5 賽原基地防衛戦
最前線では地獄のような、いや、地獄そのものとしか表現しようのない光景が周囲に広がっていた。
敵味方の砲弾が毎秒何百発と飛び交い、高威力の対地ミサイルと重量二百キロを超える投下型爆弾が常にどこかへと落とされ、常人であれば立っていられないほどの地響きと衝撃波が、ありとあらゆる方向から一斉に押し寄せてきている。
発生した巨大な特異点から無尽蔵に出現するキメラは、数百から一千程度の群れを複数形成すると共に、波のように賽原基地へと攻め寄せてきていた。
そうした敵集団が絶え間ない砲爆撃をくぐり抜け、防衛ラインへと到達する度に、自軍からおびただしい死傷者が出る。
戦局は刻一刻と悪化し、その深刻さは端的に言って絶望的であった。
最終的な敵戦力が、どれほどの数量にまで膨れ上がるのか、現在のところ予測もつかないのである。
《極超音速戦闘へ移行します。ご注意ください》
そんな混沌とした最前線をハミングバードは突き進む。
ムクドリ型永久発電機構から供給される無尽蔵の電気エネルギーが、荷電粒子推進機構へと注がれていく。左右の肩甲骨付近に存在する噴射口から一瞬だけ眩い閃光が迸った刹那、微細な重金属粒子が亜光速で機体の後方へと射出された。
生身の人間であれば四肢がちぎれ飛ぶほどの反作用によって機体は加速し、瞬間的に音速の壁を突き破る。
《相州五十七代鬼正、抜刀》
その速度を維持しながら、対物ブレード〝相州五十七代鬼正〟を腰部のブレードランチャーから抜き放つ。北東方向から防衛ラインを迂回し、後方を脅かさんとするキメラの別動隊――総数三百へと、僕とマコトは真っ向から挑みかかった。
「――やぁ!」
「はぁ!」
音速を超えた際に発生する衝撃波すらも置き去りにして、鈍い光沢を放つ相州鬼正の刀身が軽やかに乱舞し、瞬く間に十数体のキメラを粘土細工の如く真っ二つに斬り裂いていく。
「…………」
――戦略機動部隊〝ハミングバード〟の元隊員にして、兵器開発において特殊な才能を発揮した式上ゆきの生み出した相州鬼正。
優美な相州伝の趣きを残す鬼正は、特徴的な鉛色の刀身を持ち、刃を超高速で振動させることで、万物を斬り裂く特殊形状の軍用対物ブレードである。
アルバトロスとの戦争が絶望的戦況のまま推移しつつあった最中に、人類守護の一念に突き動かされた式上ゆきが、全身全霊を捧げて生み出した正真正銘の斬鉄剣であるがゆえに、その性能は史上最高の刀剣と言っても差し支えない。
キメラの堅牢な甲殻を十や二十斬り捨てようと、相州鬼正は刃こぼれすらしないだろう。
しかし、この名刀を生み出した式上ゆきは、もう居ない。
戦場にて散り、キメラへと造り替えられ、人としての意識を失いかけていた彼女を、最後に僕が相州鬼正を使って殺めたのだ。
「…………」
キメラを一体、また一体と斬り伏せる度に、彼女を殺めた時の感情と感触を思い出す。
キメラとは元人間だ。キメラに食い殺された人間が、アルバトロスの体内でキメラへと造り替えられ、また新たな人間を襲う。そういった仕組みになっている。
つまりキメラを殺すということは、犠牲となった民間人や戦場で散っていった勇敢な軍人たちを再び殺めるのと、相違ないのかもしれない。
それを再認識した途端に猛烈な忌避感と自責の念が、鬼を正す灰色の刃となって全身を貫いたが、それでも怯まずに刀を振るい続けた。
僕の隣で戦うマコトは、キメラの正体についてなにも明かされていない。
明かす必要がないと、アリス様を含む統合軍の上層部が判断したからだ。
その判断は正しかったと、今の僕なら素直に頷くことができる。
こんな忌避感は、戦場において邪魔にしかならないのだから。
「小春」
「――!」
不意にマコトから名前を呼ばれた僕は、多少強引にでも笑顔を浮かべてみせた。
「はい、なんですか?」
「横須賀の司令部とはまだ連絡がつかないのか?」
