第13話 満月の夜~ゾーイ~
洞窟に足を踏み入れた瞬間、冷たい空気が身体を覆った。
村長曰く、この場所には普段、誰も近づかないらしい。
その昔、村人が最奥で女性の幽霊を見たのだとか。
小さな村のため、噂はあっという間に広がり、それ以降、中に入ったものは誰もいないという。
幽霊か___
正直、今回はそっちのほうがよっぽどマシだ。
別にホラーに耐性があるってわけじゃあない。
どちらかと言えば苦手な部類だ。
でも____
今回の相手は、魔族。
危険度って意味じゃあ......
おそらく段違いだろう。
どんどん奥へと進んで行くが、誰も喋ろうとはしない。
聴こえるのは響く音だけ.......
冷えた空気も相まって、緊張感はどんどん高まっていった。
しばらくすると、前方に明りが見えてきた。
あれは____
月明かりか?
光の方へと脚を運ぶ。
すると____
中には大きな空間が広がっていた。
天井には巨大な裂け目ができており、そこから月の光が差し込んでいる。
なんとも幻想的な雰囲気だ......
だが、そんな情緒は月明かりに照らされる異形によって、強制的に塗り替えられることになる。
"恐怖"という、たったひとつの感情へと。
山羊の頭、黒いローブを身に纏うその異形は、天井を見上げ、両手を広げていた。
まるで、月明かりに身をゆだねるかのように。
ゾーイ「おや、どうやらお客様のようですね」
こちらに気が付くと、そいつはゆっくりとこちらに向かってきた。
ゾーイ「ディナーを運んできたのかと思ったのですが......どうやら違うようですねぇ」
「アナタ方......あの村の人間ではないでしょう?」
なんて......おぞましい声だ。
その一言一言......
心臓が握りつぶされそうな感覚になる。
ふぅぅぅぅ........
俺はひとつ息を吐いた。
ウィル「たまたまここに寄った旅人だよ。村の連中に聞いたら、随分厄介なことに巻き込まれてるって言っててな」
「だから......俺たちが代わりにここに来た」
ゾーイ「そうですか......なるほど。これは随分と、面白いことになってきましたね」
「ワタシの名前はゾーイ。以後、お見知りおきを」
胸に手を当て、丁寧にお辞儀をする。
その口調といい、一見すると紳士的なその対応。
だが_______
そのおぞましい姿との"ずれ"が、恐怖をいっそう増長させる。
スピカ「私はスピカです!」
スピカは一歩前に踏み出すと、ゾーイを真っすぐに見つめた。
ゾーイ「スピカですか。アナタは、とても礼儀正しいですね」
「後ろのおふたりの......お名前をお聞きしても?」
ゾーイは、まず俺の顔を見た。
くそっ......
覚悟は決めて来たはずなのに......
こんなにも......
ウィル「......ウィルだ」
ゾーイ「ウィル。とても良い名前ですね」
「......では、そこの......背の高いアナタ」
「お名前は?」
ゾーイは視線を移す。
カーティスの表情は____
一切変わらない。
カーティス「答える必要があるのか?」
ゾーイ「ええ。こちらは名乗ったのですから」
「そちらも......名乗るのが礼儀でしょう?」
すると、カーティスはまるで馬鹿にするかのように鼻で笑った。
カーティス「知性がある振りなんてしなくていい」
「お前は......ただの薄汚い魔族だ」
こいつ......
なに考えてんだ!?
そんな挑発なんてしたら........
