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アグラムがシェンリィスを連れてきたのは彼の自室だった。昔から代わり映えのない必要最低限のものしかない殺風景な部屋だった。部屋をあてがわれていたものの、彼がこの部屋に戻る事は稀であり、使われていないと言ってもいいくらいだ。それでもきちんと掃除が行き届いているのが分かる。こういった掃除をしているのは彼自身ではなく、シェンリィスより前に来ていた先客なのだろう。
彼女は背筋を伸ばし、シェンリィスに挨拶をする。
「お待ちしていました、シェンリィス様」
「ノア? 話があるってもしかして君からなの?」
彼女は小さく首を振った。
「そうとも言えますし、違うとも言えます。アグラム様があのことをお話になると思ったので私も同席させて頂こうと、無理をお願いしました。……ここを外界から遮断します」
言って彼女は魔法をかける。一瞬だけ薄い膜に覆われたような息苦しさを覚えるが、すぐにその違和感は消え、いつも通りのアグラムの部屋に戻る。だが、全くいつもどおりではないことをシェンリィスは知っていた。
一種の結界のようなものだ。アグラムの部屋を一時的に別の空間へ切り離したのだ。これによってノアが死ぬか結界が説かれない限り、誰も外に出れず、入ることも出来ない。故に誰にも彼らの会話を聞かれる危険性が無くなったということになる。外部から力ずくで干渉することも出来るだろうが、それをすればやはりノアが命を落とすことになるだろう。これが彼女の能力の一端。攻撃的な能力をあまり持たない彼女が得意とする空間支配の魔法だ。
シェンリィスは真剣な表情で彼女を見る。
「ここまでするって事は、よほど重大な事を話すって事だよね?」
「アスカ様はアグラム様に知らせるのさえ躊躇っておいでのようでした。ただ、アスカ様の身に何かあれば赤妃様とご息女をお守り出来るのはアグラム様しかいないとお考えのようでした」
「……ご息女?」
彼女の口から出た言葉に混乱をする。
今の口ぶりからはアスカの子どものように聞こえる。けれど、アスカの子はアァクただ一人だ。アァクは少年であり、少女ではない。彼が女であるとでも言うのだろうか。それとも。
「赤妃は妊娠している」
それはおめでたい事だ。だが、彼の口調も、ノアの様子もとても吉事であることのようには思えない。むしろそれが最悪の自体であるようにさえ思える表情だった。
「……なんで二人ともそんな顔しているの?」
まさか、赤妃の身体が保たないと言うことなのだろうか。赤妃はそれほど丈夫な竜ではない。十分にあり得たが、そんな風にも思えなかった。
重い口調でノアが続ける。
「正確に申し上げれば妊娠とも言い難い状況ですが、個として分かれるべき魂を宿しているのは確かです。……もう八十年ほどになります」
「八十年? まさか、そんなの、あり得ないよ」
竜は種族によっては出産までに時間が掛かる場合がある。古い文献の中には五十年の妊娠期を経て出産したという例も記されていたが、さすがにそこまで長く身ごもっていることはない。通常であれば二年、長くても十年といったところだろう。それ以上は腹が膨れすぎて母胎が保たなくなってくる。けれど、赤妃にそんな様子は見えない。アァクの時に見せていたような腹の膨らみもなければ、いつもと変わらず動いている。
「赤妃は肯定している」
「八十年って、アァクが産まれた頃からってこと?」
「あいつを身ごもったと同時期に宿したと考えてもいいと思う」
「……僕をからかってるの?」
「事実だ」
「じゃあ、仮にそうだとして、女って確信するのはどうして? ノアが未来を読んで君に伝えたってこと? 星読みは不用意に未来を口にしちゃいけないものだったよね?」
ノアに確認すると彼女は頷く。
彼女が星読みの才覚があることはごく一部の者しか知らない。竜王の戦士候補として集められた子どもの一人だが、戦いに向かない性格から竜王やアグラムの身の回りの世話を焼く女官として仕えているだけと思っている者が圧倒的に多いことだろう。
「はい。私たち星読みは、必要な時に星の軌道を読み、お伝えするのが役目です。通常であれば産まれてくる子の性別をお伝えすることはありませんし、星の軌道では判別出来ないことも多い事柄ですが……確信出来る理由があります」
彼女にこちらを謀っているような様子はない。
そもそもこんなやり方は手が込みすぎているし、理由もないだろう。シェンリィスは腕組みをして椅子に座り込む。
「……理由って?」
「シェンリィス様は当代精霊王に性別があることをご存じですか?」
突然出てきた関係の無さそうな単語にシェンリィスは思考を巡らせる。