機体に内蔵された通信端末を使っての会話であるため、高速機動を織り交ぜた戦闘中であっても相手の声がクリアに伝わってくる。
「そのようですね。でも、僕たちが今できることは――」
当然ではあるけれど、会話の途中でもキメラは容赦なく襲いかかってきた。
眼前で発射された徹甲弾を対物ブレードで打ち払い、撒き散らされた強酸性の消化液を回避し、返す刀で三対の脚が生えそろった胴体を真横に薙ぎ払う。
「わかってるさ。俺たちが今できるのは、与えられた任務を一秒でも早く達成することだけ、だろ?」
「その通りです。早く片付けてしまいましょう。戦況が好転すれば、横須賀基地へ救援部隊を派遣できるかもしれませんから」
「……ああ。そうだな。その通りだ」
それからも交互に目配せしながら簡単な合図を送り合いつつ、僕とマコトは効率よくキメラを斬り捨てていったが、やはり多勢に無勢ということもあり、気がつくと全方位を取り囲まれていた。
すでに主砲である口部を開放し、発射態勢に移っているキメラの姿も見てとれる。
僕らは互いに背中を預けながら、徐々ににじり寄ってくる奴らへと正眼に構えた刃の切っ先を突きつけた。
「くっそー、すぐ囲まれちまう」
「こちらから打って出ます。準備はいいですか?」
「いつでもいいぞ!」
上空を飛行する戦闘ヘリコプターすらも一発で撃ち落とす四十ミリ徹甲弾が、周囲を取り囲む数十体ものキメラから一斉に放たれた。
「――ッ!」
「――ふッ」
――吶喊。
迫る死の危険が感覚を研ぎ澄まし、脳の処理機能が飛躍的に向上する。
極限まで引き伸ばされた時間の中で、背面の荷電粒子推進機構へ電力を供給すると、地面に倒れる寸前の前傾姿勢から地を這うも同然の高度を滑空した。
直後、渡り鳥に搭載された防御機能の一つが発動する。
機体表面上に展開された重金属粒子の対流層である〝電磁流体装甲〟が、直撃した何発かの敵砲弾を瞬間的に蒸発させ、無傷のままキメラの包囲網を食い破り、活路を開くことに成功した。
その際、急激に増大した消費電力が機体の温度を上昇させたが、熱は体内に蓄積されることなく、熱交換器として機能する頭髪を伝って速やかに体外へ放出されたお陰で、まだ許容範囲内に留まっている。
僕の髪、つまり脳核を最優先で冷却し続けている無数のヒートパイプは、普段の淡い色合いから打って変わって、熱を帯びるほどに色艶を増していく。
今や黄金色の光沢を纏った髪は、機体の発熱によって発生した小さな上昇気流に持ち上げられ、ひとりでに揺らめき始めていた。
一見すると完全無欠であるようにも思える電磁流体装甲だが、もちろんそれは短時間の内に連続して被弾しなければの話である。先ほどのような被弾を繰り返せば、防御層を貫通される可能性が増大するだけでなく、必然的に排熱そのものが間に合わなくなってくる。
そうなれば、機体がオーバーヒートして行動不能になるのは目に見えているから、あれほどの砲火に晒された後で無傷だったからと言って、油断などしていい状況ではなかった。
「小春、何体倒した?」
「これで、七十五体目」
「俺もこれで七十五体倒したから、敵の残りは百五十と少しか」
「あと半分ですね」
それにしてもマコトは本当によく戦えている。
これだけ動ければ上出来だと思う。
彼女には、そういった人並外れた才能が備わっていることは確かだけど、決してそれだけではないように思える。実戦経験が乏しくとも、行動に一切の迷いがないのは、それだけ多くの時間を戦闘訓練に費やしてきたことの証明に他ならない。
唯一気がかりなのは、その優れた戦闘能力をどれだけ長時間維持できるかだけど。
こればかりは、戦いのなかで実際に確認していかなくてはならないだろう。
訓練での消耗と実戦での消耗は、生死に直結するという点でまるで意味合いが異なるから、そこをマコトが勘違いしていないか心配ではあるけれど、今のところ応答はハッキリしているし顔色にも問題はなかった。
