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白い百合  作者: 森本有介


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第一章DМ 第一節「トレーダーの孤独」

十三年の喪失。二十八年の後悔。

そして、一通の「ひさしぶり」が、運命を再び動かした。

インスタの着信音が鳴った。


部屋の静けさを破る、短く、乾いた音だった。


 僕は、机の右端に置いてある時計に目をやる。十時四十二分。もう、こんな時間か。

 今日は朝の七時から、ずっとチャートを追い続けている。光に焼かれたように、目の奥がじんと痛む。無意識的に、親指と人差し指で鼻の付け根を押さえる。こうしていないと、どこかで崩れてしまいそうだ。黒く光るモニターには、点と線が波動を描いている。


だが、相場はただの数字の羅列ではない。


十年やってきた今もなお、僕はそこに、自分の呼吸や生きてきた時間、顔や名前も知らない、莫大な富を得たり、あるいは、散って行った同志たち、喪失したものの影さえ、見てしまう。


あの日から、ずっと……。


五月の初めだった。「ニューヨークFⅩ」の九条麗子さんが、ユーチューブで言っていた。もし、メキシコのオブラドール大統領が選挙に負け、政治家でもあり、科学者でもある、クラウディア・シェインバウムさんが初の女性大統領として就任することが決まったら、「焦った、オブラドール大統領が、十月一日の大統領就任式までに、一気に自分に有利な政策を進めるかもしれない」という憶測から、市場は一時的に不安に揺れる。就任式まではペソは売られる、と。冷静に聞けば、理屈は通っていた。当選が確定してからショートを打てばいい。


それが、「セオリー」。


ただ、どうしてだか分らないが、僕は、その時、待てなかった。五月二十一日。ペソ円9.44から五百ロット、五百万通貨、ショートを打っていた。指先が震えていたのを覚えている。


勝負。


それからの日々は、正直、地獄だった。夜中に何度も目が覚める。ペソ円のレートをチェックする。暗闇の中、スマホの光がまぶたに突き刺さった。まるで、レートが0.1銭動くたび、胸の奥を誰かにわしづかみにされているようだった。


ペソ円の利益は、元金の二倍、三倍へと膨らんだかと思えば、次の瞬間には、潮が引くように半分まで削られた。そしてまた、何事もなかったかのように利が乗り、二倍の景色へ戻っていく。


だが、そのたびに、胸の奥のどこかが、じわじわと摩耗していった。


今度こそ決済すべきなのか。


それとも、ここで手を離せば、すべてを取り逃がすのか。僕が描いていた決済のポイントは、正しかったのか。それとも、愚かさの象徴だったのか。


考えれば考えるほど、確信は遠のき、数字の波だけが執拗に押し寄せてきた。


僕は、頭が壊れるほど、何度も、何度も、同じ問いを繰り返した。


どうして麗子さんの言うことを聞かなかったのか? 心の中で繰り返す後悔は、祈りに似ていた。何度も、何度も、決済してしまおうかと、もがき苦しんだ。


愛する人を失った悲しみは消えない。

それでも人は、愛した記憶に導かれながら、生きていくのだと思う。

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