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キミに恋する青い鳥  作者: 細川晃
第6章 鳩
56/116

10 五月二十九日

 



 こんなのは認めない。

 認められるわけがない。


「どけぇええッ!」

 続々と現れるキメラを一刀のもとに斬り捨て、非常事態の発生を告げる警報ランプによって赤く照らされた通路を全速力で駆け抜ける。マコトが後方に置き去りにされていたが、気にかけている余裕はなかった。


「アリス様っ、アリス様っ!」

 非常階段を駆け下りて、司令部庁舎の最下層部へ。


 中央司令室へ通じる最後の直線の通路には、十数体のキメラが徘徊していたが、繭から出てきたばかりであったためか、動作が緩慢で簡単に排除することができた。


 周囲に積みあがったキメラの残骸を蹴り飛ばしながら、強引に前へと進む。

 けれども格納庫を飛び出してから、すでに二分が経過していた。


「アリス様っ!」

 どうにか中央司令室の前までたどり着くことができたが、正面の出入り口は自動開閉機能が故障していてまったく開かない。仕方がないので、その内側から膨らむように変形してしまっている扉を斬り刻んで破壊し、室内へと踏み込んだ。


「…………」

 しかし、そこは無人だった。


 壁や床の至るところに、孵化した直後のものと思われるキメラの繭がへばりついているばかりで、情報士官やオペレーターの姿はどこにもない。


 空っぽの繭は、室内に十数個。


 要するにそれだけの数のキメラが、この閉ざされた空間で孵化したことを意味する。

 つまり、この室内で通信や管制を担っていた情報士官やオペレーターの全員が、人間の皮を被ったキメラだったのである。


「なんてことだ」

 僕は膝から崩れ落ちそうになりながらも、部屋の中心へと向かう。すると、奇妙な水たまりを踏んだ。水音に反応して下を向くと、はねた幾つもの水滴が、渡り鳥の装甲を赤く染めていた。


「あ……あぁ……あ……あぁぁぁぁ」

 直後、なによりも見たくなかったものが、強制的に視界へと飛び込んでくる。

 それは床一面に広がった人工血液と、片方だけの小さな革靴、そしてバッサリと切り落とされた大量の黒髪であった。


 間違いない、あれは全部アリス様のものだ。


 僕の中にわずかに残された冷静な意識が、賽原基地の最高司令官である来栖野有栖上級大将の死を改めて認識し始めていた。――そうだ。そうだった。彼女は、僕の目の前でキメラに食い殺されたのである。なにもかもが遅すぎた。今更どんなに急いで駆けつけたところで、そもそも彼女が生きているわけがなかったのだ。


 自分はそんなことにすら気づけないほどに錯乱していたのである。


「どうして、どうしてこんなことに」

 手から力が抜け、対物ブレードが血だまりの上に落ちる。


 それを拾い上げる気力すら湧いてこない。

 なにも考えられなかった。

 思考が途切れ、意識が薄れる。時間の感覚が曖昧になっていく。


 キメラが騒がしい足音と共に後方から接近していたにも関わらず、僕は襲われる瞬間まで、それに気づくことができなかった。


「あぐぅッ」

 それが実戦において、どれほど致命的な隙であったのかは言うまでもない。


 出会い頭に、溶解液を浴びせかけられるか、徹甲弾で頭部を吹き飛ばされるかして、即死しなかったのは奇跡と言っても過言ではないだろう。すでに賽原基地が敵に占領されていることすらも、僕は愚かにも失念していたのだ。


「くそっ、くそッ!」

 凄まじい力で仰向けに押し倒された直後、六本の節足を巧みに蠢動させたキメラによって、僕は瞬く間に手足の動きを封じられてしまう。手に武器のない状態でこうも組みつかれては、身動きもできない。


 頭上にてぱっくりと開かれたキメラの口部が、僕を頭から捕食するべく、ゆっくりと迫ってきていた。


 あぁ、これは殺される。


「……ああッ、あああッ!」

 僕の心は、死という絶対的な恐怖に塗りつぶされていった。


 その恐怖からどうにか逃れるべく、自分の意志とは関係なく、全身が痙攣したみたいに暴れ始めたが、相手はそうした悪あがきが通用する存在ではなかった。


 キメラの脚部も、相州鬼正であれば粘土細工のように切断できただろうが。

 重金属の堅牢な甲殻に包まれているそれは、いかに全身機械化のサイボーグであろうと、素手でどうにかできるものではない。


 もちろん左右の肩部に並ぶ荷電粒子推進機構を全力で噴射すれば、この体勢からでも脱出は可能かもしれないが、アリス様の死によって生じた虚無と絶望に抑制され、いつの間にかそうした最低限の抵抗を試みる意志すらも萎んでいった。