この様子なら、彼女はきっと大丈夫。
僕はそう確信していた。
「このまま気を抜かずに片づけましょう」
「了解」
電力の供給を受けた荷電粒子推進機構が、再び壮絶な加速を機体にもたらした。
最高速度で戦場を駆け抜けながら、三枚の花弁に似た形状の推力偏向パドルを小刻みに動かし、極小の旋回と立体的な機動を駆使しつつ空中を自在に飛び回り、絶えず放たれるキメラの徹甲弾を最小の運動で的確に回避する。
発揮される強大な推進力と比べて、機体の重量が驚くほど軽いからこそ可能な回避運動であった。
「僕が背中をカバーします。徹底的に暴れてください」
「はいよ! ――よっしゃ、行くぜ!」
斬りながら敵の攻撃を避け、避けながら敵を斬る。
流れ作業のようにそれらを交互に繰り返す。時には攻守を入れ替えつつ、密集してジリジリと進攻を続ける敵集団を切り崩し、それをやすりで跡形もなく削り尽すように、徹底的に駆逐していく。
「?」
そんな時だった。唐突に司令部から通信が入る。
オペレーターの抑揚のない声が脳内に響き渡った。
《司令部からパックス・ワンへ通達。交戦エリアが賽原基地に近づき過ぎています。可及的速やかに敵集団を排除してください》
「――ッ」
振り返ると、すぐ後方には基地の外周に張り巡らされたフェンスがあった。
ここはもう射程圏内だ。
決して奴らに賽原基地を攻撃させてはいけない。
なんとしてでも、これ以上接近させることなく殲滅しなければ。
「あ!」
そう考えていた直後、心の焦りが太刀筋を鈍らせたのか、百三十体前後のキメラを屠り続けながらも、まだ刃こぼれ一つしていなかった対物ブレードは、その甲殻に阻まれてあっけなく破損してしまった。
「――くっ」
刀身が真っ二つに折れてしまったそれをすぐさま投棄し、ブレードランチャーのセンサーに手をかざす。機械的な動作音と連動して、瞬時に内部から押し出された柄を握り締め、新しい相州五十七代鬼正を引き抜いた。
ランチャー内の相州鬼正は、左右合計して残り八本。
無数に生産された相州鬼正に、性能のばらつきは存在しない。
驚異的な品質と信頼性によって、常に最高であり続ける。
これぞまさしく相州鬼正の真骨頂だ。
量産品でありながら、最高の職人が造り上げたオーダーメイドの工芸品と同等以上の性能をコンビニエンスに実現したからこそ、史上最高の刀剣と呼ばれているのである。
「…………」
別動隊の総数は、もうすぐ当初の一割を下回ろうとしていた。
このままいけば削り切れる。与えられた任務の達成を確信しながら、しかし、眼前のキメラを切り伏せた瞬間――。
淡雪のように真っ白な式上ゆきの小柄な後ろ姿が、ノイズとなって脳裏に浮かぶ。
「……!」
ああ、まただ。
腹の奥底から噴出した罪悪感と、コールタールのように纏わりつく忌避感に精神が軋みを上げ、僕は思わず悲鳴を上げそうになった。
「ぁああああッ!」
口からあふれ出そうになる悲鳴を絶叫で塗り潰し、そういった様々な暗い感情を怒りというエネルギーに変換して、眼前にひしめく二十数体のキメラに全力で叩きつけていく。
「……ッ!」
もう一振りの相州鬼正をブレードランチャーから引き抜き、左右に携えた刃で最後の敵集団を徹底的に斬り刻む。この不快極まりない、喉を掻き毟りながらのた打ち回るほどの罪悪感と忌避感から逃れたい一心で、ひたすらに刃を振るい続けた。
「はぁ、はぁ」
そうして気が付くと、周囲はキメラの残骸で埋め尽くされていた。
動くものは僕ら以外には皆無で、レーダーで確認してみても付近に敵反応はない。
遠くから聞こえる爆撃や砲撃の音だけが、遠雷のように空気を震わせていた。
「…………」
ふと手元に目を向けると、相州鬼正の刀身から赤黒いキメラの体液が雫となって、途切れることなく滴り落ちている。
己の両手はその体液で赤く濡れていた。
――そうか、この赤い水は、もとは人間の血液だったのか。
「小春?」
マコトが心配そうにこちらを見ている。
