第22話 旅の終わり
商人ギルドを出て
私は
新しく作ったギルドカードを
もう一度見る
マサキ
ちゃんと
私の名前がある
そして
手元に残った
700G
身分証もできた
商人をやってみることも
決めた
あとは――
「今日の宿、どうすんだ」
「……宿?」
バルドに言われて
足が止まる
そうだった
商売がどうとか
考える前に
今日寝る場所がいる
「何も考えてなかったわ」
「だろうな」
「何よ、その分かってましたみたいな顔」
「実際そうだろ」
「正論」
アルネスに着いて
入街料を払って
商人ギルドへ来て
身分登録して
商人をやってみようって決めて
そこまでで
頭がいっぱいだった
「どこかいい宿知らない?」
「《麦穂亭》に行け」
「麦穂亭?」
「大通りから少し奥にある宿だ」
「どんなところ?」
「安い。綺麗だ。飯もうまい」
「あら、最高じゃない」
「一人部屋もある?」
「ああ」
「いくら?」
「確か800Gだったはずだ」
「800Gね」
800G
「…………」
自分の持っている
お金を確認する
700G
「…………」
「何だ」
「足りないわ」
「だろうな」
「分かってたなら先に言いなさいよ!」
一泊すら
できないじゃない!
しかも
これは部屋代だけ
ご飯を食べれば
当然
もっとかかる
商品なら
通販で仕入れることもできる
とはいえ
宿代も
食事代も
現地で買う物だってある
700Gじゃ
商売以前に
生活できない
「どうしようかしら……」
「ほら」
「ん?」
バルドが
荷物の中から
小さな革袋を取り出した
そのまま
私へ差し出す
「何これ」
「餞別だ」
「餞別?」
受け取る
ずしりと
重い
中で
硬いものが
ぶつかる音がした
明らかに
一枚や二枚じゃない
「……ちょっと」
「何だ」
「これ、結構入ってない?」
「ああ」
「ああ、じゃないわよ」
今の私には
ありがたい
ものすごく
ありがたい
このままじゃ
宿にも泊まれないんだから
でも
だからこそ
簡単に受け取っていいのか
少し迷う
「これから宿に泊まる」
「ええ」
「飯も食う」
「食べるわね」
「商売するなら何かと金もいる」
「……そうね」
「なら持っとけ」
何でもないことみたいに
言う
確かに
今ここで
格好つけて断ったところで
困るのは私だ
「……分かった」
袋を
しっかり握る
「ありがたく使わせてもらうわ」
「ああ」
「でも、次に会った時返す」
「いらん」
「私が返したいのよ」
「餞別だぞ」
「分かってる。でも貰いっぱなしは嫌なの」
バルドが
少しだけ
黙る
そして
「なら増やして返せ」
「…………」
思わず
顔を上げた
「言ったわね?」
「ああ」
「後悔しても知らないわよ」
「するほど稼いでから言え」
「上等じゃない」
いいわ
そこまで言うなら
増やして返してやろうじゃない
今の私は
商人ですらない
でも
これから
なるんだから
「それで《麦穂亭》はどっち?」
「この大通りを真っ直ぐ行け。青い屋根の道具屋を右、二本目を左だ」
「青い屋根を右、二本目を左ね」
「少し行けば麦の看板がある」
「分かったわ」
これなら
迷わず行けるでしょう
……多分
「アンタは?」
「俺も俺の商売がある」
「そう」
それだけで
十分だった
バルドは
私の案内人じゃない
行商人だ
自分の商売があって
自分の行く場所がある
そして
私は
ここに残る
アルネスで
自分の商売を始める
「…………」
分かっていた
ここまでだって
ずっと
分かっていた
大きな街に着いたら
バルドとは別れる
そのために
いくつもの村を回って
商売を見て
この国のことを
教えてもらった
なのに
いざその時になると
思っていたより
寂しい
「……変な感じね」
「何がだ」
「アンタと別れるの」
ラーニア村を出てから
ずっと
当たり前みたいに
隣にいた
馬車に乗って
村から村へ
商品を売って
ご飯を食べて
夜になれば
同じ火を囲んだ
最初は
少しの間だけ
ついていくつもりだったのに
気づけば
随分長い旅になった
「バルド」
「何だ」
少しだけ
迷って
それでも
ちゃんと言っておく
「……あの道で、アンタに会えて良かったわ」
「急に何だ」
「こういう時くらい黙って聞きなさいよ」
本当に
最後まで
こうなんだから
「あの時アンタに会ってなかったら、どうなってたか分からないもの」
「どうにかしてただろ」
「それでもよ」
この国のこと
お金のこと
旅のこと
商売のこと
知らないことばかりだった
それでも
バルドは
必要以上に
