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槍使いと、黒猫。  作者: 健康


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二千百五十六話 【ロゼンの戒】



「レオン、ガリウス! 先に玉座の間へ!」

「……心得た! シュウヤ殿、死ぬなよ!」

「先に向かい、公爵を押さえよう」


 二人が大階段を駆け上がる。それを追おうとする無音の氣配に対し、俺、カルード、ハンカイ、黒豹(ロロ)が退路を完全に塞ぐように展開した。


「行かせると思うか。――<暗剣の結界>」


 男の低い声がエントランスホールの四方八方から重なって響いた刹那――。

 

 周囲の空間が不自然に暗く変色した。

 広大なホールの中で、半径数メートルほどの極めて狭い範囲だけが、光を遮断する檻のように切り取られる。五感が鈍り、魔力の循環が強制的に乱される閉鎖領域だ。


「小細工ごと叩き割るまで――」


 ハンカイが金剛樹の斧を振り下ろすが、男の腕甲から吹き荒れる魔風が軌道を逸らし、床の大理石を粉砕する。


「にゃごァ!」


 黒豹(ロロ)が触手骨剣を突き出し、紅蓮の炎を吐き出す。

 カルードの流剣フライソーが連携する。だが、男はその狭い結界内を魔風の推進力と変幻自在の体術で踊るように避けては反撃の魔刃を的確に寄越す――。

 

 魔刃を見るように<風柳・異踏>で避けては、<滔天神働術>と<滔天仙正理大綱>を再発動。

 そこで<雷飛>を発動――。

 黒装束を着た強者を追うように肉薄し、右足の踏み込みから左腕ごと槍になるように、神槍ガンジスで<光穿>を放つ――。


 双月刃の穂先が、暗剣の結界の闇を切り裂くが、ふわりとした動きで避けられた

 

 と、無音で接近――

 双剣を繰り出してくる――。

 <風柳・下段受け>と<風柳・中段受け>で受け止めた。

 

 反撃の<牙衝>から石突のかち上げ<龍豪閃>を狙うが――男は避けてはブレた双剣による連続斬撃――、と、片腕が消え――否、ように見える薙ぎ払い――それを<風柳・中段受け>で受けながらし、<血龍仙閃>――。

 男は、特殊な腕甲から魔風を逆噴射させ、浮かび上がり避けた。

 その宙空で、連続的に回転しながら双剣が左右から迫る、それを<風柳・上段受け>で受け流し、<血刃翔刹穿>で反撃――。


 だが、紅矛の穂先から迸っていく無数の血刃が、男の体をすり抜けていく――。

 男はそのまま不規則に軌道を変えながら連続斬りを叩き込んできた――。

 純粋な魔剣術と格闘の乱舞の質が異常に高い――。

 腕甲から放たれる魔風が神槍の穂先を震わせ、俺の腕にまで痺れが走る

 <握吸>と<勁力槍>を再発動――。

 ゼロコンマ数秒の間に数十合の打ち合い――。

 火花が結界内を照らし、男の装備を輝かせると、男の纏う漆黒の魔力が強まった。


「ハッ、驚きだ、セラの王国の一つにこれほどの使い手がいようとは!」


 ――ハンカイの声が響くが同意だ。


「噂には聞いていましたが、【ロゼンの戒】の最深部には、強者もいると!」


 カルードは聞いたことがあるのは当然――。

 と、双剣を振るう速度が上昇――。

 四腕の幻影が見えるほど――何重の<魔闘術>系統の重ねだ――。


 魔槍杖バルドークの<風柳・上段受け>から半身の神槍ガンジスの<風柳・下段受け>で受けで後退――敵は鋭い突きから身を捻りながら下から上に一閃、更に上段から流れるようにユイの<舞斬>のように横回転しながら連続的に振り下ろしてくる。

 それを防ぎ、迫り合いの形になった。

 男は、


「これを防ぐか! だが、この腕甲は、祖から継承した我が忠誠の証し――」


 魔風と完全に融合し、暴発的な渦を巻いた。

 

