3 渡り鳥がゆく
「このまま特異点に突入します」
「ついてくぜ! どこまでもな!」
《粒子濃度、上昇。電磁流体装甲、出力最大》
高速で対流するプラズマ化した重金属粒子が、球形の光の膜を形作る。それらは高出力エネルギー兵器を無効化し、触れた物体を焼き尽くす無敵の盾となって、渡り鳥の機体周囲に付き従った。
地上からはキメラの放った砲弾がまばらに飛来するものの、渡り鳥が展開する電磁流体装甲の前には無意味な対空砲火であった。
特異点に接近するにつれて、さながら宇宙空間に投げ出されたかのように、視界がその物体の輪郭すら認識できないほどの暗闇で埋め尽くされていく。
「小春」
ふいにマコトが僕の名を呼んだ。
「怖かったら俺が先頭行ってやろうか?」
特異点を通過中であっても、無線通信の感度は極めて良好だった。
お互いに音速を超えて飛行しているため、機械的な音質補正がされているものの、聞こえてくる音声に一切の違和感はなく、対面での会話と比較しても遜色はない。
「マコトこそ、目を瞑っちゃダメですよ? 待ち伏せの可能性が高いですからね」
「わかってるよ!」
軽口を言い合いながらも再加速して、悠々と熱の壁を突破する。
勢いそのままに渡り鳥は特異点という次元の壁を飛び越え、岩石に覆われた殺風景な空間へと到達する。
「――っ!」
「やっぱり待ち伏せだ!」
予想は的中した。
特異点という暗いトンネルを抜けた先にあったのは、ネストという人類の常識を超えた長大なトンネルと、その壁面にびっしりと張り付く無数のキメラであった。
間髪を入れずに飛来する敵の砲弾。
直径四十ミリに達する重金属製の針が全天を埋め尽くし、橙色の天の川を点描する。
死角からの攻撃がないのは幸いだった。
砲弾の軌道が容易に予測できて、回避もたやすい。
直撃コースで飛んでくる砲弾は対物ブレードで斬り飛ばし、右へ左へと最小の動きを意識しつつ回避運動を続けた。
ここが、これがネスト。
照明装置の類は視認できないが、地面や壁面、それから天井に至るまで、薄ぼんやりと青白く自発光している。また立体的に曲がりくねった構造は、アルバトロスの体内を強く思い出させるものだった。
「標的、多数。正面から殴ります」
「フォーメーションは?」
「柔軟的かつ変則的に」
「了解! 一番槍は俺が貰う!」
言うやいなやマコトの姿が残像を引いて立ち消え、冴えわたる一振りの黒い刃と、明滅する電磁流体装甲の煌めきが敵集団を強引に押し退けていく。
流石だ。彼女の流麗な高速機動にどうしたって目が奪われる。ここが戦場でなければ、僕は彼女を抱きしめてその小麦色の頬にキスしていただろう。
「心強い。僕は一人じゃない」
《ムクドリ型永久発電機構、超並列発電、再始動。並行世界からの電力流入量の増大を確認。極超音速戦闘へ移行します。ご注意ください》
肩部に並ぶ双発の推進器から放たれたのは、体内に内蔵されたサーキットで亜光速まで加速した摂氏一億度の微細な重金属粒子であった。
それは市販の計量器では重さを計測できないほど微細な金属粒子であったが、光速に肉薄する速度で後方へと放出されたことで、巨大なロケットエンジンすらも凌駕する尋常ならざる推進力を生み出した。
加速した肉体、加速した思考、そして世界が緩慢になっていく。
見ていますか、アリス様。
これから、あなたと交わした最後の約束を果たします。
全身全霊を賭して、キメラを一匹残らず撃滅してご覧に入れます。
ですがもしも、武運拙く、志半ばでこの身が燃え尽きたとしても、僕には謝ることしかできません。どうかご容赦ください。
「――ふぅ、っ」
息を少し吐いて、強く止める。
人類が造りし最後の名刀――相州五十七代鬼正を両手で握り、右肩に担ぐような恰好で構えると、やや前傾姿勢になりつつ、全速力で重厚な敵の防衛陣地へと吶喊する。
どれほど刀身に不要な負担をかけようとも、この戦の初太刀は、大上段からの唐竹割りで行くと心に決めていたのだ。
さあ、渡り鳥。
飛べ! 刃と共に!
たったの一万二千キロだ!