何かを聞こうとはしなかった
私が話したくないことには
踏み込まなかった
その代わり
知らないことは
教えてくれた
「本当に、ありがとう」
「…………」
バルドは
しばらく
黙っていた
それから
小さく息を吐く
「俺は道を教えただけだ」
「十分よ」
「歩いたのはお前だ」
「…………」
何よ
こういう時だけ
ちょっといいこと
言うじゃない
「商人やるんだろ」
「ええ」
「なら稼げ」
「急に現実に戻すわね」
「金がなきゃ商売はできん」
「分かってるわよ」
でも
それくらいが
バルドらしい
「じゃあ……行くわね」
「ああ」
「ちゃんとご飯食べなさいよ」
「食ってる」
「野菜も」
「うるせぇ」
思わず
笑ってしまった
「分かったわよ」
エッダから貰った鞄を
肩に掛け直す
「じゃあね、バルド」
「ああ」
一歩
二歩
歩き出す
少し離れたところで
一度だけ
振り返る
バルドは
まだ
そこにいた
「バルド!」
「何だ!」
私は
大きく
手を振った
「また会いましょうね!」
バルドは
一瞬だけ
黙って
それから
片手を上げる
「ああ」
それだけ
でも
十分だった
私も
もう一度
手を振る
そして
今度こそ
前を向いた
――一人で歩く
アルネスの街は
さっきまでと
少し違って見えた
人の声
馬車の音
店から漂ってくる
食べ物の匂い
呼び込みの声
全部
同じはずなのに
隣に
バルドがいない
「……本当に一人なのね」
少し
寂しい
でも
足は止めない
まずは
今日寝る場所
バルドに教えてもらった
《麦穂亭》へ向かう
大通りを進み
人の間を抜けながら
左右の店を見る
しばらくすると
青い屋根の
道具屋が見えた
「あれね」
そこを右
二本目を左
大通りから離れると
人通りが
少しずつ落ち着いていく
店の数も
表通りほど多くない
「……本当にこっちで合ってる?」
少しだけ
不安になる
でも
そのまま進むと
建物の前に
小さな看板が見えた
風に揺れる
麦の穂を描いた看板
その下に
《麦穂亭》
「あった」
思っていたより
小さな宿だった
二階建てで
派手な飾りはない
でも
外壁も
入口も
きちんと手入れされている
窓も綺麗
少なくとも
外から見た感じは
悪くない
「ここね」
扉を開ける
「いらっしゃい」
すぐに
明るい女性の声が
飛んできた
中は
こぢんまりとしていた
受付
いくつかのテーブル
その奥には
食堂らしい場所
大きくはない
でも
掃除は
きちんとされている
「泊まりかい?」
「ええ」
声を掛けてきたのは
四十代後半くらいの
女性だった
明るい表情
気取ったところのない
話し方
「一人?」
「そうよ」
「なら一人部屋だね。ちょうど空いてるよ」
「あら、良かった」
女性が
受付の帳面を開く
「一泊800G。前払いだよ」
「ええ」
「何泊する?」
「それが……まだ決めてないのよね」
アルネスに
どれくらいいるのか
私自身
まだ分からない
「なら最初は何泊かにしとけばいいよ。延ばすなら、その時に追加で払ってもらうから」
「そうね……じゃあ三泊お願い」
「あいよ」
女性が
帳面に書き込む
「食事は?」
「あるの?」
「朝が200G、夕飯が400G」
「じゃあ両方お願い」
「三泊、朝と夜付きね。4,200Gだよ」
「ええ」
餞別の袋を
開く
中には
銀貨
大銅貨
銅貨
ざっと見ただけでも
4,200G以上は
ありそうだ
銀貨を四枚
大銅貨を二枚
受付へ置く
「はい、確かに」
女性が
手早く確認する
「食事がいらない日は早めに言っとくれ。作る前なら、その分は出る時に返すよ」
「あら、返してくれるの?」
「作ってない飯の金まで貰っても仕方ないだろ」
「良心的ね」
「ただし、用意した後は駄目だからね」
「それは当然ね」
女性が
鍵を一つ取り出す
「あと、連泊ならシーツ交換は自分でお願いしてる。新しいのは二階の棚にあるから」
「それくらいなら全然いいわ」
「その分、少し安くしてるんだよ」
「なるほどね」
安いからって
汚くていいわけじゃない
必要なところは
ちゃんと綺麗にして
客が自分でできることは
自分でやる
だから
値段を抑えられる
そういうことらしい
「安いって聞いてたから、もっとこう……覚悟してたのよ」
「何を想像してたんだい」
「聞かない方がいいと思うわ」
「失礼な客だねぇ」
そう言いながら
女性は
笑っている
その返しに
私も
つられて笑った
なんか
この人
話しやすいわね
「そういえば、バルドって行商人にここを教えてもらったの」
