第七十九話 その日を待つ
枢機卿は、なぜ呼ばれたのかを尋ねなかった。
いつものように一礼し、私が口を開く前に、机の報告書へ目を落とす。宛名と日付を確かめると、静かにうなずいた。
「血を使った商品のことだ」
「報告は受けております。神殿の収入を増やす計画として、私も認めました」
あっさりと、認めた。
知らなかったと言わせるつもりで、言葉を用意してきた。それが、一つも使えなくなった。
「令嬢たちが、身体を崩している」
「はい。販売への了承についても、問題があったと伺っております」
「知っていたのか」
「その点を知ったのは、今回の調査が入ってからです。ですが、私が認めた商いであることに変わりはございません」
言い逃れの一言もない。かえって、こちらの口調が尖った。認めるだけで済ませるつもりなら、そうはいかない。
「どう収める」
問いが終わるのを待っていたように、枢機卿は私の前の記録へ視線を滑らせた。
「まず、美容を担当する部門から、この件を切り離します」
声に迷いはなかった。医療担当の者を各家へ遣わし、診察一度で終わらせず、身体が整うまで診続けさせる。治療に掛かる費用は、神殿が持つ。回収と、名前や肖像の使用停止は、別の担当に分けて並行させる。神殿内部の処分に要る記録は、特務局へ出させる。進み具合は、担当者任せにせず、自分が確かめる。
一つ聞くたびに、私の机から、訴えが一枚ずつ消えていく気がした。
どこで診てもらえと言えばよいのか。つい先ほどまで、私が答えられずにいたことだった。それに、この男は一つずつ答えを置いていく。明日の朝には、診察へ向かう者の名も決まっているのだろう。これまでも、そうだった。
「急げ。娘の身体がどうなっているのかも分からず、待っている家がある」
「承知いたしました」
枢機卿は、深く頭を下げた。そして、顔を上げないまま続けた。
「今回の問題は、私にも責任がございます。職を辞したいと考えております」
いま、辞めるというのか。
医療担当を遣わす話も、回収の手配も、まだ始まってもいない。この男が退けば、誰が神殿を動かす。次の者が決まるまで、令嬢たちを待たせるわけにはいかない。
「そなたの責任で収めよ。進退は、そのあとに聞く」
言い切ってから、返答を待った。ここで、なおも辞意を通されては困る。
「……承知いたしました」
息を吐いた。よかった。話を、進められる。
枢機卿は身を起こした。
「一つ、ご相談がございます」
まだ何かあるのか。早く片をつけたいというのに。
「今回のご令嬢方には、ご自身が美しくなるだけでなく、ほかの方にも喜んでいただきたいと、協力された方が多くおられます」
他者のため。神殿が、そう勧めたのだろう。
「その思いを、利用したのではないか」
「仰る通りです」
否定しなかった。
「ですから、その志まで恥じることになってはならぬと、考えております」
私は黙って、続きを待った。
枢機卿の案は、こうだった。身体が回復したのち、希望する令嬢と家族を、王城の晩餐会へ招く。褒賞ではない。他者の役に立ちたいと願った志に、私から感謝を贈る。その証に感謝状を渡し、見舞金も添える。傷ついたことを知られたくない者には、無理に出席を求めない。来なくとも、受け取るものに差はつけない。
「費用は、神殿で手配いたします。陛下のお力で事態が速やかに収まったと知れば、貴族たちも安堵しましょう」
まだ、何も収まってはいない。そう思いながら、招待状を受け取る父親たちの顔が浮かんでいた。娘のために何度も訴え、神殿へ通った者たちだ。その家へ、今度は王城から迎えを出す。
あの娘も、来られるだろうか。昨年、父親の隣で、顔を伏せるようにして挨拶をしていた娘。今度は、私のほうから声を掛けてやれる。
「傷の残った者もいると聞いた」
「その件は、聖女様にお力添えをお願いしたく存じます。ご本人のお許しを得られれば、採血の傷痕を、無償で治していただけるよう」
傷まで、戻せる。
医療で身体を整え、残った傷は聖女が癒やす。そのうえで、娘の名が記された感謝状を、父親の隣で受け取らせる。血の入った瓶に結ばれた名前を、私は思い出していた。今度は、私の名で、その娘たちへ渡す。
「聖女には、私からも頼もう」
「ありがとうございます」
控えの間の文官を呼んだ。晩餐会の準備を命じ、日程は医療担当の報告を待つ。招待先は、特務局の調査と照らす。感謝状と見舞金は、枢機卿と協議させる。文官が書き留め、読み上げ、私は一つずつうなずいた。机に積まれていた訴えが、人へ渡せる仕事に変わっていく。
枢機卿と文官が下がると、部屋は静かになった。
背を椅子へ預ける。朝から何度も読み返していた書面を、ようやく閉じた。
調査を命じただけでは終わらなかった。治療を受けさせ、商品を引き取らせ、令嬢たちの名誉も守る。そのために、神殿を動かした。
父なら、どうしたか。祖父なら、もっと早く決めたか。今日は、その答えを探さずに済んだ。
晩餐会では、私が令嬢たちを迎える。家族の見守る前で、一人ずつ、その名を呼んでやろう。あの父親も、今度は娘の隣で笑えるはずだ。その顔を、早く見たかった。
ただ、一つだけ、耳に残っていた。
辞意を口にしたときの、枢機卿の声が、少しも揺れていなかったことが。




