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シェンリィスが通常職務に戻ったのは翌日の事だった。
竜王の命令で一日ゆっくりと休ませて貰い、三日ぶりの職場になった。通常よりも早い復帰になる。
彼が休むことは珍しいことではない。最近では頻繁になりコラルでは「‘右の翼’は折れた」と噂されるようになっていた。シェンリィスのような若い竜が急激に力を衰えさせることは無いわけではない。特に混乱期であれば歪みにあてられ衰弱死する例もあるくらいだ。
だが、シェンリィスの力は衰えてはいない。むしろ年を追う事に強くなり、剣での試合であれば竜王をも凌ぐ技術を持っていた。
彼が頻繁に体調を崩すのには理由がある。
「あ、おはよう、シェンリィス。今回はそんなに寝込まなかったんだね」
明るく声を掛けてきた友人にシェンリィスは笑い返す。
「おはよう、ハイノ。心配かけてごめんね」
長身の友人は人懐っこい笑みを浮かべた。
昔は自分より小柄だったハイノだが、いつの間にか背を越され、今では見下ろされるような状態になっている。フェリアルト種はもともと体格のいい竜が多く、彼もまたその類に外れなかったようだ。
「‘治る’って信じているから心配はしないけどさぁ、やっぱシェンリィスがいないとつまんないんだよね。剣の訓練も他の人相手じゃあんまり訓練にならないし」
「レシエが相手してくれるんじゃないの?」
彼は顔の前で手を振る。
「駄目駄目。今回シェンリィスが倒れるの立て続けだっただろ? 彼女ずっとそわそわしっぱなしでさ、練習に身が入ってないの。仕事の時はさすがに切り替えてたけど。アグラムはずーーーーっっとピリピリしてるから他の人たち全然近づけなくてさ、おかげで諸連絡とかみんな俺かノアを通してしようとするんだよ? 迷惑な話だよね。やっぱ君いないと回らないよ」
盛大に顔を顰めて溜息を付く。
その様子が目に浮かんでシェンリィスはくすくすと笑った。
「それは、ごめん」
「ま、俺としてはシェンリィスが元気そうだからいいけどねぇ」
彼は掛け値のない笑みを浮かべて見せる。
心配していないと言った癖にどうやら心配してくれていたようだ。
ハイノは明るく気の良い竜だ。シェンリィスが竜王の戦士の候補生として招かれた時、彼は既に城にいた。元々は孤児でフェリアルトの職人通りに住んでいたようだが、能力を見込んだフェリアルトの領主の妻アルハの紹介でコラルに招かれたと彼は言う。戦闘となれば恵まれた体格と力強さを生かした戦い方をするが、普段の穏やかでのんびりとした性格というのはフェリアルト種の特徴的なものだろう。彼のこの性格には幾度も助けられている。
「でもさ、アグラムが気を張っているのはいつものことだけど、今回ちょっと酷かったんだよね。俺も近づくの躊躇うレベル」
シェンリィスは瞬く。
「そうなの?」
「うん。シェンリィスが休んでる間、俺たちが出なきゃいけないことがあったんだけど、殆どあいつが飲み込んだんだよね。数にして七。ちょっと多いよね」
数字を聞いて顔を顰める。
「……アグラムは、今どこ?」
ハイノは大仰に肩を竦めて見せる。
「大丈夫だよ、翼の色はそんなに変化無い。今回は数こそ多かったけど、厄介な程じゃないから、今回はアグラムが処分する程じゃなかったんだけど、何か発散するみたいに暴れて手が付けられなくてさ。正直、彼が悪夢に飲まれたかと思ったくらい」
「……本当に大丈夫なの?」
「君がどうこうする必要はないと思うよ。さすがに暴れすぎって、陛下に叱られてしょんぼりしてるよ。シェンリィスが復帰するって聞いたからってのもあるかも知れないけど。アグラムはアレで結構真面目だからいつも穴を埋めなきゃって頑張りすぎるところがあるからね」
「そっか……じゃあ、迷惑かけちゃったかな」
「迷惑っていうか、お互い様だと思うけどね。アグラムが自分の力を遠慮無く振るえるのって、最終的にシェンリィスが止めてくれるって分かっている所あるんだと思うよ」
「それこそいい迷惑だよ。僕だって悪夢と対峙する時は殺す気で行かなきゃいけないのに」
溜息を付くとハイノはからからと笑う。
「だから、お互い様。……でも今回はそんな風じゃ無かったんだよね。頑張りすぎて空回りするような奴でもないでしょ? 今回ばっかりは何か……うん、何ていうんだろうなぁ、八つ当たり? みたいな感じに見えたんだよね。普段のあの‘戦場こそ俺の生きる場所だぜぇ☆’みたいな感じの楽しそうな感じ無かったんだよね」
「それは……確かに変だね」
アソニア種は竜の中でも好戦的な性格をしており、異界育ちのアスカすら命のやりとりは好きではないと言いつつも戦闘を楽しんでいる傾向がある。アグラムはその最たるだろう。相手が強ければ強いほど興奮し酔いしれる。相手が弱くても、自分に噛み付いてくるような相手を好む。泣き叫ぶ女や子どもを嬲って喜ぶような性格では無いが、気に入った相手を執拗にいたぶるような所もある。八つ当たりで暴れ回ってもおかしくないと考える人も多いと思う。