「――はッ」
肩に担いだ刃を頭上へと高く掲げ、今まさに発射されたばかりの敵砲弾ごと、真正面のキメラを縦一文字に叩き斬る。
我が太刀筋に一点の乱れなし。
気は済んだ、次だ。
二の太刀だ。
余計な力を加えず、なぞるように走らせた相州鬼正の刃が、キメラの頑健な頭部砲塔の開口部をスルスルと斬り裂いていく。一つ、二つ、三つと、流れ作業で行く手を阻む障害を二枚に斬り下ろす。
背後より飛来する敵砲弾を視界の端で追いかけながら眼前のキメラを斬り殺し、首をひねって直撃寸前でそれを回避。回避運動の速度を生かして次の標的に接近すると、返す刀で下方から斬り上げて、一番厚い正面甲殻を両断した。ミルフィーユ状に積層されたキメラの甲殻が、その断面を無残にもさらけ出し、そこから暗赤色の体液が間欠泉さながらに噴出する。
「…………」
吹き出す赤黒い体液を直視しても、僕の感情はフラットなままだった。
キメラは人類を脅かす敵だ。
葛藤もなく斬り殺すことができる。
その正体が、キメラによって生きながらに捕食された元人間だろうと関係ない。
大丈夫、僕はまだ戦える。まだまだ戦える。
極限まで加速した思考によって、引き延ばされた時間。そうした緩慢な世界であったがゆえに、前方を走るマコトの機敏な立体機動が鮮烈に強調されていた。
「――――」
ああ、美しい。
冴えわたる刃の伸びのなんと優美なことだろうか。
密集する敵集団を前にして草を薙ぎ、冠を編むが如しである。
それならばと、僕はギアを一段階引き上げた。
キメラを足場に見立てると、八艘飛びで追い掛けて、撃破数で追い付き、純粋な速力で彼女の背中を追い越し、戦場の最前列へと踊り出る。
そうして後ろを振り返り、微笑しながら僕はうそぶく。
「ついてこれますか?」
「当たり前だ!」
背後で爆発する闘気が追い風となって、僕をさらに前へと押し出した。当然マコトも追い掛けてくる。つかず離れず戦場の最短距離を駆け抜けて、特殊個体〝オメガ〟の撃破を目指し、ネストの最深部へと突き進む。
岩肌がむき出しの長大な空洞は景色がどこまでも単調で、実際の機体速度と体感速度が大きく乖離する。
後方に流れていく周辺地形と、視界内に表示された絶えず高速で映り変わるマップデータを見比べてようやく、自分が音速の五倍の速さで飛翔しつつ、閉所を飛び跳ねながら戦闘を行っているのだと実感が持てるほどだ。
「……くっ」
作戦は現在のところ順調だ。完璧と言っても申し分ない。
それなのに焦燥感ばかりが増していくのは、全人類絶滅までのカウントダウンがすでに始まってしまっているからだろう。
たしかに僕は、第七次討伐作戦でも人類の命運を賭けて戦った。
けれどここまで明確な時間との戦いは初めてのものだった。
賽原基地最後の戦闘部隊はどうなったのだろうか。
あと、どれほどの人類が生き残っているのだろうか。
《前方三千メートルに密集隊形キメラの一群を発見。索敵エリア内で敵総数八千》
ネスト突入から六百秒が経過した時、機体側の人工知能が視界内に新たな小窓を立ち上げつつ警告を発した。マップデータにおいても敵を表す赤い点で進路上は埋め尽くされ、立体的に表示されているはずのネストの一部が赤く塗りつぶされている。
「――小春」
「――マコト」
視線を交わした瞬間に、作戦の伝達は完了していた。
マコトの右腕が、残像を伴うほどの速度で横方向にスライドした瞬間、彼女の使用していた対物ブレードが切っ先を向いてこちらへと飛んできた。慌てることなく刀身部分を避け、優しく添えるように柄を手中に収める。
単純に殲滅力も二倍とはいかないまでも、格段に向上した処理能力を駆使して、前方集団の斥候とも表現すべきキメラの一群を左右に携えた二振りの相州鬼正によって斬り刻む。
縦に、横に、斜めに、縦横無尽に斬り裂く。
一対の黒い刃を羽ばたかせ、一羽の黒い鳥が戦場を食い荒らす。
取りこぼしはない。そんな粗相をするつもりもない。
このまま敵本隊に斬り込んでしまおうか。そんな衝動に駆られつつも、視界内に立ち上がった警告表示に従って緊急回避を行う。
回避から約一秒後。僕が勢いそのままに突撃しようとしていた十二万もの敵本隊が、極太の強烈な光の濁流に押し流され、混ざって、消えた。
蒸発した重金属が雲となり、冷え固まって鉛色の雨が降る。
荷電粒子砲〝雷鳥〟の威力は絶大の一言に尽きた。
「よっしゃーっ! ざまぁ見晒せっ!」
最大出力での雷鳥の行使によって排熱機構が作動し、口から摂氏三百度の過熱蒸気を吐きながらマコトが叫ぶ。
視界内のマップからも敵を表す赤い点が一掃され、もはや進路上に僕らの進行を妨げるほどの敵戦力は存在しない。
来栖野有栖が異界から帰還を果たした後に、僕らの駆るアマツバメは改修され、左右の手のひらに一門ずつの計二門、改良型の荷電粒子砲〝雷鳥〟が搭載された。
もちろん、その驚異的な破壊能力は実戦においても実用に耐え得る仕上がりとなっており、最大出力での二門同時の一斉発射が可能だった。
最大出力で雷鳥を行使したとしても、機体が即座にオーバーヒートして行動不能に陥る心配もない。急激なキメラ化が進行する中で、来栖野有栖が編み出した超電導物質は、現代科学の常識が一切通用しない超高温下での超電導を実現し、ありとあらゆる電力装置から発熱という概念を消し去っていた。
それらによって破格の継戦能力を獲得した本機は、ついに開発初期に実装予定だった機能のすべてを実現するに至り、来栖野有栖が提唱した究極の単機戦力、絶望的戦局を覆す決戦兵器として完成していた。
「返すよ」
「ありがとっ!」
相州鬼正を投げ返すと、彼女はそれを赤熱した手のひらではなく指先のみでキャッチする。
壁面に張り付いたキメラが絶え間なく落下してくる中を軽快に突き進み、斉射の反動による遅れをあっと言う間に挽回して並走する。




