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最終話

「ちゃんと荷物は持った?」

「持った」


 正式に夫婦となったシュクルとティアリーゼは、周りから押しに押されてちょっとした旅行をすることになっていた。

 いわゆる蜜月旅行ハネムーンであり、たった二人きりで過ごす初めての時間でもあった。


(今まで夜は二人きりだったりしたけど、それが毎日朝から晩まで続くってどういう感じなのかしら……?)


「本当に徒歩で行くつもりですか?」


 見送りに来たトトが呆れたように言う。

 馬の亜人だというトトは、人型の足の遅さを嫌っているとのことだった。

 他にも、遠方へ行く際に協力してくれる鳥たちも大騒ぎした。

 魔王の記念すべき蜜月旅行の運搬係とは、これほどの名誉もない。絶対に自分が担当するのだとくちばしを鳴らしていたのだが、当のシュクル本人が断った。


「急ぐこともない。好きなだけ遊んでこいと言われたからな」

「確かにお気の済むまで構わないとお伝えしましたが……」

「本当に大丈夫なのかしら? シュクルがいなくなると、政務が滞るんじゃ……?」


 ティアリーゼが口を挟むと、トトは諦めたように肩をすくめる。


「王でなければ判断を下せないものなど、在位中に一度あればいい方だ。それよりも、直接王が出向いて各地を見学していると広まった方が都合がいい」

「私はレセントになにがあるのかさえ、よくわからないからな。地図ならば頭に入れたのだが」


 ぺち、とシュクルの尻尾が地面を叩く。

 トトとの会話を真面目に聞いているようで、早く旅立ちたいと落ち着かなく思っている証拠だった。


「ともかく、お気を付けて。くれぐれも金鷹の魔王のように、他の大陸へは行かないよう」

「なぜ? 挨拶をするのも悪くないと思うが」

「さすがにそこまでされては、お戻りが何十年後になるかわかりませんので」

「そのときは飛んで戻る」


 しれっと言うと、シュクルはティアリーゼのこめかみに鼻先を押し付けた。


「もう、どのように姿を変えるか覚えた。飛ぶことも、ティアリーゼを守ることも難しくない」

「……怪我だけはしないようにしましょうね」


 驚いたことに、シュクルが姿を変えたのはあの日が初めてだと言う。

 そういった面でも不完全だったのだが、感情に支配された結果、その方法を覚えたとのことだった。

 多少自信がついたのか、それ以来シュクルは好んで外を出歩くようになった。

 ティアリーゼがいればティアリーゼと。もし都合がつかないようなら一人で。

 なぜキッカが頻繁に遊びに来るのか、その理由がわかったと言っていたのは若干不安が残った。のんびり屋なシュクルは、楽しくなってそのまま帰ってこなくなる可能性がある。

 だからティアリーゼはなるべく同行するようにしていたのだが、ついに城下街を散策するだけでは物足りなくなったらしい。

 夫婦となって落ち着いたことや、周りに息抜きを提案されたこともあり、こうして旅行することになったのだった。


「では、後は任せた」

「ときどき、鳥を送ってくださると助かります」

「覚えていたらそうする」


(シュクルが連絡を忘れたら、私がしよう……)


 トトが心配しすぎてしまわないようにとそう心に誓う。

 そうして二人は歩き出した。

 見送るトトはもちろん、見慣れた城もどんどん遠ざかっていく。


「結局、目的地は特に決めていないわよね。どこへ行きたいか希望はあるの?」

「東へ。グウェンに会う」


(あら、ちゃんと目的があったのね……?)


