08,緑のおじさん
気付けば、俺は白い天井を見上げて寝かされていた。
……温かい……温度と言うものを、久々に感じた気がする。
当然だな、吹雪に巻き込まれて完全に感覚が死んでからもかなり長い事、登頂を続けていたのだから。
むしろ、よく温度知覚が回復したものだ。
とりあえず、現状の把あぐぁはァッ……!?
……ついでに、痛覚もきっちり戻っているな……!
少し体を起こそうとしただけで全身をめった刺しにされたような痛みを覚えたので、視線だけ動かして状態を確認してみる。
まるで苔の生えたミイラだな。
緑色の包帯で全身がぐるぐる巻きだ。
おそらく、森の精霊から祝福を受けた緑の騎士か霊術師によって造られた包帯だろう。
森の精霊は生命の活性化に関わる霊術を授けてくれるらしいからな。
治療道具に霊術加工を施すには適役。
……俺なんぞを、誰かが治療してくれたのか。
随分と、分け隔てない医者がいてくれたらしい。幸いな事だ。
――して、察するに。
ここは、北方駐屯基地の医療施設の一室か?
基地に辿り着いた後の記憶がない。
ゴールした安心感ですぐに気絶でもしてしまったか、記憶が欠損するほどの危篤状態に陥ったか……。
とにかく、現状を詳しく確認したい所だが……まったく動けんな。うん、痛い。痛い過ぎる。
痛覚がまともな機能を取り戻している、つまり肉体が順調に回復しているのは喜ばしい事なのだろうが痛い。
だがしかし……せめて、シオとシュガーミリーの状態を確認したい……!
ここはどうやら個室、しかし入院室にしては余りにも味気なく機能的過ぎるな。
着替えや嗜好品の置き場どころか、見舞いの品を置けそうなスペースすらもない。
治療のみに専念しなければならない容態の患者が入る場所……集中治療用の部屋だろう。
二人は別室か。無事なのか? 無事に決まっているよな?
ぐッ……とにかく、キツくとも起き上がって、ベッドを下りて、誰か、基地の関係者に話を……!
起き上がれ俺の体ァァァ……ああ、駄目だこれ。プルプル震えるのがやっとだしそれですら涙目になるくらい痛い。
……と、その時だった。
「おや、もう目覚めているとは。流石はシェルバン家の男……とでも褒めて、御機嫌を伺えば良いのかな?」
室内に入ってきた、白衣の男。白衣の下に着ているのは騎士の制服で、右腕には緑色の腕章――緑騎士だ。
雑な処理跡が残っている顎髭のせいで少々老けて見えるが、最近中年と呼ばれ始めたくらいの年齢だろうか。
丸刈りにされている髪も、拘りとかではなく「髪が長いと鬱陶しい」と言う雑な意思が透けて見える気がした。
……俺の名を知っているなら、俺が黒騎士である事も知っているはずだろうが……大して気にしていないように見える。
見た目からわかる大雑把な精神性故だろう、おそらく。
腕章の色から察するに、俺の治療をしてくれたのもこの人か。
「とりあえず、礼儀として自己紹介をしておくよ。オレはハサビ・ホンネリー。ご覧の通り緑騎士で医者さ。階級は四等騎士。よろしく」
「ミッソ・シェルバンです……」
「知ってる。で、どうだい? 自分を熱心に治療してくれたのが、むちむちナイスバディな女医じゃなくてガッカリしたかな?」
「多少。ですが今はそれよりも訊きたい事が――」
「あのちょっとバカっぽさが隠せてないツインテ嬢ちゃんも、お前さんが必死こいて運んできた可愛い兄ちゃんも、命に別状はないよ。オレが珍しく、全力を出して処置したからね」
ホンネリ―卿……いや、ハサビ先生は髭まみれの顎をボリボリと掻きながら、「おかげでここ最近は徹夜続きさ」と欠伸を噛み殺した。
「そうですか……ありがとうございます」
無事か……ならば何よりだ。
「しっかし、よくやるよ。ウチのボスも、お前さんら新入りも。軍人と医者は暇してるのが一番だって言葉、知ってるかい?」
「……そう言えば、医者だのに騎士号も取得されたのですか?」
医者になる勉強だけでも大変だろうに、騎士の修行までしたのか……。狂気の沙汰だな。
「逆だよ。緑騎士になってしまったから、医学知識もつけておけって王都務めの頃に上司に職権濫用されてさ。まぁ肩書きはどうあれ出世できるならそれもいいかと思ってたら、北方に飛ばされてやんの」
「不躾ですが……何かしたんですか?」
「治療に使いたくてちょろっと……国費で違法植物をたっぷり仕入れてたのがバレてね」
よく左遷だけで済んだなこの人……いざと言う時に使えるようにキープされる程度には優秀と言う事か?
