2 ただ、好きだから
「パックス・ワンから、パックス・ツーへ」
僕はオメガ作戦の実行を決断する。
「マコト、すぐ来れますか?」
部隊専用の秘匿回線で語りかけた数秒後、遠方より飛来した白亜に煌めく物体が、推進器の逆噴射と華麗な姿勢制御によって空中にて静止すると、そのまま上空より僕の正面にすとんと舞い降りた。
わずかに土煙を巻き上げつつ現れた彼女は、しゃがれた、けれどもどこか心地よい響きのある声に合わせてきびきびと敬礼する。
「パックス・ツー、ただいま到着! どうした大佐殿?」
自身に割り当てられたコールサインを微笑しながら口ずさみ、パックス・ツーこと有坂真は少々雑に切られた短い黒髪の奥で、意志の強い琥珀色の瞳をきらりと輝かせた。
「補給は済ませてありますか?」
「それならさっき、ブレードを一本消費したから補充してきたところだ。キメラを三百匹くらいぶった斬ったところで、横合いから集中砲火を浴びてさ、十五、六発くらい敵の砲弾を斬り払ったら刀身の真ん中あたりからポッキリよ。なんの前触れなくも折れたから、ちょっと焦ったぜ」
「被弾は?」
「まさかー。人よりうっかりミスが多いと自覚する俺でも、あれくらいの攻撃密度なら被弾はしないさ。あの十倍を叩き込まれて、ようやくちょっと焦り始めるくらいだな」
「それは頼もしい」
「だろ?」
ほんのりと頬を赤らめながら、マコトはこそばゆそうに両目を細めて破面する。
彼女の渡り鳥は、搭乗者の体温の急上昇を検知したためか、その全身を覆う装甲板の数枚が自然空冷を促進させるべく小刻みな開閉運動を繰り返していた。
「……マコト」
「ん?」
僕は彼女から視線を外すことなく、賽原市の上空に浮かぶ真っ黒な特異点を指さす。
「これから自分は、あの特異点を通って、その向こう側に存在するキメラの巣を強襲します」
「!」
説明を続けながら、マコトの機体へと先ほどの映像データを転送する。
今ごろ彼女の視界内には、自分の時と同様に、オメガ作戦に関する説明が生前の来栖野有栖によって行われていることだろう。
「キメラの巣、つまりネストの最深部には、オメガと呼称される存在がいて、全キメラを統括しているようです。オメガを排除しなければ、人類は間もなく、奴らによって根絶やしにされてしまうでしょ
う」
「…………」
「全軍を統括する統合軍総司令部を含め、全世界の統合軍拠点が沈黙しています。こちらからいくら呼び掛けても反応はありません。もうすでに人類は、地球上に僕たちを残すだけになってしまったのかもしれない。それでも――」
微かに彩度が上がり明滅していたマコトの瞳が、スッと元の色合いを取り戻す。
映像ファイルの閲覧を終えたのだろう。添付されていたネスト内部の詳細な三次元マップも彼女の渡り鳥へとインストールされたに違いない。
気炎を上げる二つの瞳が、上官の一挙手一投足を見逃すまいと傾注していた。
これほど血気盛んなマコトに対して、これを尋ねるのは侮辱にすらなり得ただろうが、地獄の底へと通じる片道切符を手渡そうとしている以上は、けじめをつけておきたかったのだ。
「一緒に戦ってくれますか?」
僕の唯一にして最後の戦友であるマコトは、微塵も迷うことなく、こちらが差し出した右手を力強く掴みとった。痛いくらいの握力が込められた彼女の右手は、この手を絶対に離してやるものかと言わんばかりであった。
「いいぜ。悪あがきは大好きだ。ネストでも、地獄でも、どんな場所であろうと全力で戦ってやる。第七次の時みたいにひとりぼっちで留守番なんて死んでもごめんだ! 小春が嫌だって言っても絶対についていくからな!」
「……ありがとう」
「ああ。背中は任せろ。小春はただ前に進むことだけを考えていればいい」
「頼みます」