「俺の背には、護るべき閣下、否、親父殿がいる!」


 男の双剣が、これまでとは比較にならない圧倒的な重力と魔風を伴って振り抜かれた。

 超圧縮された真空の刃と漆黒の斬撃が、竜巻となって至近距離で炸裂する。


 <夜行ノ槍業・召喚・八咫角>をハンカイたちの前に送るが――。

 

「くっ――!」

「マイロード!」

「にゃごぉ!?」


 <闘気玄装>を強めたが、結界内で極限まで増幅されたその一撃の威力は規格外――。

 防御ごと強引に弾き飛ばされ、俺とカルード、ハンカイ、相棒は、大回廊の太い柱をへし折りながら後方へと大きく吹き飛ばされた。


 <武行氣>を意識し、片足で着地した刹那、左右後方に殺氣――。

 <無影歩>クラスの使い手――。

 即座に<超能力精神(サイキックマインド)>――。


 □■□■


 サーマリア王国は、決して盤石な一枚岩の国家ではない。

 東の旧フジク連邦崩壊に伴う獣人軍閥の無秩序な流入。常に国境を脅かしてくる強大な【グルトン帝国】の圧威。そして、南のローデリア海を我が物顔で荒らし回り、沿岸部の民を略奪していく群島諸国サザナミの大海賊たち。

 四方に外患を抱えるこの巨大な国家を、表の理屈に縛られた正規軍だけで守り抜くことなど、到底不可能であった。


 建国の昔より、その事実を誰よりも理解し、自ら泥を被ってきたのがロルジュ公爵家とラスニュ侯爵家だった。

 彼らの祖は、共にサーマリアの建国に多大な血を流し、礎を築いた英雄である。だからこそ、彼らが統べる裏の組織は、単なるマフィアや暗殺ギルドなどではない。国家の存亡を担い、表の歴史には決して記されない『影の軍隊』としての苛烈な歴史を持っていた。


 当時、王都の裏社会は三つの巨大な闇が拮抗し、血みどろの暗闘を繰り広げていた。

 一つは、ラスニュ侯爵が抱える【黒薔薇の番人衆】。大海賊や海上の脅威に情赦なく対処する特務部隊――言うなれば、海を制する「海軍特殊戦コマンド」である。

 二つ目は、ヒュアトス侯爵が操る【暗部の右手】。恐怖と洗脳、そして薬物によって暗殺者を縛り付ける冷酷非情な集団。その象徴が、常に白仮面を手放さない『ネビュロスの三傑』――ゼエフ、獄閃のアポー、そして白銀の瞳を持つユイだった。

 彼らは、呪い島ゼデンを生き抜き群島諸国から渡ってきたBランクの凄腕剣客、ヒューマ・ダンゾウすらも、冷徹な暗号と連携によって作業のように狩る完璧な道具であった。


 そして三つ目。ロルジュ公爵が率いる【ロゼンの戒】。

 それは、巨大な盗賊ギルドという裏の顔で王国の裏社会を網羅しながら、実態は他国への破壊工作や高度な諜報を担う「陸軍特殊作戦コマンド」、あるいは非合法情報機関そのものだった。


 壮年期に差し掛かったロルジュ公爵は、その組織の刃を更に研ぎ澄ますため、狂氣とも言える決断を下す。

 新参のヒュアトスが創り上げた感情を持たぬ完璧な道具たち――。

 

 『ネビュロスの三傑』のような化け物に対抗するには、恐怖支配などでは脆すぎる。それを超える、絶対的に強固な絆が必要だった。


 公爵が集めたのは、社会の底辺で踏み躙られてきた塵芥たちだった。

 魔界騎士の血を引きながらも、魔族と人族のハーフとして忌み嫌われ、石を投げられてきたプルトーの一族。戦火で親を失い、スラムの泥水を啜って野犬と残飯を奪い合った孤児たち。

