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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第1章 それでも僕は男なんだ
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1 記憶喪失とメイド服


 僕は男だ。


 けれど今は、とあるお屋敷でメイドとして働いている。


「んーっ、今日もがんばるぞーっ!」


 名前は、雪風小春(ゆきかぜこはる)。年齢は、おそらく十代後半。たぶん日本人だと思う。


 どうしてそんなにも曖昧なのかというと、今から二カ月前に、突如として自分に関する一切の記憶を失ってしまったからだ。


 はっきり言って、重症である。自分の名前はおろか、自身の容姿すら忘れてしまっていて、鏡に映る姿を見ても、自己認識すらできない有様だったのだ。


 そんな状態で深い森の中をさまよっていた身元不明の僕を保護して、雪風小春という新しい名前と、新しい居場所を与えてくださったのが、世界的な資産家、来栖野(くるすの)家の現当主アリス様だったのである。


「よーしっ!」


 窓から差し込む四月下旬の柔らかな朝日に照らされつつ、僕はお屋敷の一階の片隅にある、八畳ほどの自室でパジャマからメイド服に着替えると、身だしなみを一つひとつ丁寧に整えていった。


 来栖野家から支給されたメイド服は、シンプルな白いエプロンと紺色のワンピースを合わせた清楚なデザインで、肌の露出はほとんどない。ただ不思議なことに、メイド用のキャップを含めた頭飾りは一切支給されておらず、着用も推奨されてはいなかった。


「うん、ばっちり」


 鏡の前に立ち、フリルひかえめなロングスカートのメイド服姿で、くるりと一回転。


 寝癖なし、肌荒れなし、血色よし。


 今日も今日とて鏡の中の僕は可愛らしく、その外見に非の打ちどころはなかった。


「…………」

 身長百六十二センチ、手足はスラリと長く、体格は細め。


 顔立ちは非現実的なまでに整っている。


 透明感のある淡いプラチナブロンドは癖のないストレートで、シルクを思わせる光沢を発しながら背中まで達していた。色素の薄い頬はほんのりと桜色に色づき、くすみ一つない。


 唇は薄く、鼻は小ぶり。


 ぱっちりと開かれた両目には、南国の海を思わる爽やかな青い瞳が輝いていた。


「これは自分、これは自分」


 すっと目を閉じ、自身の容姿を脳裏に思い浮かべ、これは自分だと二回呟く。


 この自己暗示は、毎朝行っている日課の一つだった。


 今から二カ月前。

 ――ぼくは、だれ?


 自分は何者なのか、どんな容姿をしているのか。男なのか、女なのか。そんな自己に関するすべてを忘れて深い森の中をさまよっていた僕は、幸運にも世界的な資産家であるアリス様に保護された。


 しかしそこで、不幸というありきたりな表現では到底納得できない、あまりにも奇妙な勘違いが発生してしまったのである。


 僕は男だ。正真正銘の男だ。それは疑いようがないし、アレだってちゃんとついてる。


 けれどその容姿は、自分だって未だに信じられないほど、可憐なものだったのである。


 結果として僕は、身元不明者として保護されて以降は女性として扱われ、来栖野家のメイドとなって働いている。


 なにもかも嘘みたいな、けれど本当の話だ。


 アリス様、つまりご主人様は、僕が男だなんて疑いもしていない。


 男女の性差に起因するトラブルが発生しても、そのほとんどが記憶喪失の一言で片づけられたからだ。

 だからこそ、自分は女ではなく男なのだと、もっと早く言い出すべきだった。


 サイズがぴったりのメイド服とピンク色の女性用下着、そして大量の生理用品が支給されたあの日、それらを受け取る前に潔く真実を告白するべきだったんだ。


「ああ、もうっ! どうしてこんなことにっ!」


 本当に最低だ。僕は恩人を騙し続ける最低最悪な女装野郎だ。


 いつかその報いを受ける時が必ずくるだろう。


 それがたまらなく、どうしようもなく恐ろしい。


 けれど鏡の前で立ち尽くす自分は、その恐ろしい現実を直視することができなかった。


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