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第肆夜

 今でこそ屋敷の中だけで生きている私だが、五つか六つのときには屋敷の周りを散歩していたよ。

ちょうどあの日もいつものように一人で散歩していたんじゃが、林の中に離れを見つけて。

鍵がかかっていたが、屋敷の使用人の後ろからこっそりと入った。

そしたら、隠れていてる間に閉じ込められてね。


 その中で、会ったんじゃ。

当時は人か妖怪かわからなかったのだが。

あれは女の人だったのじゃな。その人は殴られて虐げられ、ボロボロの姿だった。

だけど瞳の印象的な美しい人だったと思う。

名前を訊いたら「ヌエ」と答えたように聞こえたけど、あれは何て言いたかったのだろう…。


 そうこうしていたら、その離れに人が来た。

……それは、父だった。

私が隠れている目の前で、父はその女の人を…手ひどく抱いた。

いや、抱くというより、もう凌辱という言葉が正しいほどひどいものだった…。

うん? あぁ、心配はいらないよミワ。

お前が私の傍にいるからね。


 それから私はすっかり動転してしまって、父が鍵を閉めて出ていくのをただ見送ることしかできなかった。

それから少しして、また屋敷の使用人が離れにやってきた。

男の使用人だった。

その男も父に黙っているように脅した後、女の人を凌辱していった。

その次の男も。

その次も。


 そのあとに来たのは女の使用人だった。

使用人は女の人の体をぬぐって綺麗にすると、女の人を嘲笑って出ていった。


 そしてそのあとに来たのは、……母だった。

いつも無表情だった母は鬼のような顔をしていた。

そして女の人を罵りながら棒で何度も何度も打ち据えていた。


 女の人は、男や女に虐げられるたびに細い細い泣き声をあげていたよ。

まだばあやが生きていたときに聞いたのは、あの人が虐げられていた声だったのじゃな…。


 そして私は、つづらの中で気を失っていて次の日の昼に使用人に見つけられたんだ。

あれからだったな、私が外に出なくなったのは。

あぁ、これで全部思い出したかな…。




 意識の底に閉じ込めていた記憶を語り終わったころには、トワ子の体に力が入らなくなっていた。

ミワにすがりつく力もなく、抱きしめられることでかろうじて座っている状態だった。


 ミワは何も言わずに力の抜けたトワ子を横抱きにすると、そのまま立ち上がった。

あの儚げなミワのどこにそんな力があったのかとトワ子は仰天したが、もう声を出すのも億劫でされるがままになっていた。

ミワはそのまま危なげなくトワ子を抱き上げたまま離れへと歩いた。



 二人は離れにあるトワ子の部屋へと戻ってきた。

そしてミワはトワ子をゆっくりと敷いてある布団の上におろした。

その壊れ物を扱うかのような丁寧さに、トワ子は自分がまるでどこぞのお姫様のようだと声なき声で笑った。

ミワは一度部屋を出ていくと、湯をはった桶と布を持って戻ってきた。

そして「失礼します」とトワ子に声をかけ着物をはだけさせると、男に触れられた肌を清めていった。


 ミワの持った布が肌の上を滑るたびに、トワ子の体が熱を帯びていった。

やはり自分はあの好色な男の娘なのだな。

トワ子は熱のこもった吐息を吐きながら、ミワに気づかれたくないと願った。

やがてミワの手がトワ子の体から離れていった。

体を襲う寂しさに、トワ子はそっと閉じていた瞳を開けてミワの顔を見た。


 そこには、なにかに耐えているような苦しげなミワの顔があった。

トワ子を魅了する黒く濡れた魔性の瞳に、確かに情欲の炎がともっていた。


「…ミワ」

トワ子は上ずった声で呼んだ。



 二人の影がそっと重なる。


 絡み合うミワの舌はとても熱かった。


 やがてミワが体を引いた。

トワ子は二人の間の銀糸がふつりと切れるのを寂しげに見守った。

ミワがトワ子の唇をゆっくりと指でなぞる。


「トワ子様、すべてを忘れてお眠りなさい。お目が覚めた時には、すべてが終わっております」

底のない闇のような暗い、暗い瞳だった。

その瞳に促され、トワ子は瞳を閉じた。


 薄れゆく意識のおくで、細い細い啼き声を聞いていた。




 