「グウェンさんは藍狼の魔王だったかしら。仲良しなの?」

「いや?」

「……ええと、じゃあ結婚のご挨拶とか?」

「そんなことをしたら噛まれる。グウェンは人間が嫌いだからな」

「それなのに、私を連れて行って平気?」

「お前がいなければ意味がない」


(前よりずっとわかりやすく会話してくれるようになったけれど、まだまだね……)


 シュクルからどう言葉を引き出そうか考え、悩む。

 しかし、ティアリーゼが聞くよりも早く、シュクルの方から話し始めた。


「クゥクゥが言っていた。東の大陸には不死の泉というものがあるらしい。人間も我々と同じ時を生きられるようになる」

「え……」

「私はお前と一瞬でも共に生きられれば幸せだ。だが、だからといって可能性を諦めるつもりはない。永遠を生きられるならその方がいいに決まっている」

「そんなことを考えていたの……」


 東の大陸が神秘の地だということは耳にしていた。

 噂によると、水晶の森や古代遺跡がいくつもあるらしい。足を踏み入れた人間はいるが、無事に戻ってきた人間もいないと言われており、よほど命知らずな探険家でもない限りは近付こうともしない場所だった。

 そこに、不死の泉があるとキッカは言ったという。

 どんなときにその話をしたのかはともかく、シュクルは記憶していたのだろう。

 ティアリーゼと共に永遠を生きられる可能性を見出して。


(シュクルには敵わないわね)


「本当に不死の泉なんてあるのかしら。そうだったら嬉しいけど、あっさり思い通りになったら、私の決意はなんだったのかしら? ってならない?」

「ならない。私と共に生きることを決めてくれたのが嬉しいから。考えも身の回りの状況も日々変わるものだろう」

「あなたが言うと感慨深いわ……」

「私が常に感じ取っていることだからだと思う。毎日、お前に対して抱く感情が変わっていく」

「そうなの?」

「昨日より今日の方が好きだ」

「……ありがとう」


 不意打ちを受けてティアリーゼは照れてしまった。

 シュクルが想像しているよりもずっとずっと嬉しくなったのを隠すように、わざと話題を変える。


「西にも行ってみたいんだけど、だめかしら? キッカさんが治めている場所なんでしょう? 見てみたいわ」

「暑くて寒い。それに砂が多い。それでもいいなら」


(……ん?)


 いい、と言う割には苦い顔をしている。

 表情から感情を読み取れるようになったのもいい傾向だった。


「シュクルはあまり気が乗らない?」

「いかにも。……クゥクゥはお前にくちばしをこすり付ける。あれは許されない」

「お友達の証みたいなものでしょう?」

「少なくとも、蜜月中に許すのはおもしろくない」


 きっぱり言い切ると、シュクルはティアリーゼを抱き寄せた。

 立ち止まり、自身の額をティアリーゼの額に押し当てる。

 人型のときは嵌め込まれた石にしか見えないそれが、ぐりぐりと肌をえぐった。

 痛いが、まだ耐えられる。

 今はそうしたいのだと察し、好きなようにさせていたティアリーゼだったが、不意に顎を持ち上げられてぎょっとした。


「お前も私以外に許すな」

「え、ええ。わかっているわ。だってもう妻だもの」

「わかっているならいい」


 独占欲をにじませ、シュクルは人間のやり方で求愛を示した。

 ティアリーゼが教えたように口付け、軽く舌で舐める。

 以前おいしいと言っていたのが頭をよぎったが、これもまた好きにさせた。

 シュクルはティアリーゼに口付けるのが好きで、とりわけこうして舌を絡ませるのを好む。

 落ち着かない上に恥ずかしいと思ってはいたが、ティアリーゼもまた、シュクルに求められるのが好きだった。


「……外だからほどほどにね」

「わからない」

「あなた、最近わかっていてもそうやって言わない?」

「なんのことかわからない」

「……もう」


 とぼけているのかいないのか、読み取るまでティアリーゼにも修業が必要だろう。

 そうしてキスを繰り返した後、シュクルはティアリーゼの両頬を手で挟み込んだ。

 こつんと額を押し当て、囁く。


「改めて聞く。――私の子を産んでほしい」


 ふ、とティアリーゼは笑ってしまった。

 それを言われたときの衝撃を思い出したからだった。


「いいわ。あなたが寂しくならないように、子だくさんを目指すから」


 腕をシュクルの首に回し、軽く背伸びをする。

 外ではほどほどにと言ったティアリーゼからのキスにシュクルが喜ばないはずがなく。

 新婚二人は、蜜月らしく愛を交わし合ったのだった。

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