 異端の魔法に手を染め、表舞台から追放されたはぐれ者たち。


 冷たい雨が降る王都の貧民街。

 折れた剣を握り締め、恐怖に震える幼い半魔の弟妹たちを背に庇いながら、血反吐を吐いて暴徒を睨みつけていたプルトーの前に、公爵は現れた。

 豪奢な黒外套を泥水で汚すことも厭わず、公爵は自ら泥に膝をついて手を差し伸べた。


『今日から、私が貴様らの親だ。そして貴様らは、互いの背中を預け合う家族だ。私の代わりに修羅の道を歩め。私が、貴様らの生きる場所を創ってやる』


 その日から、彼らの世界は変わった。

 だが、公爵がこれほどまでに『家族』という絆を渇望したのには、あまりに凄絶な理由があった。


 かつてのロルジュ公爵家は、決して孤独な家門ではなかった。

 公爵には、尊敬すべき父と慈愛に満ちた母、そして将来を嘱望された息子と、愛らしい娘がいた。しかし、それらすべての幸福は、東の旧フジク連邦の崩壊した獣人軍閥、ローデリア、グルトン帝国、群島諸国サザナミと大海賊たちが結託、利用し、放った暗殺者たちの手によって、一夜にして奪い去られたのだ。

 奇しくも、【ロゼンの戒】の名の祖先のロゼンと同じ運命にあった。

 狙いは様々。

 麻、鎮痙、鎮痛作用をもつ医薬品の阿片、魔調合師(料理人)を抱えた合成魔薬(クリスタルメス)その密売、卸しルート陸路と海路、サーマリア王国の沿岸部における港の権益、貿易路、そして山脈から産出される貴重な鉱石の利権。

 更には漁業や採取地に至るまで、無数の利権を巡る醜い争いの果ての凶行だった。


 愛する者たちの骸を前に、公爵は誓った。


 血筋などという脆いものではなく、地獄の底で手を取り合うような誰にも壊せぬ『影の家族』を創り上げると。


 しかし、敵の追撃は物理的な暗殺だけに留まらなかった。

 利権を完全に握ろうとする者たちは、闇神リヴォグラフ側の戦力を雇うように利用し、公爵の精神そのものを乗っ取ろうと、邪悪な魔道による攻撃を仕掛けてきたのだ。


 ある夜、寝所を包んだのは、意識の奥底を冷たく這い回るような不気味な氣配――。

 闇神の呪詛が公爵の脳髄を蝕み、精神を崩壊させようとしたその時――。


「……親父殿、これを持っていろ。魔族の血を引く俺たちの一族に伝わる、魂の楔だ」


 まだ幼さの残るプルトーだった。

 彼は魔界騎士の末裔としての知識を動員し、独学で用意した魔道具を、震える公爵の手の中に押し込んだ。魔力を吸い込み、浄化するその古い骨片の輝きが、公爵の精神を闇の淵から引き戻したのだ。


 脳を直接氷の針で刺し貫かれるような絶望感。

 ロルジュ公爵は震える、それが、プルトーの差し出した骨片から漏れる微かな熱によって溶けていくのを感じた。


 おぉ……。


「……プルトー、私を救ったか」

「俺たちは家族だと言ったのは、あんただ。親を護るのに理由が要るかよ」


 プルトーは照れ隠しに吐き捨てた。

 その夜、公爵は確信した。目の前の薄汚れた少年こそが、自分の魂を託すべき真の長子であると。


 薄暗い地下修練場で、公爵は彼らに極上の武具を与え、自ら過酷な戦術と非情な諜報技術を叩き込んだ。ただの使い捨ての駒としてではない。厳しい訓練の合間、公爵は泥と汗に塗れた彼らと同じ釜の飯を食い、笑い合った。