 どうしても生きる意味を見いだせないのである。


「…………」

 だって当然じゃないか。

 最愛の人はもう居ないんだ。

 そんな世界に、いったいどれほどの価値があるというのだろうか。


「……ぐっ」

 なのに、どうしてだろう。


 なぜ僕は未だに武器を求めて、懸命にブレードランチャーへと手を伸ばしているのだろう。


 わからない。

 無意識か、第二の人格か、それとも記憶を失う前の僕自身がそうさせるのか。


「……うぅ、あと少し」

 もしかして僕にはまだ、やるべきことが残されているのだろうか?

 守るべき人々が、大勢いるのではないだろうか?

 絶望に沈みかけた意識の中で、ひたすらに自問自答を重ねていった。


 そして、はたと気づく。


「――!」

 視界の明度が上がり、暗く濁っていた意識に一筋の光明が差した。


 そうだ横須賀だ!


 横須賀基地の周辺に林立するスラム街には、二十万人の民間人が身を寄せ合って暮らしている。今そこに、大量のキメラが攻め寄せてきているのである。


 彼らを守るために救援部隊を出動させ、基地の防衛を疎かにしてしまったことが、アリス様の死の遠因となったのは明白だ。


「まだ、だ。こんなところで……ッ!」

 だからこそ、僕はなんとしてでも横須賀を守らなくてはならない。


 彼女の死を絶対に無為なものにしてはならない。


「まだ、まだぁッ!」

 キメラに頭を丸飲みにされる寸前のところで、ブレードランチャーから抜き放った相州鬼正を真下から突き立てる。するとたいした抵抗もなく、刀身はその根元まで、胴体部へと深々と突き刺さった。


 キメラは痙攣した後に絶命し、弛緩した六本の節足では自重を支えきれなくなって崩れ落ちてくる。もう少し考えてから対処するべきだったと後悔してもすべてが遅い。僕はなすすべもなくキメラの骸に押しつぶされた。


「小春ッ!」

 恐ろしく重たいキメラの骸を退かそうともがいていると、ちょうど救援がやってくる。

 さすがはマコトだ。タイミングというものをよく心得ている。


「小春! おい無事か、小春!」

「なんとか、無事みたいです」

「はぁ、よかった……」


「ここから出たいので手を貸してください。キメラがほんとうに重くて、動かすのが大変なんですよ」

「わかった。……せーのっ!」


 マコトに力を貸してもらい、物言わぬ金属の塊となったキメラの真下からやっとの思いで脱出すると、ようやく一息つくことができた。

 自分はまだ生きている。その現実を幾度も噛みしめ、可能な限りネガティブな思考を脳内から排除するべく努力した。


「…………」

 マコトが何かを言いたげな、不安そうな表情でこちらをじっと見つめている。


 そうさ、僕は彼女の上官なんだ。しっかりしないと。

 とりあえず僕自身の新しい上官を探さなくてはならない。


 大佐の上の階級となると、それは将官だ。

 少将以上が望ましいけれど、そのひとつ下の准将でもいい。

 将官ともなると最前線に出る階級ではないから、この施設のどこかに居るはずだけど――。


《緊急報告。賽原基地メインシステムより全隊へ通達》


 ん? いったいなんだ?


《賽原基地に所属する全将官級職員の生体信号をロスト。戦死と判断。現時点における賽原基地所属の最上級職員は雪風小春大佐。よって雪風小春大佐は暫定的に〝賽原基地司令官〟となります。繰り返します――》


 突如としてもたらされた情報に愕然とするしかなかった。

 ……え? 僕がこの基地の司令官?


「えっと、司令官?」

「ちょっとマコト、やめてくださいよ」


 今更になってアリス様の気持ちがわかった気がする。

 仰々しい敬称で呼ばれるなんて堅苦しいことこの上ない。


「調子が狂いますから、いつも通りでお願いします」

「でもさ、これはさすがに。今は非常時だしさ」


「その非常時だからこそ、普段と変わらないことが大切なんです。だから、どうかお願いしますよ」

「わかったよ。いつも通りだな。……それで小春、これから俺はどう動けばいい?」


 すでにマコトは、アリス様の死と司令部の壊滅という、度重なる精神的打撃から立ち直っている様子だった。先ほどまで不安と恐怖に萎縮していた彼女は、今や闘志に燃え、陽炎の如く立ち上る気炎を全身に纏っている。


