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替え玉お嬢様は魔法がつかえない  作者: 永杜光理
五章 愛と願いは時を越える
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第33話 若き弟子の思い出

 濃い霧の向こうに、摩李沙はある光景を見た。

 それは歴史のはしに忘れ去られた、哀しい悲劇。








 誰かが嘆いていた。女性の声だ。

 豊かな青い髪の、美しい人。あどけない乙女のような部分もあわせもつ彼女には、幼い子がいた。

 しかしその子は無情にも、時の彼方へと連れ去られた。


「バルタザール! バルタザール……」


 狭い小屋の中、寝台に突っ伏して彼女は泣いている。止めどなく流れる涙はそのうち川になるのではと思うほど、その慟哭は深く果てがなかった。


 周囲には男たちが集い、何とか慰めようとしている。年齢はバラバラだ。壮年から幼さの名残がある青年まで、たった一人の彼女のために膝まづいていた。


「師匠、どうか落ち着いてください。せめて何かお召し上がりください」

「つらいお気持ちはお察しいたします。ですが今日で五日目です。ご子息の捜索は我々もいたします。嘆くばかりよりも、行動すれば少しでも気が晴れるかと」


 男たちは沈黙する。様子を伺うためだ。

 臥していた彼女は身を起こした。両の袖は、涙ですっかり色が変わっている。

 可憐な美貌を備えた人は、涙と悲しみによってやつれ果てていた。


「ごめんなさい。まだ一人にさせてください」


 弱々しく言い残し、女は小屋から立ち去った。

 残された男たちは次々とため息をついた。そこには苛立ちも混ざっている。


「偉大なお方なのに子供一人でここまで動揺なさるとは、拍子抜けだ」


 すかさず、最も若い青年が反駁する。


「その言い方はあまりにも非情です。取り消してください」

「だが事実だろう。師匠はお若い。床を共にする男が現れれば、子供はいつでも産めるはずだ。そうだ。愛する師匠のため、いっそお前が体を捧げたらどうだ? トアン」

(トアン?!)


 その名前に摩李沙は叫びそうになる。目の前の彼は二十歳前後くらいだろうか。摩李沙が知っているトアンよりも若い。その場の誰よりも生気あふれ、若者特有の純粋さに満ち満ちている。


(私、過去にタイムスリップしたの? でも何か違う気がする。誰かの記憶なのかな?)


 広いとは言えない小屋の中に摩李沙が現れたのに、誰も反応しない。つまり、そういうことだろう。

 トアンは怒りで紅潮し、男の胸倉につかみかかった。


「アルシノエ様を侮辱するな。弟子として立場をわきまえろ!」

「わきまえていたさ。だがもう限界だ! 時間魔法はあの女しか扱えないも同然だ。俺たちを弟子にとってくれたはいいものの、あいつの作った魔法具を使わない限り何も出来やしない。しかも発動できる魔法は、あの女が小指だけ動かせば出来るような、大したことないものばかりだ!」


 別の壮年の男性が、疲れたようにうなずく。


「アルシノエの噂を聞いた時は、希望の光が舞い降りたと思った。俺達〈嫌われた血族〉の呪いを砕く奇跡を、ついに時の女神がゆるしてくださった。先祖が過ちを犯すその瞬間を、この世から消し去ることができるのだ、と。だがとんだ茶番だったようだ」


 トアンは周囲を見渡す。

 皆、先ほどの言葉に共感しているようだ。

 怒りの炎が消えないトアンを除き、諦観の沼に沈んでいた。


「あきらめるな! 何のためにここまでやってきたんだ。今こそ師匠を支えるときだろ!」


 トアンは突き飛ばされ、よろめく。服の乱れを正した男は、吐き捨てた。


「もうやめた。人間の分際で、女神の怒りの元を断ち切ろうとしたのが間違いだったんだ」


 足音荒く出ていった男に、皆も続いた。


「待て! あんな状態の師匠を置いていくのか!」


 叫びもむなしく、小屋の扉が無情に閉じられる。

 ひとりで受け止めるには、その響きは重かった。

 彼はテーブルに拳を叩きつけ、絞り出すようにささやいた。


「ふざけるな。僕だけは何があっても、師匠を見捨てたりするもんか!」








 トアンはアルシノエをなだめ、励まし、介抱した。


 何時間も煮込んだスープを、彼女が一口飲むだけで安堵した。

 夜に涙を流すことなく眠りに落ちているのを見守り、傍らで朝を迎えた。

 はたまた、アルシノエの過去の研究成果やメモを隅から隅まで確認し、子供にたどり着くすべがないかを必死で考えた。


 その瞳には並々ならぬ熱意があった。

 しかし彼も、うすうす感じ取ってはいた。

 誰もが手を出せなかった時間魔法を使い、もてはやされるアルシノエがあれだけ嘆いている。つまり彼女の息子を取り戻すことは、とても難しいのだということを。


 それでも若さゆえか、あるいは不安の網に捕まらないためなのか、トアンは必至で己の出来ることをこなしつづけた。

 あくる日、師匠は弟子に告げた。


「トアン、今までありがとう」


 よく晴れた朝だった。小鳥のさえずりに目を細めていたアルシノエは、寝台から身を起こし、唐突にそう言ったのだ。


 トアンはそばまで行って、白い顔を覗き込む。


「僕では頼りないかと思いますが、これからもお側にいさせてください」


 アルシノエはゆるく首を振った。


「充分なほど尽くしてくれたわ。どれほどお礼を言っても足りないくらいよ」

「しかし」

「ねえ、トアン」


 アルシノエは微笑んだ。子を失う前の、弟子に慕われていた頃のように。

 その美しい人を見ながら、トアンは理解してしまった。


 目の前の女性は、もう誰の助けも必要としていない。

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