 ――やがてプルトーが、異例の早さで出世を繰り返す。


 そして、統括としての頭角を現し始めた頃。


 王都の地下深くで、これら三つの闇が直接交差する夜があった。

 ロルジュ公爵、ヒュアトス侯爵、ラスニュ侯爵――。


 王国の裏社会を三分する巨魁たちが、互いの領分を定めるために設けた、一触即発の極秘会談である。


「……我が【黒薔薇の番人衆】は海を制す。陸の泥水は、貴公らで好きにすするがいい、そして、オセべリアの女狐の対処だが……」

「ふん。泥水には泥水に相応しい鼠が棲む。私の『道具』たちは、鼠を狩るのが得意でね、女狐への対処は、まだ利用はできよう。レフテンとの絡みも予定している」


 ヒュアトス侯爵が冷酷な笑みを浮かべた背後。

 そこには、一切の感情を剥落させた三つの影が控えていた。


 その中の一人――常に白仮面を被り、白銀の瞳だけを覗かせる小柄な少女。後にシュウヤに救い出されることとなる、若かりし頃のユイであった。


 薬物と恐怖の洗脳によって自我を深く封じられ、ヒュアトスの操り人形と化していた彼女からは、生きる意志も、人間としての温もりも一切感じられない。ただ純粋な『死の刃』としての冷たい氣配だけが漂っていた。


 対するロルジュ公爵の背後には、護衛として立つ若きプルトーの姿があった。プルトーは、白仮面の少女から放たれる異質な魔力に、背筋が凍るような悪寒を覚えた。


 あれが、『ネビュロスの三傑』……か。噂だと凄腕は確実。

 

 武器の柄に手をかけ、鋭い視線で少女を睨みつけた。

 だが、ユイの白銀の瞳は、敵意を剥き出しにするプルトーを敵としてすら認識していなかった。主の命令が下るまで動かない、精巧な機械。


 その虚無の瞳が、プルトーの存在をただ素通りしていく。


 互いに、相手の本当の姿など知る由もなかった。

 白仮面の奥底で、少女がどれほどの絶望と悲鳴を押し殺しているのかを知らない。獣のように牙を剥く目の前の若者が、家族を護るためにどれほどの血の涙を流してきたのかを知る由もない。


 同じ裏社会の泥水を啜りながら、暗部同士の決定的なすれ違い。

 もしこの時、互いの心に触れることができていれば、運命は違っていたのかもしれない。だが、闇に生きる彼らに与えられたのは、互いを警戒し合うという絶対的な掟だけだった。


「……ロルジュ公爵。貴殿の飼い犬たちは、随分と吠えたがりらしい。しつけがなっていないのではないか?」

「私の家族を愚弄するか、ヒュアトス。貴様の感情のない人形どもよりは、よほど役に立つがね」


 ロルジュ公爵の低い声が響く。

 その一言で、会談の場は氷点下まで冷え込んだ。

 互いの護衛たちが一斉に殺氣を放ち、プルトーの<魔闘術>系統の重なりと放出された魔力が、ユイの冷徹な殺氣と激突したように、静まり返る。


 空間が軋みを上げるようにラップ音が響いた。


 ――しかし、刃が交わることはなかった。

 三巨頭の冷徹な計算が、全面衝突を回避させたからだ。

 それからの数年間、互いの組織は水面下で血みどろの暗闘を繰り広げることとなる。


 与えられたのは、決して平穏な日々ではない。

 王族たちの争いに必ず介入してきた謎の、赤き魔術師が率いる魔族部隊【紅時雨】との戦い。プルトーがガリウスという名を知ったのは、数十年も経ってからだ。

 

 更に、国内に潜入したレフテンやオセべリアの間者を闇から闇へ葬り去り、侯爵ヒュアトスの【暗部の右手】とは街の裏路地で幾度となく血みどろの暗闘を繰り返しては、逆に手を組み、互いの組織の情報網を利用し合い、他国の侵略を未然に防ぐ。


 戦争の口実を作るためのマッチポンプ、偽旗作戦を行うために協力を繰り返すこともあった。


 特筆すべきは、隣国オセベリア王国の女狐、シャルドネが飼う諜報組織【鬼鮫】との戦いだ。


 プルトーには、実の弟のように可愛がっていたカイという名の弟分がいた。 共にスラムで残飯を分け合い、ロルジュ公爵に拾われた後も、プルトーの背中を追って必死に牙を研ぎ続けてきた少年だ。