ゾーイ「ほう......」
「あなた......随分と失礼な方ですね」
そう言うと、ゾーイは右手をカーティスのほうへと伸ばした。
カーティス「ぐっ......」
直接触れているわけではない。
だが____
カーティスの身体が、ひとりでに宙に浮かぶ。
ウィル「おい! やめろ!!」
「カーティス! そいつの名前はカーティスだ!!」
ウィルの必死な形相を見て笑み浮かべると、ゾーイは伸ばしていた腕をゆっくりと下げた。
カーティス「ガハ、ゲホ......!」
ゾーイ「お仲間に感謝するんですね。本来ならば、首と胴が離れているところですよ」
ゾーイの左手には杖が握られていた。
先端が禍々しく尖り、金色の輪がいくつも付いている。
その杖で、月明かりにもっとも照らされる洞窟内の中心を指すと______
ご機嫌な表情を浮かべて語り出した。
ゾーイ「さて......ワタシは今日、とても気分が良いんですよ」
「月明かりの下でのディナー。この日を、ずっと待ち焦がれてきたんです」
「ですから......あなた方のことは見逃してあげます。すぐにこの村を出れば、危害は加えません」
そう言うと、ゾーイは何かに気が付いたかのような表情を見せたあと、言葉を続けた。
「おっと、その前に.......コーネルに、こうお伝えください」
「"残念でした"と」
笑みを浮かべている。
恍惚が入り混じるその表情。
捕食者としての______
余裕さえ感じる。
スピカ「どうして......」
「どうしてこんな酷いことができるんですか!?」
スピカの叫びで、ハッと我に返る。
完全に、恐怖にのまれていた。
______このままじゃあダメだ。
しっかりしろ。
ウィル「村長から聞いた。あんた"久々に地上に出てきた"んだろ」
「なら、普段人間は食ってないってことだよな?」
「なのに......なんでこんな回りくどい真似してまで、人間を食おうとするんだよ?」
カーティスの話だと、魔族は"地下世界"と呼ばれる場所で暮らしているらしい。地上と繋がりがないため、本来魔族が現れることはないはずなのだが......
稀に出現する"裂け目"と言われる場所から、こちらに出てくるやつがいるらしい。
ゾーイ「......スパイスですよ」
ウィル「スパイス?」
ゾーイ「そうです。ワタシはね......恐怖に満ちた人間の表情が大好きなんですよ」
「恐怖は......食事をする上で最高のスパイスになるんです」
今......
なんて言った?
ウィル「......それだけなのか?」
ゾーイ「それだけ? ワタシには、とても重要なことですよ」
「今回は、コーネルが良いスパイスを提供してくれるでしょう」
「村の代表として彼が選んだ生贄を......目の前でワタシが食べるんです」
「そんな、仲間の姿を見て......苦悩と恐怖に引きつる彼の表情......」
「想像するだけで......たまらない」
この世のものとは思えない表情浮かべる異形。
その思考は......
人の理解など決して及ばない。
スピカ「許せない......」
杖を持つ彼女の手が......
あれは.......恐怖で震えているんじゃあない。
スピカ「そんなこと、私たちが絶対に許しません!!」
ゾーイ「許さない? それならば......どうするのです?」
「まさか......ワタシと戦うおつもりですか?」
ゾーイ______
俺は、さっきまでこいつにびびってた。
覚悟を決めて、ここまで来たはずなのに。
完全にのまれてたんだ。
けど_______
もう、そんなものは塗り潰された。
今、俺の中にある感情はたったひとつだけ。
こいつに対する......
怒りだけだ。
ウィル「悪りぃんだけどさ......こっちは最初からそのつもりなんだよ」
「お前は......ここで潰す!」
真っ直ぐに向けられる殺意。
だが、ゾーイは身構えることさえしない。
ゾーイ「そうですか......まあ、いいでしょう」
「ところで......結界が張ってあったはずですが......」
「この村にはどうやって入って来たのですか?」
カーティス「私が解除した」
ゾーイ「ほう......アナタが」
ゾーイは不思議そうにカーティスを見つめる。
カーティス「あの程度の結界であれば、人が通る穴を空けるくらい......少し時間があればできるさ」
ゾーイ「そう......ですか」
*
なるほど......だから感知できなかったのですね。
本来、結界が解除されればワタシにもわかるはずなのですが.......
