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8 完全廃絶




 嗚咽混じりに泣き叫ぶ式上ゆきと、不安げな複数の視線に見送られ、真夏の日差しが照り付ける路上に進む。


 湿度の高い横風が肌にまとわりついた。

 けれども汗は一滴も流れない。体温の上昇も感じない。どれほど強烈な直射日光に晒されようと、優れた冷却機構を持つ自分は熱中症にはなり得ない。


「……僕は」

 それならば、この倦怠感はなんだろう。

 言葉がうまく出てこない。

 考えもまとまらない。


 青空のもと、ひび割れだらけの車道を左手に眺めながら、ゆく手に立ち揺らめく陽炎をただひたすらに追いかける。


 田園広がる平地に背を向け、山間部へと勾配を増していく上り坂を、僕は手を引かれて黙々と歩いた。坂道を上っていくと、緑は際限なくその色合いを濃くして、木々が枝葉を伸ばして濃い影を日向に落とす。


 のり面はツタに覆われ、標識とガードレールは苔むし、ガードミラーは割れていた。

 陰鬱とした山道の先に、古びた薄暗いトンネルが現れた。


 壁面から染み出た黒い水が地面を濡らし、まばらに点灯したナトリウムランプがトンネル内をオレンジ色に染め上げている。


 ひと気のない閉塞的な薄暗がりを僕らは足音を反響させながら進んだ。

 アリスが身に着ける群青色のワンピースが、オレンジ色の照明に照らされて、その艶やかな色彩を黒い泥水に浸したかのように濁らせた。


「昔、この世界で、大規模な核戦争が起こった」

「え?」

 アリスの手が離れていく。


「西暦二〇二〇年七月二十六日。今日よりもずっと、ずっと暑い日だった」

 トンネルの中央付近で足を止めて、彼女は前を向いたまま振り返ることもしない。


「戦争の原因は、水不足。人類は水をめぐって争い、あっけなく滅びた」

「水? まさか」

 反射的に言い返してしまった。


「残念ながら事実。三年にも及んだ太陽の異常活動が全世界規模で壊滅的な大干ばつを引き起こした。長江やアマゾン川が干上がってしまったと言えば、小春にもその深刻さを理解できると思う」


 水不足を原因とした核戦争。あまりにも突拍子のない話に強い反感を覚える。感情的になっているのを自覚しながらも、とにかく否定しなければ気が済まなかった。


「仮にアリスの言う大干ばつが事実だとして、そこから多国間の全面核戦争が勃発するなんて話が飛躍し過ぎていますよ。常識的に考えて、ありえないじゃないですか、核兵器を使用した戦争だなんて」


「どうしてそう思う?」


「どうしてと言われても、それは二〇二〇年の話ですよね? それなら核兵器が現存していること自体が不自然だ。各並行世界で歴史の歩みに多少の誤差があるにしても、二十一世紀に入って二十年が経とうとしているのなら、当然、各国の軍隊を統合した人類統合軍が組織されているはずじゃないですか」


「…………、…………」


「時間は必要かもしれない。でも、実行力のある統合軍が率先して各国の意志をまとめれば、核兵器の完全廃絶だって絶対に――」


「小春」

 名を呼ばれ、おもわず口を噤む。静寂に包まれたトンネルを湿った風が吹き抜けた。


「蛇口を捻れば綺麗な水が出てくる。それを当然のことだとは思わないほうがいい」


 頭上から降り注ぐ薄暗い照明に照らされて、顔全体に濃い影を落としたアリスがゆっくりと振り向き、それまでよりも無機質な、感情の一切が欠落した表情で僕を見上げている。


「全人類の軍事力が単一の組織に集約され、核兵器が廃絶された世界。理論上は二度と核戦争が起こりえない世界。そんな理想郷を当然のものとして受け入れ、核無き世界を享受してきたあなたには、もしかするとその異常性が理解できないかもしれない」


 もう何度目かもわからない嫌な予感が背筋を走った。


「人類統合軍の創設と、核兵器の廃絶。そのどちらも、私がキメラを介して強制的に実現させたものだと言ったら、小春は信じられる?」

「……うそだ」


「私は、核の炎で焼き尽くされた世界で一人考え続けた。どうすれば、この破滅を回避できたのか。人類は核兵器を廃絶できるのか。世界平和を実現できるのか。とても長い時間をかけて無数の特異点を開き、幾千もの並行世界を一つずつ丹念に調査し、検証を重ねてきた」


