馬車に揺られて Part.1
笠原明良という名前の由来は『明るく良い子に育って欲しい』というものらしい。
あの頃の明良はまだ小学生。
担任の先生から自分の名前の由来を聞いてくるようにという宿題を出された時、初めて彼女はそういった自分の名前の由来を知った。
だが由来を聞く以前も、聞いた後から今に至るまでも、男っぽい明良という名前が嫌いだということに変わりはない。
「終わった終わったぁ、あっきぃも今終わり?」
「うん、私も今終わったとこ」
十代に絶大な人気を誇るファッション誌、『TOKYO teen's』の撮影でスタジオを訪れていた明良が控室で着替えに取り掛かろうとした時、声をかけてきたのは同誌の撮影でよく一緒になる苑田江美だった。
「良かったぁ、何か食べて行こうよ」
「もうそんな時間かぁ」
携帯の画面を見てみれば、とっくに夕方の五時を回っている。
明良が喫茶店で一人昼食を済ませてからスタジオ入りをしたので撮影時間は軽く四、五時間といったところだろう。
道理で肩が重くなるほど疲れるわけだ。
「あっきぃも結構時間使った感じ?」
「まあね、なんかあの新しい編集部の人とカメラマンさんこだわり強いみたい」
「そう! そうなの! あのカメラマンちょっとウザくない?」
「聞こえてるって」
撮影用の衣装から私服に着替えても彼女達はファッション誌の表紙を飾れるほどお洒落なことに違いはなかった。
「絶対私らのことエロい目で見てるって、私そういうの分かんだから」
「脱がされないだけマシじゃん、エミは八月ぐらいからだったからまだ水着の撮影とかしたことないんでしょ?」
年齢こそ同じだったが、江美は八月から十一月の今に至るまで僅か四か月のキャリア。
それに比べて中学一年生の時から高校二年生の今まで五年近く読者モデルとしてキャリアを積んでいる明良は、彼女から見ればベテラン。
「何かみさちゃんも言ってた、水着の撮影って五月とかにやるんでしょ?」
「温かくなりきれてない湘南での水着は辛いよー」
「うわぁ、あのカメラマンとは絶対行きたくないし」
「別に私は慣れっ子だし、カメラマンさんがどんな目してようが気になんないけどなぁ」
江美とは撮影で数回会う内に気心の知れた仲となり、こうして撮影終わりでなくとも連絡を取り合ってショッピングに行ったりする仲だった。
撮影の愚痴もよく言い合ったし、お互いのファッションを褒め合ったりもした。
お洒落なお店があったらそれを伝え合うことも多々。
「さっすが、センパイ」
「からかわないでよ」
冗談を言って笑い合ったり、どんな男がタイプかとか、どんな恋愛をしてみたいとか――――。
そんな江美にすら言えない秘密が彼女にはあった。
「あー、このお店美味しいしお洒落だし、また来よっか」
高校二年生には不釣り合いなほどお洒落なイタリアンの店で食事を済ませた二人は最寄りの駅まで歩いていく。
「うん、また連絡してよ」
そんなことを言って明良は駅に着いた途端、右からホームに上がるエミとは真逆の左方向へ足を向けた。
「分かった、じゃあまたねー」
そもそも学区すら違う彼女達の帰路は全く逆で、読者モデルをしているという以外に共通点はない。
普通の女子高生にはない洒落た繋がり。
普通の女子高生にはいない洒落た友達。
――それが、明良には重たかった。
「……はぁ」
決して楽しくないわけじゃない。
明良が江美を友達だと思うことに嘘偽りはないし、一緒にいる時間を心から楽しんでいるのも事実。
だからこそ、明良は江美に打ち明けることができなかったのだ。
電車に乗り込んで大きな溜め息をついた明良が地元の駅に着き、点滅を繰り返す壊れかけの街路灯を眺めながら足を進めていたところ、
「あっ、そういえば昨日発売だっけ」
彼女が視線を移した先にあったのは、全国にチェーン展開している大型ゲームショップの店頭広告。
足を止め、ライフルを持った軍人が大々的にプリントされたゲームの広告をジッと見た後、彼女は二度三度と周囲を執拗に確認する。
「……よし」
小さな声で呟き、ハンドバッグからキャップを取り出すと深く被って店のご機嫌な入店音を鳴らした。
「良かったぁ、売り切れてなかった」
店頭広告にあった戦いに身を投げる軍人がパッケージプリントされたゲームソフトを手に取ると、急ぎ足でカウンターへ向かい店員に差し出す。
「あの、これ一つ……お願いします」
彼女自身は声質を変えているつもりなのだろうが、ちょっと低めで風邪を引いた少女の声にしか聞こえない。
何としても自分が読者モデルの『あっきぃ』とはバレずに購入したいらしく、それを知ってか否か店員は笑顔で彼女を迎え入れた。
「ありがとうございます! これ最後の一本だったんですよ」
「うぇ!? は、はあ……良かったです」
「私もこのシリーズ凄く好きで発売日の昨日買ったんですけど――――」
「はあ……」
もしも店員の女性が明良の事情を察していたのならば、これは公開処刑か何かに違いない。
本当にゲームシリーズが好きらしく、店員のありがた迷惑な対応を受けた明良は撮影時以上に疲れた顔でゲームショップから出てくる。
――――さん。
刹那、見慣れたはずの帰路は闇に包まれた。
――――お客さん。
暗闇の中を幾重にも反響する声。
「着いたよ、お客さん!」
ようやく自分を呼ぶ声と認識すると共に、肩を揺らす肉付きの良い手に気付いた。
目を覚ますと木の天井、そして背中を痛めつける固い木の長椅子。馬車の中で目が覚めたのだと彼女が認識するまでは時間を要した。
「……夢、か」
そうして馬車の先導をしていた中年男性に肩を揺らされて目を覚ましたアキラ。
状態を起こして大きな溜め息をつき、此処が自分にとっての現実なんだと思い知らされる。
否定などはしていない。拒絶もしない。むしろ、ゲームが好きだった彼女はファンタジー系RPGのようなこの世界を非常に気に入っている。
ただ一つ、今では夢となってしまった世界に思い残すことさえなければ、きっと隅から隅まで世界を満喫しているに違いない。
「もう終点だよ、荷物持って降りてくれ」
寝起きでボーっとする頭をかきむしると、綺麗な白銀色の髪が明後日の方角に飛び跳ねた。
「ごめんごめん、ここアラドブリッジだよね? ベーランブルクに行くのってどうしたらいいの?」
頭の上の大きな耳は寝返りを打つときに折れ曲がって痛い思いをすることもある。
尻から生えた尻尾は、ズボンを腰まで上げれなくて常時尻を半分出さなければならないという恥ずかしさがある。
だが、耳と尻尾と尖った爪以外に人のそれと容姿的に変わらない自身の体をアキラは気に入っていた。
「ベーランブルクだったら、この先に馬車の集会所があるから、そこから直行が出てるはずだよ」
足元の荷物をパンパンに入れた麻袋を肩に担ぎ、アキラは立ち上がる。
「ありがと、これ御駄賃」
ポケットから数枚の金貨を中年男性に手渡した後、アキラは半開きの目で微笑みながら颯爽と去って行った。
「ちょっ、こんなに貰えないよ! お客さんっ!」
しかし、セルバレムからこのアラドブリッジまでの駄賃にしては高額な金に中年男性は驚きを隠せず、馬車の中から馬も驚くような大声をあげる。