 短く整えられた黒髪の奥で輝く澄んだ琥珀色の瞳が、まっすぐ僕をとらえて離さない。

 さすがはマコトだ、本当に頼りになる。


「そうですね……」

 課せられた責任は極めて重大だ。


 なにせ現在の賽原基地には、僕以上の階級を持つ者が誰もない。

 最初からなにもかもを自分自身で判断して行動しなければならないのである。


 目下の最優先事項は、キメラの殲滅だ。司令部の壊滅によって前線はどこも混乱しているはずだから、僕が直接向かって指揮する必要がある。けれど、多くのキメラが徘徊している賽原基地を放置するわけにもいかない。


 となると最適な行動は……。


「これからしばらくは、別行動で行きましょう。マコトは賽原基地の内部からキメラを一掃してください。僕は混乱を収束させるために第三防衛ラインへ向かいます」

「わかった、基地の中は任せてくれ」

「頼みます」


 お互いに頷くと、僕らは別々に行動を開始する。


 余計なことを考える前に、味方を助け、指示を出し、敵を殲滅するための方策を考える。


 そうして争乱続く戦地をがむしゃらに生き抜いていく。今は生き抜くことだけに集中していればいいから、ある意味気が楽だった。戦地に身を投じることも、そこで自分が死ぬことも、いつの間にか立ち竦んで恐怖するほどのものではなくなっていた。


 今の自分が何より恐ろしいと感じるもの、それは強制的にアリス様の死と向き合わなくてはならない平穏と静寂であった。




 二〇二三年・五月二十九日。

 この日、旧横浜市港南区に発生した巨大特異点からおよそ八千五百体ものキメラが出現し、周辺の賽原基地並びに横須賀基地は、それぞれ大損害を被った。


 極小の特異点を通じた基地施設内部への直接攻撃、そして人間に擬態したキメラによる破壊工作により、両基地の司令部は消滅。圧倒的物量を最大限に活用した集団突撃戦術によって、戦線に投入された地上部隊はことごとく壊滅し、大半の将兵が死傷する結果となった。


 その中でも横須賀基地へ派遣された救援部隊の損耗率は極めて高く、構成員一千五百名の中一千二百名が戦死し、残り三百名も全員負傷した。それほどまでに横須賀での戦闘は激しく、また凄惨なものであったのだ。


 横須賀基地が保有する戦力は、賽原基地ほどに潤沢ではなく。


 さらに本格的な戦闘が開始される以前に、多数のキメラが基地の内部に侵入していた影響もあって指揮系統は混乱を極め、賽原基地との情報共有もできなかったため、数千規模の敵本隊が接近していることにも気づけず、時間だけを浪費してしまった。


 そうした初動の遅れから、横須賀基地の防衛ラインは早々に瓦解。

 戦闘部隊は後退に後退を重ね、遂には民間人の居住区であるスラム街へと敵の侵攻を許し、泥沼の市街戦を強いられた。


 横須賀基地に所属する戦闘部隊は、二十万の民間人を巻き込みながらも、自分達にとっての生命線である基地施設を防衛するために戦わざるを得ず。司令部壊滅による指揮系統の寸断から部隊構成員の半数以上が戦死しようと撤退もままならず、次第に攻め寄せるキメラに包囲され、殲滅されていった。


 今回の戦闘における最終的な死傷者は、一万一千名を超えた。


 内訳は、死者四千名・重軽傷者七千名だが、これは賽原基地のみの数字である。

 横須賀基地や周辺のスラム街にまで範囲を広げれば、死傷者の数は最低でもこの五倍に膨れ上がるだろう。


 戦闘そのものは日没前に終わったが、被害の規模があまりにも大きく、また多数の死傷者を出したことによる人員不足などといった様々な要因から、依然として全容を把握できていないのである。


 こうして悪夢のような二十九日が終わった。

 しかし、悪夢は終わらない。


 ――翌日、五月三十日の早朝。耳を疑いたくなる凶報が賽原基地にもたらされた。


 統合軍総司令部の事実上の消滅。


 そして全世界の統合軍基地の壊滅。


 特異点を通じたキメラの襲撃は、日本だけでなく、世界各地で同時多発的に発生していたのである。

 西暦二〇〇〇年から続く人類の存亡を賭けた戦いは、まだ終わってはいなかったのだ。





第6章 『鳩』・完。


明日から第7章です。

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嗚呼…。
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