 トワ子は、鋭い悲鳴をきいたような気がした。

ずいぶん眠っていたようだ。

障子に目をやれば、血に染めたように赤い夕陽に染まっていた。


 体を動かせば眠る前のけだるさが嘘のように軽かった。

トワ子は布団から出て障子を開けた。

なぜトワ子が目を覚ましたというのに、ミワが傍にいないのだろう。


 なぜ、生臭い臭いがしているのだろう。



 トワ子は廊下を歩いてミワを探した。

途中、倒れている使用人を見つけた。

何か刃物で切り付けられたようで、まるで大きな口を開けているように喉が切れていた。

部屋にも庭にもそこらじゅうに同じような傷がついた人が倒れ、そこらじゅうが血の海だったがトワ子は特に気にすることなくミワを探してさまよった。


 

 やがて奥にある父の部屋にたどり着いた。

障子は倒れ、血まみれの中が丸見えだった。

その中に、使用人と同じように倒れている父と、日本刀を持って佇んでいるミワの後ろ姿があった。


 夕陽はすでに沈みかけ、黄昏時となっていた。

――逢魔が時に遊ぶのは、誰そ、彼そ――

そんな言葉が頭に浮かび、トワ子は廊下からミワの背中に声をかけた。


「ミワ、お前はだあれ?」


 ミワは日本刀を握ったまま、ゆっくりとトワ子のほうを向いた。

髪はほつれ、乱れた使用人の着物も顔も血まみれであったが、ミワはやはり美しかった。

返り血に染まる顔で静かに微笑みかけるその姿は、魔が遊ぶこの時に相応しい姿だった。


「やっぱり、ミワは鵺だったのか」

トワ子の納得した声に、ミワは寂しげに微笑んだ。



「わたくしは、あなた様の従兄の『美和ヨシカズ』です」


 はだけた胸元からは、すべらかで丸みのない胸板がのぞいていた。


「そこに転がっている男は、金と権力と……そして横恋慕していたわたくしの母を欲し、実の兄であるわたくしの父を山で殺しました。赤子であったわたくしも崖から放り投げられ瀕死の重傷を負いましたが、父の腹心であった男に助けられ、匿われておりました」

ミワの足元には血まみれの父であったものが転がっていたが、トワ子は興味がなかった。

日本刀を持ったミワのそばに行き、寄り添いながら話の続きをうながした。



「屋敷の者たちはこの男の所業を知っていましたが、男が捕まれば自分たちの働き口が無くなるとお家存続のほうを大事にして事故というかたちでおさめました。わたくしは母の行方を知りたくて、またこの屋敷に復讐をしたくて女中として潜り込みました。」

「…ミワは、私をずっと憎んでいたのか」


 トワ子はそっと目を伏せた。

ミワが全てだったトワ子にとって、それは耐えがたいことであった。

だが静かな声がしっかりとそれを否定した。


「最初はそのつもりでした。しかし、わたくしはあなた様のおそばにいるうちにあなた様を愛してしまった。だから、あなた様から家族を奪い、あなた様を傷つけることができなくなってしまった」