 本能が言葉の理解を拒んでいる。


「結果、わかったことがある」

「…………」


「愚かで、傲慢で、どこまでも自己中心的な人類が、核兵器の完全廃絶なんて成し遂げられるわけがない。世界平和など夢のまた夢。表面上は融和と平等を掲げながらも、実際には自分が他者よりも上に立ちたい、優位でありたいという滑稽極まりないマウント合戦に明け暮れる。それが人類の本質」


 僕はなにも言えず、何度も首を横に振るしかない。


「現在、観測可能な並行世界の総数は八兆五千億。一万年以上の時間をかけて、最大限詳細に観察した四千五百あまりの並行世界において、約七割の文明が、西暦二〇〇〇年を待たずして全面核戦争によって滅亡している。二〇二〇年までには約九割、二〇四〇年までには、観察したすべての人類文明が核戦争によって滅亡している。それほどまでに、世界は私の想像を超えて醜く、汚らしかった。こんな世界滅んでしまえばいいのに。私は常にそう感じていた」


 感情の欠落しつつある僕の心が叫ぶ。

 ひと粒の涙が頬を伝い落ちていった。


「小春は、あまりにも人類を過大評価している。あれらが、自国の軍事力を自発的に手放せるわけがない」

「そんな、ことは」

 声が震える。必死になって反論したかったが、否定の言葉が思い浮かばない。


「二〇四〇年の滅亡を回避するためには、世界中の国々から自国の軍事力を取り上げる必要がある。私はそう考え、とある並行世界に対して直接的に介入した」


「…………」


「多大な労力を費やし、各国の政治中枢へとキメラを浸透させ、反対勢力をねじ伏せ、全世界の国家が共同で運用する唯一の軍事組織、人類統合軍を創り出し、同時に核兵器の廃絶も達成した。これで世界は平和になる。当時、私はそう確信していた」


 各地の統合軍基地の内部で、唐突に出現したキメラの集団。

 一斉に抹殺された将官クラスの高級将校。

 突如として沈黙した人類統合軍の総司令部。


 特異点の再出現と同時に発生した異常事態の数々が、点と線で繋がっていく。


「でも、それでもまだ甘かった。人類統合軍は、創設から十年と経たずして、世界最大の腐敗の温床になり果てた」


「……腐敗?」


「臓器密売。児童買春。資金洗浄。麻薬密輸の黙視。麻薬カルテルからの、年間数百億ドルの賄賂。汚職の源を徹底的に排除しても、統合軍が有する超法規的な権力を苗床にして、すぐさま新たな汚職が発生する。末端から上層部に至るまで、腐りきっていた」


「…………」


「指導的立場でありながら、承認欲求を満たしたいという身勝手な理由で、宗教的、民族的な不和を故意に煽って民衆を扇動する者さえ現れた。それは新たな戦争の火種となる。統合軍の存在意義が根底から揺らいでしまった」


 表情に影を落としつつアリスは悲しげに微笑すると、薄暗いトンネルの光差す出口へと向かって、浸み出した黒い水で靴を汚しながら、小さな歩幅で歩みを進めていく。


「では明確な敵を用意してみればどうだろうか。そう考え、アルバトロスの投入を決定した。強大な敵を前に、人類は団結できるのか。人種、宗教、国家の垣根を超えた協力関係を構築できるのか」


「…………」


「答えは、否。狭まっていく国土、過密する人口、不足する物資。アルバトロスという巨大生物が地表を喰い荒らしている最中であっても、人類は争いをやめなかった。他者を蹴落とし、少ない物資を略奪し独占する。血で血を洗う醜い闘争が世界各地で繰り広げられた」


 こつこつと足音を反響させて、アリスはくるりと振り返る。

 黒ずんだ瑠璃色の双眸が僕を冷たく見上げていた。


「キメラを浸透させ、統合軍を創設し、アルバトロスを送り込む。これほど手を尽くしても、争いは尽きない。ねえ小春、どうやったら世界を救えると思う? どんな方法があるか、私に教えてほしい」




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