(でも)
シェンリィスは考え込む。
血の気の多さと気性の荒さで、多くの人に勘違いをされているが、彼はそれだけの男ではない。戦いを何よりも楽しんでいるが、見境無く大暴れをしているわけではない。
だから、ハイノの語る彼には違和感がある。
何かがあったのだ。
立て続けであったとしても、いつものことであるシェンリィスが倒れた程度のことで彼が錯乱するわけがない。無茶苦茶な戦い方をしているように見えても彼は冷静な判断が出来る男であり、そんなおかしな戦い方をしたというのならばよほどの何かがあったのだ。
(思い至る事があるとすれば……)
アスカ王の事か、アグラム自身の問題か。
本人は否定しているが、アグラムはアスカのことを竜王である前に父親のような存在として見ていると思う。集められ戦士として育てられた殆どが彼を父親のように思っている。シェンリィスも例外ではない。おこがましいと思いながらも、故郷の父親よりも父親だと思っている。
アスカに何かがあればアグラムが取り乱す事があってもおかしくないと思う。だが昨日会った竜王はいつもと違った様子はなかった。
(あんな事を言いに来たのは珍しいと思うけど……別に初めてのことじゃないし、お元気そうだった)
アァクも普通だった。不思議な物言いをしていたが、彼は元々ああいった物言いをする。そもそも彼の言う‘万里’という意味が分からないのだが、時々世界中で起きた全ての出来事を知っているかのようなしゃべり方をし、実際そうではないかとも思う。何かの制約があるのか全てを話せない様子だったが、彼は物事をよく知っているし本質を理解している。だから子どもらしくないしゃべり方も、彼に何か変化があったからとは思えない。
(そうなると、赤妃様……?)
それも違う、と思う。赤妃に何かあれば愛妻家であるアスカがあれだけ普通にしているはずがない。それに霊酒を作ったと言った位だ。繊細な魔力の調整が必要な霊酒作りを体調の悪い時に出来るはずもない。
(でも、なら何で?)
何故彼はそこまで心を乱したのだろうか。
誰かとケンカして苛立っていたのなら、ハイノがそう言うはずだ。自分がアグラムと長い付き合いになったように、ハイノも彼と長く付き合っているのだから。
「案外と」
シェンリィスはくすりと笑う。
「僕のことが心配すぎて気がおかしくなったんだったりして」
「ん? んんーー、そういうこともあるのかな?」
「陛下曰く僕のこと好きらしいからね、彼。立て続けに倒れて心配しすぎちゃったのかも」
「あはは、あるような気がしてきた。ほんと、おかしな趣味疑っちゃうくらいシェンリィスのこと好きだからねぇ」
「ホント迷惑。ああいうの、すとーかーっていうんだって、陛下が言ってた」
「わぁ、不穏な響き」
「…………聞こえてるぞ」
後から肩を掴まれて、シェンリィスは冷ややかに笑う。
「聞こえるように言ってるんだよ」
「気配分からない訳ないよねぇ。敵意隠しもしないし」
からからとハイノも笑う。
一人額に青筋を浮かばせてアグラムが二人を睨め付ける。
「いい度胸してんじゃねぇか。死ぬ覚悟は出来てるんだろうな?」
「いつでもその覚悟は出来てるけど、生憎、君に殺されたいなんて思ってないよ」
「俺も勘弁して欲しいなぁ。可愛いお嫁さん貰うのが夢なんだ。子どもは三人くらい欲しいし」
挑発するように笑って見せるが、彼は顔を顰めただけでそれ以上突っかかって来なかった。いつもならじゃれ合いのような口論が始まって勝負と称した訓練が始まるというのに、今日に限ってはそれがない。
いつになく神妙な面持ちでシェンリィスの肩を掴んだ。
「……話がある」
何も言わずに付いてくるように命じるような高圧的な態度に文句の一つでも言おうかと思ったが止めた。
先刻のハイノの話のようにやはり彼の様子はおかしい。何かを思い詰めているようにさえ見えた。
ハイノと顔を合わせると、アグラムはハイノに視線を向ける。
「お前は来るな」
「え? 何、俺だけのけ者? 酷くない?」
「……」
黙り込んだアグラムにハイノは何かを察したように彼を見つめる。
「……俺には話せない事なんだね?」
「悪いが、他に話すつもりはない」
ハイノは盛大に溜息を付く。
「秘密事って気分良くないし、突っ込んで聞きたいところだけど、君から‘悪い’なんて言葉聞いたら引き下がるしかないよね。時間かかるの?」
「……多少は」
「決闘したいとかそういう事じゃないよね?」
「ああ」
「二人っきりになって愛の告白したいとかじゃないよね?」
「分かった、後でお前の首の骨かみ砕いてやる。安心しろ」
低く唸るアグラムにハイノは笑う。
「それは遠慮しとくよ。……上手くやっておくから早めに戻ってきてね」
「任せた」
言うと彼は踵を返しシェンリィスに見向きもせずにずんずんと進んでいく。シェンリィスは目線で任せるとハイノに合図を送り、彼の後を付いていく。
酷い胸騒ぎがした。