両手を腰に当てた仁王立ちで、上下の犬歯が見えるほどの満面の笑みを浮かべたマコトへと力強く頷くと、僕は各戦闘部隊から人員を抽出することで編成した急ごしらえの臨時司令部に通信を試みた。
「前線司令部、こちらパックス・ワン。応答してください」
《こ、こちら前線司令部! 大佐殿、ご無事ですか!?》
どうやら情報士官や通信士たちを心配させてしまったようだ。
司令官であるのに出撃したばかりか、機動力こそが渡り鳥最大の武器であるにも関わらず、前線の一地点に留まり続けていたのがよろしくなかったのだろう。
通話越しであっても、安堵の声が漏れ聞こえてくる。
「ご心配をおかけしてすみません。これから前線に展開中の部隊に対していくつか指示を出しますので伝達を――」
《――緊急!》
オメガ作戦の成功率を少しでも上げるため、各部隊から志願者を募りネスト強襲部隊を編成しよとし
ていた矢先だった。緊張で声を震わせながら、入隊してからまだ日も浅い情報士官が通信に割り込んでくる。
《横須賀基地からの救難シグナルを検知しました! 途切れ途切れの極めて微弱な信号ではありますが、これは間違いなく友軍からの救援要請です!》
「……そうですか」
たった今、脳内で組み上げていた作戦計画の一部が破綻してしまった。
ネスト内部における火力支援や補給要員として一個連隊、二千名から三千名程度は引き連れていきたかったが、横須賀からの救援要請であれば仕方がない。
暴徒を鎮圧するためとは言え、横須賀スラムでは多数の死傷者を出してしまったという負い目もある。
それならば少数精鋭として名を馳せた戦略機甲部隊〝ハミングバード〟の本分に立ち返り、単一の特殊部隊を率いる隊長として極限まで身軽になったほうが、オメガ作戦成功の可能性もいくぶん上がるというものだ。
「特異点の向こう側を強襲する突入部隊を募りたかったのですが、数少ない友軍からの要請であれば仕方がありません」
《……突入部隊でありますか!? まさか特攻をっ!?》
《大佐殿、お言葉ですが。突入部隊を編成しようにも、すでにどの部隊も人員に余裕はなく、機能不全に陥りかけています。武器弾薬の残りも乏しく、ここからさらに戦力を細分化するのは得策ではありません》
「もちろん理解しています。ですから戦力の再編成は行いません。前線に展開中に全部隊に対して、そのまま横須賀の救援に向かうよう通達してください。委細は、各戦闘部隊を指揮する部隊長に一任します」
《了解。作戦命令の通達を完了。全戦闘部隊、横須賀方面への全力移動を開始しました》
会話しつつ、アイトラッキング機能により、目視で視界内に浮かぶ項目を操作していく。
そして外部兵装の渡り鳥ではなく自分自身の機械の身体、つまり来栖野式特二十型装甲義体〝アマツバメ〟に備わった演算能力をオメガ作戦に関する資料の自動作成に割り当てた。
その搭載された演算ユニットには、どれほど過小評価したとしても、渡り鳥の数万倍に達する強力な情報処理能力が備わっている。
平時は、その膨大な処理能力の大半をサイボーグ化された肉体が感じた五感、つまり視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の情報処理に費やしているらしい。
全身機械化の軍用サイボーグであるアマツバメは、なぜか脳核と演算ユニットで思考回路が二重化されていたのだ。
はっきり言って、これは無駄な設計だ。
五感を感じ取る程度なら、それこそ規格外に高性能な演算ユニットなんて必要ない。
合金製の頭蓋骨の中に浮かぶ自前の脳みそだけを使えばそれでいい。
正真正銘の世紀の天才科学者であった来栖野有栖が、どうしてこんな機能を組み込んだのか疑問は尽きないが、開発者亡き今となっては、もう知るよしもないのだろう。
「…………」