精霊はそもそも性別がない。どちらでもなく、どちらでもあるものと言えるだろうか。自分の思うままに、或いは相手の望むよう性別を決め姿を見せる事もあるようだが、はっきりと男女どちらかとは言えない存在と聞く。
精霊王に性別があると言うことはどういうことだろうか。
「精霊は何らかの理由で二つに分かれた時、雌雄をはっきり分けると聞きます。そうすることで個として安定するそうです。……当代精霊王イオス様は男性体を保っています」
「ちょっと待って、それを理由にするってことは……」
「イオス様の本来のお名前はイオシイナ様。分かれた女性体はシイナ様というお名前です」
「シイナ?」
混乱した。
赤妃はアスカと婚姻する前から号で呼ばれている。赤姫と呼ばれ、アスカ即位に尽力したと言われている。婚姻後赤妃と号が変わり、皆その名前で彼女を呼ぶ。ただ一人、アスカだけは彼女のことをシィナと呼んでいる。それも身内とも呼べる自分たちの前でだけだ。一般には名前が伏せられ赤妃以外の名前では呼ばれていない。それは単純にアスカが彼女の名前を呼ぶのを自分の特権としているだけと思っていた。昔気質の竜は伴侶の名前を他人に呼ばせたがらないことも多く疑問にも思っていなかったが、考えて見れば異界育ちのアスカがそんなことにこだわるとは思えなかった。
「精霊は時折仮初めの肉体を得て人と交じる事があります。産まれてくる子は、どちらの性質も受け継いだ子であることが多いのですが、精霊王ほどの力があれば精霊の性質だけを分けて産む事も可能であると聞きます。私たちのような雌雄を別とする生き物には理解しがたいことですが、一つのものであったものが二つに分かれ、それぞれの個として生きることになるそうです。アスカ様と赤妃様の子はアァク様、竜の性質を持つ、男性体です。そうなればもう一人のお子様は女性体でなければおかしいのです」
彼女の言葉から導き出せる答えは一つしかない。
けれど、そんなことがあるわけがない。
「おかしいよ、だって、それじゃあ赤妃様は……」
「赤妃は精霊王だ」
「そんな……!」
叫んで声が掠れている事に気付く。
事実であるとしたらとんでもないことだ。世界の常識も、この谷のことも根本的に覆す事にならないだろうか。
「そんなはずないよ。だって、いくら精霊王でもこんな長期間竜の谷にいて平気なはずがないよ。そもそも赤妃様からは竜の気配が……」
「当然だ。赤妃はジジイと血の契約を結んでいる」
「ますますあり得ないよ……」
人間と竜が契約を結ぶことは歴史的に幾度かあったことだ。人間の大帝国時代の末期、アルレイトという竜とイクシールという人間が契約を結んだことがある。大昔、迅雷王リヒトが冥府の王と契約を結んだ人間を封印するために、人の少年と契約を結び力を貸したというのも有名な話だ。
竜と契約をした人間は人の身には余るほどの力を得る代わりに、運命を縛られることになる。契約する竜が強ければ強いほど、負う定めは強くなり、子々孫々に至るまで続くという。イクシールの場合彼自身が得ていた邪神の力が強かったためにアルレイトの方が彼の運命に縛られたようだったが、迅雷王が行った契約は数千年もの間一族を縛り続けたと聞く。
けれどそれは相手が人間であるから出来ることだ。性質の全く異なる精霊は谷に居るだけでも消滅してしまう。契約して長くとどまることは不可能なことだ。
まして王が王と契約するなんて聞いたことがない。
けれど同時に彼女が精霊であれば納得出来ることもある。身体が弱いのも谷で竜ではない部分が安定しないから庭の結界の外へ余り出なかったと言える。髪の色も生え際が時折金色のように見えていた。それもただ光が反射してそう見えるだけと思っていたが、元々金色だった髪を赤く染めているのなら頷ける。精霊種が得意とする霊酒作りが上手いのも元々精霊であるならば問題はない。何より時折感じる不思議な魔力の気配は、精霊であると聞かされれば納得してしまえるものだ。
けれど、とシェンリィスは首を振る。
「僕達は赤妃様の本来のお姿を見たことがあるはずだよ」
幼い頃の事だ。
アスカを助けるために赤妃が竜の姿を見せた事がある。輝きを帯びた緋色の美しいアソニアの竜だった。
「俺もそのせいでずっと騙されてた。……だが、よく考えてみろ。精霊連中が対人間にやることがあるだろ」
「惑わし術……?」
「俺たちは、あの時だれも赤妃の身体に触れてはいない」
確かに言うとおりだ。あの時、誰も赤妃の身体に触れていないし、赤妃も他の竜に直接的な攻撃をしなかった。
あの場に居合わせた全員が惑わされるなんて想像も付かないことだが、アスカと赤妃が本気で謀ろうとして見抜ける自信は正直ない。
「……順を追って説明をしましょう。そもそもシイナ様がイオス様と存在を分けられたのは白磁暦にまで遡ります」