 カイは持ち前の機転と剣才を認められ、弱冠十七歳で【ロゼンの戒】の小部隊長へと抜擢された。

 初任務に赴く前夜、彼は照れくさそうに笑いながら、プルトーにこう語った。


『兄貴。俺、この任務を成功させたら、公爵様から新しい鎧を貰えるんだ。そしたら、いつか兄貴と並んで歩けるかな』


 だが、その願いが叶うことはなかった。

 オセベリアとの国境付近で行われた隠密作戦中。カイの部隊は【鬼鮫】が放った暗殺者たちの待ち伏せに遭った。卑劣にも彼らは正面からの剣格を避け、魔力を込めた〝吸着式の爆弾箱〟を多用する戦術を用いたのだ。


 プルトーが急報を聞きつけ現場に駆けつけた時、そこには無惨に抉れた大地と、部下を庇って爆風の直撃を受けたカイの遺体があった。

 出世の証として誇らしげに巻いていた隊長の腕章は、血と硝煙に塗れ、無惨に引き裂かれていた。


「……あ、ぁ……カイ……ッ!」


 プルトーの咆哮が、雨の森に響き渡った。

 直後、潜伏していた【鬼鮫】の暗殺者ケニシィが、嘲笑と共に再び爆弾を投擲した。


 だが、プルトーは逃げなかった。

 家族を奪われた影響で、全身を貫く激痛も氣にしない、逆上し、極限まで高まった<魔闘術>が、彼の肉体を鬼神へと変えた。

 爆発の炎を正面から突き破り、驚愕に目を見開く暗殺者ケニシィの喉笛を、素手で引きちぎった。


 逃げ惑う【鬼鮫】の残党を、プルトーは一人残らず狩り尽くした。

 最後の一人の首を締め上げながら、彼は血の涙を流し、その耳元で低く呪うように呟いた。


『……貴様らの主、シャルドネに伝えろ。ロゼンの家族を奪った報いは、貴様の組織の断絶で払わせるとな』


 復讐は果たされた。だが、亡くした弟分は二度と戻らない。

 任務で友を、そして弟分を失い、泥に塗れて声を殺して泣いた夜。公爵は身分も立場も忘れ、プルトーと共に涙を流し、その震える肩を力強く抱いた。


 その温もりが、呪われた半魔の血を持つ彼らにとって、どれほど深い救いだったか。血を分けた本物の家族以上の、凄絶で強固な絆がそこで育まれていったのだ。


 大量に流入した獣人の諸勢力が台頭しては消えていく、乱世状態が続く東マハハイム地方への遠征。

 そこでは泥沼の戦場を這いずり回り、強大な傭兵商会テムジンに所属する虎獣人(ラゼール)の暗殺者たちと、互いの喉笛を掻き切るようなギリギリの死闘を重ねてきた。


 その血生臭い転戦の日々の中、一度だけ、プルトーの記憶に強く刻まれた奇妙な夜がある。

 レフテン王国とサーマリア王国が丘陵地を争い合う激戦区、トムサリクの丘。ロルジュ公爵の命を受け、敵の秘密通信網を潰すために潜入していたプルトーは、丘の上で孤立奮闘する一人の黒髪の剣士を目撃した。


 ……あいつは正氣か? 味方を逃がすために一人で残るとは……。


 プルトーは木陰から驚く。

 丘の上では、その黒髪の剣士が圧倒的な数のレフテン兵を相手に、鬼神の如き強さで龍角を振るっている。多勢に無勢、死ぬのは時間の問題だというのに、その剣筋には一切の迷いがない。