「バルド?」
女性が
一度
瞬きをする
「ああ、あの爺さんかい」
「知ってるの?」
「昔からたまに泊まりに来るよ。まだあっちこっち走り回ってるんだねぇ」
「元気に走り回ってるわよ」
「そりゃ何より」
あの爺さん
本当に
顔が広いわね
「まだ名前を聞いてなかったね」
「私はマサキ」
「マルタだよ。この宿を旦那とやってる」
「よろしく、マルタ」
「ああ。よろしく、マサキ」
その時
奥の扉が開いた
大柄な男性が
小さな器を片手に
顔を出す
五十代くらい
落ち着いた雰囲気で
マルタとは逆に
口数が少なそう
「マルタ、塩は――」
男性が
私に気づく
「客か」
「ああ。今日から三泊のマサキだよ」
「マサキよ。よろしく」
「ゴードンだ」
軽く
頭を下げる
そして
「塩、どこだ」
「いつもの棚だよ」
「……ない」
「じゃあその隣」
「分かった」
それだけ言うと
ゴードンは
また奥へ戻っていった
「旦那さん?」
「ああ。ゴードン。うちの飯はほとんどあの人が作ってるよ」
「へぇ」
奥から
何かを煮込んでいるような
いい匂いがする
「……それは楽しみね」
どんな料理が出てくるのか
ちょっと気になる
「じゃあ部屋、案内するよ」
「お願い」
マルタについて
階段を上がる
廊下には
いくつかの扉
大きな宿ではない
一人用の部屋のほかにも
少し広い部屋が
いくつかあるみたい
廊下の端には
畳まれたシーツが置かれた棚
さっき言っていたのは
あれね
「ここだよ」
マルタが
扉を開ける
中には
ベッド
小さな机
椅子
荷物を置ける棚
そして
窓
必要なものだけの
簡素な一人部屋
でも
「……綺麗じゃない」
思わず
口から出た
シーツも
床も
ちゃんとしている
変な臭いもしない
「何だと思って来たんだい」
「だから聞かない方がいいって言ったでしょう?」
「まったく」
マルタが
呆れたように笑う
「気に入った?」
「ええ。十分よ」
「なら良かった」
鍵を
渡される
「何かあったら下にいるから声掛けな」
「ありがとう」
「夕飯は日が落ちる頃からだよ」
「分かったわ」
マルタが
部屋を出ていく
扉が
閉まる
「…………」
急に
静かになった
窓の外からは
アルネスの街の音が
聞こえてくる
でも
この部屋には
私しかいない
エッダから貰った鞄を
ベッドの横へ置く
それから
机の上へ
ギルドカード
残った自分のお金
そして
バルドから貰った
餞別の袋を置く
「そういえば……」
結局
いくら入ってるのか
ちゃんと確認してなかった
袋の中身を
机の上へ出す
銀貨
大銅貨
銅貨
一枚ずつ
数えていく
「…………」
残っているのは
5,800G
さっき
宿で払ったのが
4,200G
つまり
「……一万?」
元々
10,000Gも
入っていたことになる
餞別で?
思っていたより
ずっと多い
しかも
大銀貨一枚じゃない
銀貨を中心に
大銅貨と
銅貨まで
ちゃんと入っていた
宿代
食事
ちょっとした買い物
商売に必要なもの
これから私が
この街で使うことまで
考えて
わざわざ
使いやすいように
してくれたんだ
「……あの爺さん」
そんなこと
一言も
言わなかったくせに
次に会った時
返すと言った
そしたら
増やして返せと
言われた
「言ったわね……」
いいわ
やってやろうじゃない
このお金を
ただ使って
終わりにはしない
ちゃんと
商売をして
稼いで
次に会った時
胸を張って返してやる
それ以上にして
「覚えてなさいよ、バルド」
小さく
笑う
そして
ベッドへ腰を下ろす
ラーニア村を出てから
ずっと
隣には
バルドがいた
朝になれば
馬車を出して
道を進む
村へ着けば
商品を売る
夜になれば
同じ火を囲む
それが
今日からは
ない
「……本当に、一人になったのね」
寂しくない
なんて言ったら
嘘になる
でも
嫌じゃない
机の上には
私の名前が入った
ギルドカード
自分で稼いだお金
バルドから貰った
餞別
そして
明日から
何をするのか
それを決めるのも
全部
私
知らない店
知らない人
知らない商品
まだ
何も分からない
だから
まずは
見て回ろう
この街で
何が売られていて
何が必要とされているのか
それを知らなきゃ
商売なんて
始められない
「さて」
ベッドへ
ごろんと倒れる
まずは
今日
ゴードンの料理を
食べて
ゆっくり休む
そして
明日から
アルネスを歩こう
「忙しくなりそうね」
バルドとの旅は
ここで終わった
でも
私の商売は
ここから始まる




