第10話 蒼蘭光石のかがやき
「お疲れ様です、エミリアさん。おや、バルタザール君は呼んではないですよ?」
「何度も言いましたが、エミリアはまだ完全に調子が戻ってないんです。ですから俺も手伝いをさせてください。よろしいでしょうか?」
「いいですよ、人手が多い方が早く済みますから」
摩李沙は腰かけたままのトアンを改めて見た。年は二十八歳で、この魔法学校で最も若い教師だそうだ。
ちなみに十歳程の見た目のキール先生は、自称三十歳らしい。
バルタザールは「キール先生は魔法省に申告してるし、たぶんそれが本当の年齢だよ」と言っていた。
(キール先生は確か、〈嫌われた血族〉だっけ。あとで復習しなきゃな)
トアンの研究室は壁の一面が本棚になっており、本や書類で隙間なく埋められていた。いつかテレビでみた、由緒ある異国の図書館みたいだと摩李沙は思う。
本以外に目をひいたのが、机の上の青く光る何かだ。
「これは?」
「エミリアさんは見たことありませんでしたか。私の研究材料である蒼蘭光石ですよ」
「蒼蘭光石?」
いくつものガラス瓶に、数個ずつ石ころが入っている。青一色の石かと思えば、わずかに黄色や濃い灰色の箇所も混じっていた。そして不思議なことに個々の石が青く輝き、光の明滅を繰り返している。上から見下ろすとまるで、呼吸している天空を神の視点から見ているようだ。
(蒼蘭光石か。どこかで聞いたな。アレンダさんが何か言ってたような)
「驚きました? アルシノエが使っていたとされる石を、研究していることが」
(そうだ。八大賢人唯一の魔女の、魔法具だ)
教科書の間に挟んだ力作のカンニングペーパーを確認したくなるが、ぐっとこらえた。
「稀代の到達者アルシノエは、時代や魔法使いの立場によって評価がコロコロと変わる人ですからね。私は変人ですから、そういうところにも興味を持ったんです。せっかくだから彼女と同じ光景を見れはしないかと、研究することにしたんですよ」
「そうなんですか」
研究と一口にいっても、何をするのか摩李沙には想像がつかない。
石を切るのか、すりつぶすのか。あるいはなにがしかの魔法をかけてみるのだろか。
「お手伝いは、この蒼蘭光石に関することですか?」
「いいえ。お願いしたいのは書類や本の整頓です」
バルタザールは別の机に積まれた何十冊もの本を、図書室へ返却しにいくことになった。
一方摩李沙は、授業に使用する予定の教科書の複写を順番通りに並べる作業にかかる。
摩李沙の良く知るパルプ紙よりごわごわしている。そんなめずらしい感触も不思議に思いつつ、地道な作業を続けた。
(この世界ってコピー機無いよね? どうやって何十枚も複写したんだろう。全部手書きなのかな?)
摩李沙は好奇心を押さえきれなかった。
「先生、どうやったらこんなにたくさん複写できるんですか?」
本に目を落としていたトアンは、意外そうにこちらを見る。
やがて探るような視線になり、マズイことを言ったかと焦った。
「図書室の司書に、無機物をいくつも複製できる魔法が使える人がいるんですよ? 本人に体力がないので、これだけ作るのには数日かかりますが。ご存じなかったのですか?」
「……は、はい。全く」
(本物のエミリアが知っていることだったかも。やっちゃったよ)
トアンは追及してくる様子はないが、しくじったかもしれないのがいたたまれず、摩李沙の手元はおざなりになってしまった。
すると。
「……っ!」
左手の中指に、小さな痛みが走った。確認すると、薄く血がにじみはじめている。
(紙で指切るのって、久しぶりかも。うう、痛い……)
「どうしました?」
異変に気づいたらしいトアンが、素早く動いた。
摩李沙の手をとると傷口に布をあて、優しく押さえてくれる。
「私は治癒魔法の心得がないのですが、とりあえず止血しましょう」
「は、はい。すみません、ご迷惑をかけてしまって」
「気にしないでください。手伝いなんかよりも、こっちのほうが大事ですからね?」
励ますように微笑まれた。授業中のトアンよりも、雰囲気がどことなく穏やかだ。
(先生ってよく見ると、顔が整ってるな。日本だったら勝手にファンクラブが作られそう)
などと、ぼんやりしていたのはどれくらいだったろうか。
「エミリアっ」
焦った声に、我に帰る。バルタザールが戻ってきたのだ。
返却しなければいけない本はまだある。再び図書室へ行くかと思えば。
「怪我したのか?!」
「うん。たいしたことないけど」
「見せてみろ」
彼はトアンと摩李沙の間に割って入る。指の切り傷を見て、唇をかんだ。
「ごめん」
「謝らないで。私の不注意だから」
「君を一人にすべきじゃなかった。俺も一緒に、こっちの作業から取り組めばよかったんだ」
摩李沙が申し訳なさを感じてしまうほどに、責任を感じているようだ。本物のエミリアを見失った負い目も混ざっているのかもしれない。
無言で何かに耐える少年に、どう言葉をかけるべきかわからなかった。
「あのー、私もいるんだけど、覚えてる?」
突然バルタザールは身をひるがえし、トアンから摩李沙を庇うように立った。
「バルタザール君?」
「エミリアに近寄らないでください」
押さえた声だが、敵意を滲ませている。摩李沙はあわてた。
「違うよっ。先生は何もしてない。私が勝手に怪我をしただけだよ」
「そうですバルタザール君。私は潔白です。生徒に手を出すなんてふしだらな真似はしません」
「……作業の途中ですが、もう帰ってもよろしいでしょうか?」
警戒を解こうとしないバルタザールに、トアンは肩をすくめた。
「わかりました。今日は特別ですよ。気をつけてお帰りなさい」
バルタザールは鞄やらを持つと、摩李沙の手を強引にひき、さっさと研究室を後にしてしまった。
引っ張られるがままの摩李沙が振り返った先には、トアンが笑みを保ったまま、布をひらひらさせ手を振っていた。




