今朝からどうも様子がおかしいとは思っていた、珍しく朝の悪戯もなしに早く学校へ行こうだなんて、本人は『気まぐれでございますわよ』などと誤魔化していたが嘘が下手だ。目先の悪戯より驚いてほしい事があると悟って乗ってみたが―――
「何が起きてるんだ……?」
純粋に人だかりのせいで見えない。聞き分けられる声の限り最前線には教員たちが居て誰かを怒鳴っているのは分かるが、それが海東かどうかも曖昧だ。野次馬のように群がる生徒達を注意しているのかもしれないし、或いは全く別の事情から怒り心頭なのかもしれない。
「もう、友人様には是非ともご覧いただきたかったのにこれでは一見も難しそうですわね」
「……何となく予想はつくけど、何をしたんだ?」
「あら、何となく予想がついていらしているなら私に聞かずともよろしいでしょう? ククク……そう身構えずとも、殺しなんていたしませんわ。では裏門からは入り直しましょう? 向こうは通学路と呼ぶには道が悪くそれほど人だかりは出来ておりませんから」
どうだろう、同じ発想をする人間が皆無とは思えないが……しかしこんな場所で立ち往生を食らっている場合ではないのもまた事実。何事かを確認するのもそうだが校舎に入れなければ遅刻扱いにされる可能性だってあるのだ。カゴメの言う通り踵を返し、ぐるりと校舎を回り込んで裏門の方へ。案の定同じ発想をした人間は数人いたが、彼等はいずれも、まるで見えない壁があるかのように踏み込まなかった。
そして俺の隣を歩くカゴメを見るなり、何故か校庭の方とこちらを何度も見直している。
「なんだ?」
「あ、いえ……あの……」
俺なんかに敬語を使うという事は一年生か。足止めを食らっている人間に学年やクラスは関係ない……とんだ大迷惑だ。しかし驚いているというよりどちらかと言えば困惑が勝っており、俺もカゴメの方を見遣ると彼女はそのリアクションを待っていたと言わんばかりに口元を袖で隠して微笑んでいる。
「…………分かったよ。俺も見るとしようかな」
「はい! はぁい! 是非!」
裏門を通って校庭に飛び込むと、そこには髪を真っ赤に染めて女子の制服に袖を通した海東の姿があった。
「………………」
カゴメと同じように髪(ウィッグ?)を結び、スカートの丈も合わせ、自分こそがカゴメマコトであると主張しているようだ。彼もしくは彼女は書道部がパフォーマンスで使うような大きな筆を手に取り、校舎の壁に自画像を描いていた。つまり……カゴメの顔だ。
「アハハハハ! カゴメ、カゴメですわ! 私が沢山いましてよおおおおお!」
「おい、海東! やめろ!」
「警察呼べ警察! こいつ……殴っちゃ駄目か!!」
「抑え込んで!」
何処からともなく持ち出した大量の絵具を筆先にたっぷりと浸して書き殴る、描く、うねらせる。校庭の砂を、コンクリートの壁を、教員の車をキャンバスに。先生達が怒鳴っていたのは勿論海東を止める為だろうが、それ以上に私物を汚されて怒っていたのだ。
この異様としか言えない光景にどうコメントしたものかと悩んでいると、背中をつんつんと叩く冷たい感触に気が付いた。振り返ると、カゴメが期待を込めた眼差しで見つめている。
「…………」
「友人様? 友人様ぁ? 何か、仰りたい事は?」
「……」
どうコメントしたらいいか分からない、そういう時は父親との約束を思い出せばいい。悪戯をされたら必ず驚かないといけないという決まりはここでも有効だ。悪戯をされたのは海東だがそれを見せられているのは俺で―――友人様としては、望み通りのリアクションをしてやらないと何をされるやら。
息を大きく吸い込み、声を張り上げた。最早何度目かも分からない、理性への欺瞞。
「何をやっちゃってくれてんだお前はああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「きゃああああああああああ♪」
自分でも阿呆らしいとは思う。だが実際は驚いてないのに精一杯驚く生活を約十年も続けていると体は順応する。勝っていた筈の困惑は潰え、代わりにありったけの驚愕を心にもたらしてくれた。
「アイツ何が起きてんだよ!? 何でお前の恰好してお前の事を描いてんだよ。何で止められないんだよ、何で喋り方までお前そっくりなんだよ! 一体全体アイツに何があったらあんな事になるんだよ! さっさと戻せえ!」
「流石は友人様! 私の期待を裏切らぬ驚きぶりに感動しておりますわ! しかしながら……戻すというのは解せませんわね。詳しく聞いてもよろしくて?」
「いや……ええ? 難しい事は何も言ってないぞ! 戻せよ海東を、告白してきた時の軽薄そうな感じにさ。あれじゃ自認がお前の女装趣味と迷惑行為が大好きなやばすぎるクラスメイトだろ」
「…………それは、難しい話ですわ。人間様は私の手であのような姿に変えられたのではなく、自らの意思で変わる事を選んだのでございます。ですから、戻せませんわよ」
「は、はあ?」
校庭の乱闘は段々と泥沼化していく。表の校門から雪崩れ込んできたクラスメイト達もまた事態を察知し、各々したいような行動を取っている。撮影する者、止めに入る者、感動する者、落書きに協力する者、ライブ配信をする者まで。
もしやと思いSNSで軽く検索を駆けると、『#カゴメマコト』のタグと共に無数の投稿がされているではないか。それでようやく……カゴメは悪戯に端から収拾をつける気などなかったと悟った。
「友人様ぁ? 長くお付き合いしてまいりましたがそろそろ限界でございますわ。私は―――友人様を手に入れる為でしたら、人間様など如何様にも壊せますわよ?」