第一印象通りに性格はすごく雑そうだが。
「で、質問だけど。オレと喋っていて、喉や舌に違和感はあったかな?」
「え……ぁ、はぁ……まぁ、痛い、ですが……」
喉も舌も激しく剥げたような痛みがあるし、自らの発声の振動だけでも全身が少しジンジンする。
「痛いのは当然さ。ちょっと口の中を見せてくれるかい?」
「……………………」
「……うん、大丈夫だね。上手くいってる。これオレの霊術でも治すの無理くさくない? って思うくらい酷い状態だったから心配してたんだけど、うん。問題なしだ」
「……さらっとトンデモない事を……」
「森の精霊の祝福だって万能ではないからね。オレにできるのは、あくまで治癒を手伝うだけ。そもそも治癒機能が完全に死んでる細胞には何の作用もできない」
体が急速に冷え過ぎて、壊死するより先に冷凍保存される形になったのかもね、などとつぶやきながら、ハサビ先生はてきぱきと腕を動かしていく。
俺の全身に巻かれた緑の包帯の交換と診察を同時進行しているらしい。
「末端も大丈夫だね。指の二・三は切断処理も覚悟してたんだけど、良い事だ。うん、うん……ここも問題なし。ここも……」
……気を遣ってくれている手つきだとわかるが、それでも少し撫で触れられるだけで痛い。
が、我慢だ、我まづぁ……!?
「……うん、まぁ、流石は最高貴族の出身と言った所だ。鍛え方もそうだろうけど、細胞の出来からして違うんだろうね。今のは御機嫌取りじゃなくて素直な感心」
「は、はぁ……?」
「想定してたよりもずっと治りが早い。他の二人より肉体的損耗が異常なまでに著しかったから、意識が戻るだけでもひと月はかかると踏んでいたんだけど……一〇日でここまで回復してるとは。これなら時間さえかければ完治、後遺症なく完全な元通りになるかもだよ」
……俺は一〇日も意識を失っていたのか。
ああ、そう言えば先ほど欠伸混じりに「おかげで徹夜続きだ」と漏らしていたな……。
夜を徹して、俺やシオやシュガーミリーの容態を管理してくれていたのか。
素晴らしい、医者の鑑にもほどがある。
「……本当に、ありがとうございます」
シオやシュガーミリーに関しては勿論、黒騎士相手でもこんなにも真摯に治療してくれる……本当に、何度だって礼を言っても飽き足らないほど――
「お礼は一度でいいよ。真面目な話、体力を微塵も無駄にしないで欲しいかな。すべて徹底して回復に回して。そして一秒でも早くオレの仕事を減らしてくれると嬉しい」
……やはり性格に多少の難はあるようだが、腕の良い医者なのは確かだ。
この人がシオとシュガーミリーも担当してくれたとくれば、ますます安心できると言うもの。
「あー……そうだ。意識が戻ったからには、上官命令としてお前さんを『ある人』に会わせる事になるのだけど……くれぐれも、あまり興奮しないように。傷に障る」
「……ある人?」
「多分、お前さんが今一番、ぶん殴りたい相手だよ」
……俺が一番殴りたい相手……パッと思い付いたのは、
「……クーミン・ミンタン」
「ああ、一番はそっちか。惜しい。まぁミンタン女史もついて来るだろうけど」
惜しい?
「――パイシス・ガローレン。うちのボスが、お前さんとの面会をご希望だよ」
「!」
「それに際して、注意をふたつ。ひとつ、先にも言った通り、あまり興奮しない事。ふたつめは……あまりあの女を刺激しない事」
「刺激……?」
と言うか、雑な性格ながらも医者らしく言葉使いは柔らかめだったハサビ先生をして「あの女」と言う言い草とは……。
「……あの女は……いや、個人的主観で悪評を吹き込むのはやめておこう。とにかく、あまり興奮せず、向こうを興奮させるような事もしないでくれ。確実に面倒くさい事になるから」
「は、はぁ……?」
パイシス・ガローレン……一体、どんな奴なんだ……?