終章・救済
最初に僕を怪物と呼んだのは誰だったか。
もう、覚えていない。
ただ、その呼び名が広まるのは早かった。
ひとつの事件が報じられ、次の事件が起こる。画面の向こうで、僕の姿が繰り返し流れる。細く鋭く尖り、伸縮する手指。ひび割れた皮膚。不規則に歪んだ空間。逃げ場を失った影。
切り取られた映像の中で、僕はもう人間じゃない。
それでよかった。
誰かが僕を恐れるたび、誰かが僕を憎むたび、僕の立つ場所は少しずつはっきりしていく。
正義の味方の反対。世界に仇なす者。それだけのことだ。
僕の前に、次々に現れる者たち。
彼らが何を守ろうとしているのか、考えないようにした。
ただ、向かってくるのだから退ける。立ちはだかるのだから、叩き潰した。
力を振るうたびに走る痛みも、皮膚の下を這い回る異物感も、何度繰り返しても慣れるものではなかった。
それでも、あの頃とはもう違う。
自分の行動のすべてを理解している。
わかったうえで、やめない。
悪者は僕だ。
誰かが責められるくらいなら。誰かが光の中から引き摺り下ろされるくらいなら。
そう思うことさえ、いつしか口にしなくなった。
言葉にしたら、認めなくてはいけない気がした。
だから、代わりに、必要なことだけを考える。
どこまで壊せば、相手は退くのか。
どんな顔をすれば、人は恐れ慄くのか。
どんな言葉を吐けば、理解しようなどと思わなくなるのか。
少しずつ、わかるようになってきた。
力を見せつけるだけでは足りない。
人は、自分の理解できないものを恐れる。そして恐れたものに、理由を求める。
僕は、その理由になった。
助けを求める声が聞こえても、振り返らなかった。
壊れた建物の向こうに影があっても、見ないふりをした。
そのたびに、胸の奥がわずかに軋む。
見捨てたかったわけじゃない。
けれど、差し伸べた手を見て、人々の目に映るのは、怪物の姿だ。
なら、最初から手を伸ばさなければいい。
簡単なことじゃないか。
そうして、何度も言い聞かせた。
今日も街頭の大型ビジョンには、見慣れた姿が映っている。
画面の下を、事件の速報が流れていく。
僕の起こした事件のこと、被害者数、今後の対応について。
次から次へと、見えない刃が投げつけられる。
所詮、人は自分のことしか考えない。
ヒーローってのは難儀だな。
そんなことを思った自分に、少しだけ笑いそうになった。
僕は最後でいいよ。
怪物。化け物。災厄。
そのどれもが、僕の姿によく似合っていた。
画面の中の僕は、もう顔を隠す必要もないほどに知られている。
すべてがどうでもいい。
僕は役を全うすればいい。
もう何がどうなっているのか、わからない。
わからないままでいいと思った。
僕は、そういうものになったのだから。
僕を僕だと認識すれば、人々は逃げていく。
悲鳴が上がる。我先にと走り去っていく。そんな光景も見慣れてしまった。
最初のうちは、目に入るものすべてが鬱陶しく思えたが、今はそうでもない。
逃げる方向を見れば、どこに道があるのかわかる。
誰が前に出てくるのか、どこで囲もうとしているのか。少し待てば、向こうから教えてくれる。
僕はそれを見て、必要なだけの力を振るう。
そんなことばかり、考えるようになった。
まるで、最初からそうするために生まれてきたみたいに思える日もあった。
きっかけが何だったのか、もう覚えていない。
気づいたときには、街の一角がひどく歪んでいた。
建物の輪郭が崩れ、アスファルトが波打つ。砕けた窓ガラスが宙に浮かび、落ちることもできずに光を撒き散らしている。重力の向きが狂った場所では、人も車も、地面から引き剥がされていく。
悲鳴が合唱のように響いている。
僕はそれを聞きながら、とん、と指を動かした。
ひとつ、またひとつ。轟音と共に落下する。砕ける音が重なり、無数の人影が視界の端を走り抜けていった。
止める者はいない。
手を止める理由がない。
目の前に広がる光景が、ひどく遠い。自分でやったことだというのに。
だからだろうか、自分が震えていることに気づくのが遅れた。
震えの理由は、わからない。
そのとき、背後で足音が聞こえた。
瓦礫を踏みしめ、近づいてくる。
何となく察しはついていた。
振り返れば、やっぱり、見覚えのある姿が目に飛び込んでくる。
胸の奥が、かすかに軋む。
やっとか。
そんな言葉が、どこからともなく浮かんだ。
思わず、笑ってしまった。
こんなんじゃ、やりづらいかな。
でも、助けてよ。
雨は、止んでいた。
「__アオ」