自分の頬に触れてみると、確かに僕の表情は険しかった。
こんな顔をしてちゃダメだ。僕は部隊の隊長で、彼女を率いる立場にいるんだ。
ちゃんとしないと。
僕は今できる精一杯の笑顔を作りながら、爪が割れそうになるほど強く握り締めていた鬼正をその場で大きく振るい、刀身に付着した血液を一気に払った。
「おい、大丈夫か?」
「……ええ、大丈夫です」
「そ、そうか」
どうしてだろう。
一応笑ってみたはずなのだけど、マコトの表情がまた一段と曇ってしまった。
まあいいや。今はとにかく司令部に通信を入れないと。
「司令部、こちらパックス・ワン。任務完了。部隊に被害なし。合計三百十七体のキメラを撃破しました。次の指示をお願いします」
《……小春》
あれ? オペレーターさんじゃなくてアリス様の声が聞こえる……。
まもなくして視界内に立ち上がった小さな枠の中に、やや険しい面持ちのアリス様が映し出された。
《平気? 体力の消耗が激しいみたいだけど》
「そうですね。でも前回の討伐作戦に比べれば、まだまだ余裕があります。それで、アリス様はどうなされたのですか? なにか緊急の用事でも?」
アリス様は僕に対してなにかを憂い、どんな言葉を掛けるべきか迷っている様子だった。
けれど彼女が、その懸念を言葉として口にすることはなかった。
《…………》
自分の感情を押さえつけるように目をつむると小さく息を吐く。そしてその小さな呼吸一つで自身の意識を切り替えると、憂いや迷いを完全に断ち切ってみせたのである。
《小春、補給の必要は?》
「ありません」
《そう。それなら今すぐ第一防衛ラインに急行してほしい》
そこにはもう僕の大好きアリス様は居なかった。
賽原基地最高司令官の来栖野有栖上級大将が、戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長にして直属の部下である雪風小春大佐に対して、どこまでも事務的に次の任務内容を伝達するのみであった。
《第二〇一重機械化歩兵師団隷下の第一大隊が壊滅した》
「――!」
《所属隊員の約半数が戦死。大隊長は意識不明の重体。重軽傷者を含めた部隊全体の損耗率は七割を超えている。現在、後方の第二防衛ラインにおいて、残存戦力を含めた部隊の再編が行われている》
「第一防衛ラインはどうなりました?」
《すでに放棄した》
「――!」
厳しい。なんて厳しい戦況だ。
横須賀へ救援に向かうどころじゃない、このままじゃ賽原基地が……。
「アリス様、僕らはすでに放棄された防衛ラインでなにをすれば?」
《歩兵部隊の撤退を支援して》
「まだ撤退が完了していないのですか!?」
《指揮系統が混乱と敵の攻撃の激しさから、約百五十名の隊員が最前線に取り残されている。彼らを一度に撤退させると前線が完全に崩壊し、キメラが第二防衛ラインまで雪崩れ込んでくる。そうなると現在再編中の部隊では対処できない可能性がある。……最悪の場合、第二防衛ラインそのものが崩壊しかねない》
「わかりました。ただちに急行します」
《お願い。司令部としても十分な支援を約束する。小春からの支援要請は最優先で処理させるから、砲兵部隊と航空部隊を好きに使って》
「はい」
《……こちらの話は以上。健闘を祈る》
通信は始まった時と同様に、唐突に終わった。
もう少しアリス様との会話を続けていたかったけれど、そんな余裕はありそうにない。
とにかく早く前線に向かわなくては……。
「マコト、さっきの通信を聞いていましたか?」
「ああ」
力強く頷くマコトの全身から闘志という名の気炎が立ち昇っていた。言葉を交わすまでもなく、壊滅した第一大隊の仇を取り、力尽きる最期の瞬間まで戦い続けるという彼女の強い決意が、その瞳の奥から伝わってくる。
「これより第一防衛ラインへ急行します。ついて来てください」
「了解!」
次の投稿は土曜日です。