 自分を捨てて、家族を逃がす……反吐が出るほど甘い、だが――。


 プルトーは無意識に、己の胸元に手をやった。

 あの剣士が背負っている『重み』は、自分たちが抱える『家族』への想いと同じ、泥臭くも強固な信念に満ちている。

 それは、闇に生きるプルトーにとって、決して相容れない光であり、同時に魂を揺さぶる熱だった。


 刹那、丘の裏側の斜面を、レフテン軍の兵士を乗せた馬車が進んでくるのが見えた。あの黒髪の剣士の死角か……。


 馬車から降りた先頭は魔術師、杖の先には、極大の火炎魔法が凝縮されつつある。


「……ちっ。死に損ないを助ける趣味はないが、同胞……」


 プルトーは毒づきながらも、指の間に三本の黒い投剣を挟んだ。

 <魔闘術>を込めた指先から、音もなく黒い閃光が放たれる。

 闇を切り裂いた投剣は、火炎魔法を放とうとしていた魔術師の喉笛と眉間を、寸分の狂いもなく貫いた。


「貸しだ。死ぬなよ、どこの誰とも知らん剣士様よ」


 プルトーはそれ以上見届けることなく、闇の中へと姿を消した。

 丘の上の剣士――カルードは、背後に一瞬だけ、爆発的な魔力を感じた氣がしたが、馬車が遠くに炎上しているのを見て、戦いの余波か?

 と、考えていた。

 

 そうした苛烈な他国での破壊工作や過酷な任務の最前線には、常に統括たる長兄、プルトーの姿があった。


 肉を削がれ、骨が軋むほどの痛みに意識が飛びそうになった夜は数え切れない。それでも、彼は決して膝を折ることはなかった。


 自分が倒れれば、背後にいる愛する家族が死ぬ。

 あの日、冷たい雨の中で泥水に膝をつき、自分たちを拾い上げてくれた『親父殿』の期待を裏切ることになるからだ。


『私の後ろに来い、敵には指一本触れさせない』


 血まみれの顔で笑いかけるプルトーの広く傷だらけの背を見て、弟妹たちは絶望的な戦況の中でも震えを止め、武器を握る手に力を込めた。

 だが、全員が無事に帰還できるわけではない。致命傷を負い、息も絶え絶えに帰還した者がいれば、公爵は己の魔力を削り、徹夜で最高峰の治癒魔法をかけ続けた。


 それでも任務で友を失い、泥に塗れて声を殺して泣いた夜。

 公爵は身分も立場も忘れ、プルトーたちと共に涙を流し、その震える肩を力強く抱いた。

 その温もりが、呪われた半魔の血を持つ彼らにとって、どれほど深い救いだったか。

 血を分けた本物の家族以上の、凄絶で強固な絆がそこで育まれていったのだ。


 彼らにとって【ロゼンの戒】は、単なる国家の暗殺組織などではない。

 理不尽な世界から自分たちを救い上げてくれた『親父』と『兄』に報いるための、たった一つの温かな帰る場所だった。


 だからこそ、彼らは知っている。

 ロルジュ公爵のやり方が、他国や清廉な者たちから見れば非道な兵器開発に手を染める外道そのものであることを。

 だが、あの男が泥を被らねば、自分たち家族はとうの昔に路地裏で虫けらのように野垂れ死んでいた。この巨大な国を、そして愛する家族を生かすため、公爵は自らの魂を地獄へ落とす覚悟を決めたのだ。


 その温情と覚悟に、命で報いずして何が家族か。


 今、崩壊しつつある王城の暗がりに潜み、息を潜めている【ロゼンの戒】の精鋭たち。皆、魔界の強豪やAランク冒険者にも引けを取らない凄腕の特務兵であり、暗殺者たちだ。

 彼らの瞳には、光魔ルシヴァルという規格外の化け物たちを前にしても、死の恐怖など微塵も存在しない。

 脳裏に浮かぶのは、自分たちに生きる意味をくれた公爵の背中と、いつも不器用に頭を撫でてくれた長兄プルトーの顔だけだ。


『――統括を死なせるなッ!』

『親父殿の御前には、一歩も進ませねェ!』


 ただひたすらに、愛する家族を護り、時間を稼ぐ。

 そのためだけに、己の命を安い薪のように燃やし尽くす。

 洗脳でも薬物でもない。純粋な狂信とも違う。

 冷たい泥水の中から掬い上げられた者たちが見つけた、『家族への愛と絶対の忠誠』が生み出した、極限の死狂いがそこにあった。



□■□■

続きは明日、HJノベルス様から書籍「槍使いと、黒猫。1巻-20巻」発売中。

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