演算リソースの一時的な振り分けによって、思考能力の解像度とでも表現すべきパラメータの数値が二割ほど低下する。まもなく渡り鳥に備わった人工知能が、僕の演算能力を借り受けながら、オメガ作戦に関連した様々なテキストデータを猛烈な速度で生成し始めた。
およそ一ミリ秒後。
そのわずかな所要時間で完成した二千行のテキストデータと、ネスト内部の三次元データ、来栖野有栖が残した映像データなどを一つのファイルにまとめ上げて、賽原基地内のサーバーに投げ入れておく。
「最後になりますが、オメガ作戦に関する情報を賽原基地の共用サーバーにアップロードしておきました。各自で目を通しておいてください」
《あ、待ってください! 雪風大佐っ!》
「以上、通信終わります」
なにかと至らない司令官で申し訳ない。
僕は心の中で謝罪しながら通信を切った。
本来は、後方の安全な場所でどっしりと構えて、刻々と変化する戦況に対処するべきであるのに、最前線で孤立したり、熟慮もせずに敵中枢への強襲を決断したりと、それこそ軍隊の長としては落第もいいところだ。
だからせめて最後に少しくらいは、これから戦略機甲部隊〝ハミングバード〟が挑もうとしているオメガ作戦の概要と、その意義を、前線で奮戦する仲間へと無線を介して直接説明しておきたかったが、どうやら時間切れのようだった。
地面が揺れている。
大群を成す奴らの再出現を僕は足裏から感じ取った。
「小春まずいぞ、もうキメラの第二波攻撃が始まってる!」
「――!」
上空を指さしマコトが叫ぶ。
つられてそちらに目を向ければ、直線距離にして二十から三十キロメートル程度離れた南方の上空に浮かぶ漆黒の特異点から、鈍く煌めく鉛色の芥子粒が、さながら滂沱の如く流れ落ちていた。
数万とも数十万ともつかない、あの燻された銀砂の一粒ひと粒が、例外なく敵であった。
人類最後の抵抗戦力をその圧倒的物量によって抹殺せんと目論む、特殊個体〝オメガ〟によって、ネストより送り込まれた異界からの侵略者たちである。
「これよりオメガ作戦を開始します。マコト、準備はいいですか?」
「準備万端! いつでもいいぞ!」
僕らは決意し、勝利を願う。
炉心に灯る火種が、一柱の劫火へと転じた。
暴力的なまでの熱量が全身を駆け巡り、古今無双の武力が五体に満ちる。
源泉から無尽蔵に湧き出す力の一部は、熱や音へと変化しあふれ出る。
排熱機構の頭髪は熱放射によって艶やかに光り輝き、四肢に力を籠めれば装甲下に張り巡らされた電磁筋繊維が引き絞られた鋼線の如く震えて低周波を発した。
「了解。では、参ります」
腰を落として深く屈み、力の限り地面を蹴って飛び上がる。
大量の土煙を置き去りにして、瓦礫と土砂に塗れた赤茶けた風景が瞬く間に眼下へと流れていった。
電気エネルギーを対価に発揮される電磁筋肉に下支えされた脚力が、市街地の倒潰したビル群を一望できるほどの高度にまで機体を打ち上げるのと同時に、背面肩部の左右に並ぶ双発の推進器が純青の火炎を噴射する。
もたらされた爆発的な推進力によって、機体は飛翔開始から一秒を経過する間もなく音の壁を突破した。
僚機として追従するマコトは、飛行しつつ、真新しい対物ブレードを腰部のブレードランチャーより引き抜いていた。
前方を自分が、その右後方をマコトが飛ぶ。
二機編隊を組んだ戦略機動部隊〝ハミングバード〟の渡り鳥は、片手に携えた対物ブレードたる相州鬼正の浅黒い刀身に陽光を反射させ、賽原市上空を猛然と南下する。
目指すは、今まさに大量のキメラを放出中の特異点。あれだけの戦力をこちら側の世界へと流し込んできているのだから、あの浮遊する黒い大穴は、間違いなくネストへと通じているに違いない。
とにかく、やられっぱなしは癪に障るのだ。
この先にどれほど巧妙な罠が待ち構えていようが、もはや関係ない。
真っ直ぐ正面ゲートから飛び込んで、敵基地の中枢を死に物狂いで引っ掻き回してやる。