ほんの一部分。しかも、またすぐに閉じてしまったのでしょう。
それにしても____
とても滑稽だ、この男は。
この村に張った結界に、ワタシは殆ど"魔力"を使っていない。
適当に作ったものを、ああも自信満々に解除したなどと......
この男の絶望した表情も、良いスパイスになりそうですね。
*
ゾーイは思わず笑みをこぼすと、
ゾーイ「わかりました。では、お相手しましょう」
「ただ......普通にやっては、あなた方に勝ち目はない」
「そこで.....」
ゾーイがおもむろに右腕を伸ばす。
すると_____
スピカ「きゃあ!!」
カーティス「ぐっ!」
ふたりは空間の入り口の方へと吹き飛ばされた。
ウィル「てめぇ! なにしやがる!?」
ゾーイ「おっと。少し落ち着いてください」
「今......舞台を作りますから」
そう言うと、ゾーイは持っている杖の底を地面に押し当てた。
シャーーーン...............
ゾーイ「怨(オ"ーン”)」
その言葉を合図に、半透明の四角い結界が生成されてゆく。
それは、洞窟の天井や地面、壁際まで広がっていった。
その結界にのみこまれていないのは_________
スピカとカーティスがいる入口付近と
その真逆にある洞窟の最奥。
その一部分だけであった。
ゾーイ「これからゲームを始めます」
「ウィル......ワタシとアナタで」
ウィル「ゲーム......だと?」
ゾーイ「ええ、そうです」
ゾーイは右の掌を上に向けた。
ヴヴゥゥン.......
突如、手に少し余るほどの黒い球体が出現した。
ゾーイ「これを、いくつか結界の中に放ちます」
「因みに......」
そう言うと、ゾーイは落ちている石をその球体の中に放った。
すると______
ギャギャギャギャ.......!!!
まるでミキサーにでもかけられたかのように、小さな砂粒となって地面に落ちてゆく。
ゾーイ「このように、触れたものを巻き込み粉砕してしまいます」
「触れたら......ケガだけでは済みませんよ」
「更に.......この球にはもう一つ特性があります」
ゾーイは黒い球体を壁際へと放った。
真っすぐ飛んでゆくソレが、壁にぶつかると________
球体は、大きさを変えぬまま分裂した。
ゾーイ「結界に触れるたび、どんどん数が増えていきます」
「それでは......このゲームのルールを説明しましょう」
そう言うと、ゾーイは入口とは真逆の空間を杖で示した。
ゾーイ「いたってシンプルです。ワタシは、あの場所で座っています。そして......そこから一歩も動きません」
「アナタはこの球をかいくぐり、ワタシの元まで来てください」
「見事辿り着けたのなら......ワタシを攻撃する権利を与えましょう」
「どうです? アナタ達にとっては、ワタシを殺す大きなチャンスですよ」
なるほどな。
チャンスなんて言ってるが____
要は苦しむ姿を見て、楽しみたいだけなんだろう。
こいつにとって、この戦いは食事の前の軽い余興でしかないんだ。
ウィル「お前は結界の外に出るんだろ? 結界の中にいる俺は......お前を目の前にしても攻撃できないんじゃないのか?」
ゾーイ「ご安心を。この結界は、村に張ったモノとは違います」
「出入りの制限は一切ありません。ただ、内側にあるその球を反射するだけのものですから」
「ですが......球体はどんどん増えていきますからね。あまり時間をかけるのはお勧めしませんよ」
俺は後方にいるスピカとカーティスの方に目を向けた。
心配そうに俺を見つめるスピカの隣で___
カーティスはゆっくりと頷いた。
ウィル「村の連中がさ......」
ゾーイ「はい?」
ウィル「ごちそう用意して待ってるんだよ」
「だから......」
ウィルは鞘からナイフを抜くと、その切っ先をゾーイへと向けた。
「さっさとやろうぜ」
ゾーイは堪えきれずに「クックックッ」と声を漏らす。
そのままゆっくりと奥へと移動すると____
ゾーイ「それでは......始めましょう」
掌から生み出される数多の球体を、結界の中へと放った。