 ミワの、いやヨシカズの熱い視線をうけ、トワ子は思わず抱き付いた。

血に汚れることなど頭になかった。

ヨシカズも刀を捨ててトワ子をしっかりと抱きしめた。


「母の行方だけでも知れれば、そのままわたくしは消えるつもりでした。しかし、あなた様があの下種と客間にいるとき、わたくしはそこの男の妻に隠し屋敷に連れていかれ、『お前はあの女の息子だろう? 男を誑かしてくわえこむあの売女の!! よく似ている、もう旦那様に抱かれたのかい? それとも使用人の男を銜え込んだのかい?』そう言って棒で私を打ち据えようとしました。赤ん坊のころに負った大怪我のせいか、私は男にしては見た目がひ弱ですが、力はあります。棒を取り上げて、そのまま何かに取りつかれたように打ち返しました。気づいた時には死んでいました」


 どうりで母の姿が見えないと思ったら、あの隠し屋敷で死んでいたのか。

トワ子は合点がいってうなずいた。


「その後屋敷に戻れば使用人たちが、あなた様が男に抱かれているころだなどと話しているのが聞こえて」

「それで来てくれたのか。私は、ミワがあれを見て気絶してしまうのではないかと思ったよ」


 トワ子のどこか壊れたような無邪気な微笑みに、ヨシカズはどこか困ったように微笑んだ。

「わたくしはそんなに頼りなかったですか?」

「いつも倒れそうに見えていた」

「それはひどい」

そう言ってヨシカズとトワ子は屈託なく笑いあった。

血なまぐさい部屋で笑いあう二人は、すでに壊れているのかもしれない。

あるいは、とうの昔に。



「あなた様……、トワ子様を贄に出すような屋敷中の姿に、見殺しにされたわたくしたち家族の姿が重なり、居てもたってもいられなくなり、屋敷に飾ってあった刀で…」

そしてヨシカズは汚物でも見るような目で、転がっている男を見た。


「あの男は、血まみれのわたくしを見て母と錯乱しているようでした。『ユエ、わしが悪かった。頼むから許してくれ』と」

「そうか、お母上のお名前は『ユエ』殿であったか」


 幼いときに聞いた女人の言葉が『ヌエ』でなく『ユエ』であったことを知り、トワ子は満足げに微笑んだ。




「トワ子様、いいえ……トワ子」

「…はい」


 ヨシカズは自分と同じく血で穢れたトワ子の頬を愛おしそうに撫でた。

トワ子も嬉しそうに微笑んだ。


「いつぞやの返事、していなかったね」

「返事?」

ヨシカズの言葉にトワ子は首をかしげた。

ヨシカズは微笑みながらトワ子の顔をのぞきこんだ。


「共に二人だけで、どこかへ行きましょうか」

「はい」



 ミワでもありヨシカズでもあるモノと、いつからか壊れていた少女は、しっかりと手を取り合った。






 村の高台にある森の屋敷にて、大量虐殺事件が起きた。


 野菜を売りに行った村人が第一発見者であった。

屋敷の主から使用人に至るまで、刀で切りつけられて殺されていたという。

また、屋敷から離れたところにあった小さな建物に主の妻の撲殺死体が、その近くの古井戸からは白骨化した遺体も見つかり、事態は混乱を極めた。


 町から警察が訪れ現場を調査し全ての遺体の身元調査を行っていったが、屋敷の主人の娘とその世話係の女中の遺体だけが見つからなかったという。

警察はこの娘達が何か事情を知っているのではないかと捜索したが、娘が人前に出ることのなかったために顔を知る者がおらず、早々に打ち切りとなった。


 また警察は強い恨みのある者による犯行とみて犯人逮捕に力を入れたが、屋敷の主は代々いろいろなところから恨みをかっていたようで心当たりがありすぎることと、村人たちがあまり協力的に情報提供をしなかったことからこちらもいまだはかどらず、迷宮入りになるとみられている。


 大量殺人の現場となった屋敷は取り壊され、平地となった。

事件のことを早く忘れたかった村人たちは次の世代に伝えることなく、やがて時代が過ぎるにつれて風化していった。




 ただ、訪れる者もいない森から、ときおり細い細い啼き声が風に乗って届くことがあるという。 




   げに恐ろしきは人か物の怪か

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