019 先輩
「だから、マジでクソかっこいいんだって」
ウニョンは同じことを三度目まで言っていた。
ウンジェはもうスマホを持っているのがつらくなり、スピーカー通話に切り替えて服を畳んでいた。
「わかったって。かっこいいんでしょ」
〈あんた前に、かっこいい先輩がいる大学に行きたいって言ってたじゃん〉
「あたしが?」
〈ねえ。受験が終わってからあんたが言ったこと、全部覚えてるんだけど?〉
「ああ、そうだった。うん」
ウンジェは畳んでいたニットを鞄に入れた。
〈とにかく、イ・ヒョンス先輩っていうんだけど、地理学科の二十二年入学。今回復学するらしくて、オリエンテーションにも行くんだって〉
「なんであんたが知ってるの?」
〈うちの学科の先輩たちと仲がいいらしいよ。その人、インスタもやってて、ほんとにかっこよかった〉
「どのくらい?」
〈こういう話にはすぐ食いつくね〉
「どのくらいかっこいいのかって聞いてるの」
ウニョンが笑った。
ヒョンスの外見から始まった話は、ソヒの知り合いの先輩へ、その先輩のサークルへ、さらにそのサークルで別れたカップルの話へと流れていった。
〈それで、アカペラサークルの部室を全部ぶっ壊して、大騒ぎになったじゃん〉
「完全にイカれた女じゃん」
〈そう。でも、そのあとガールクラッシュ系のイメージがついて、女子学生会にめっちゃ好かれてるんだって〉
「女子学生会って、また何?」
〈あるの。ちょっと変人の集まりではあるけど、面白い子も多いよ〉
ナビは机の上で時間を確認した。
四十七分目だった。
ウンジェはうなずきながら答えた。
「うん。え、マジ? ヤバいね」
声にはちょうどいい驚きがあったが、顔には何の表情もなかった。
ナビはその違いが不思議だった。
通話が終わったときには、五十三分が経っていた。
「全部覚えてるの?」
「何を?」
「誰と誰が別れて、誰と誰が付き合ってるって話」
「一つも覚えてない」
ウンジェはスマホをベッドに放り投げた。
「じゃあ、なんであんなに長く聞いてたの?」
「知らない。いつ切ればいいのかわかんなくて」
「僕も、あんなに長い通話に何の意味があるのか考えてたんだけど」
「あたしも同じこと考えてた」
「じゃあ切ればいいでしょ」
ウンジェは少し口をつぐんだ。
ベッドに広げたニットの袖に触れてから、ナビを振り返った。
「うーん……ウンジェは、普段からこのくらい話してたみたいなんだよね」
ナビが顔を上げた。
「あの子たちはソ・ウンジェと話してるんだよ。あたしが知らない人の話だからって切っちゃったら、変じゃない?」
「前の君だって、そういう話を聞くのが嫌だったかもしれないよ」
「そうだったのかな?」
ウンジェは考えてみた。
記憶の中では、友達と電話して夜を明かしたこともあった。何をそんなに長く話したのかまでは、よく思い出せなかった。
それはたぶん、ソ・ウンジェが戻ってきたとしても思い出せない気がした。
「とにかく、あたしのせいでまた変な気分にさせたくないんだよ」
ウンジェはもう一度ニットを畳んだ。
「友達に会ったら泣きそうって言ったのに、実際に会ったら笑ってばっかりだった。電話も嬉しいのに、長く聞いてると疲れるし。どっちがあたしの感情なのか、全然わかんない」
「両方かもしれないでしょ」
「両方?」
「嬉しくても、疲れることはあるじゃない」
ウンジェはしばらく考えてから、うなずいた。
「あたしみたいに生きてきた魔女には、ちょっと変なことだけど、それは一理あるね」
ナビが尻尾を動かした。
ウンジェは鞄のファスナーを閉めながら、また尋ねた。
「でも、そのかっこいい先輩は気になる」
「それは間違いなく君自身の感情だね」
―――
オリエンテーション当日、ウンジェは集合時間より二十分早く大学に着いた。
ジンバルは鞄にしまっておいた。
家で準備する姿と、大学まで歩いてくる場面はもう撮ったので、まずはみんなに挨拶するつもりだった。
バスの前には、学科名の書かれた紙が貼られていた。
名簿を持った学生が、ウンジェを見て手を上げた。
「地理学科ですか?」
「はい。ソ・ウンジェです」
「あ! 少々お待ちください」
学生の指が、名簿の下のほうで止まった。
「二十四年入学のソ・ウンジェ先輩ですよね?」
「あ……はい。でも、先輩?」
「あ、だいたいのお話は聞いてます。一緒に参加されるということで。ここのお名前の横にチェックだけお願いします」
ウンジェは名前の横にチェックを入れた。
先輩という呼び方は、思ったより妙だった。まだ建物も見つけられない人間が、誰かの先輩だった。
スマホにナビからのメッセージが届いた。
[バス乗った?]
[まだ。あたし先輩なんだって]
[後輩たちにいろいろ聞けばいいね]
[黙れ]
ウンジェは「黙れ」の下に、猫がにらんでいるスタンプを送った。
ナビは結局、家に残った。
バスや宿泊先に猫を連れていくより、遠隔で連絡を取りながら待つほうがいいという結論だった。
ウンジェも、鞄の中で一泊二日を過ごさせるつもりまではなかった。
ウンジェは鞄の中のAirPodsケースを指先で一度触り、バスに乗った。
―――
研修施設の講堂には、折り畳み椅子が並んでいた。
ウンジェは同じ班に割り当てられた学生たちの間に座った。
みんな少し緊張していたが、中には以前の歓迎会で会ったのか、知り合いのように挨拶する人もいた。
学生会長が、履修などの案内、部屋割り、班別活動の順に日程を説明した。
教授の短い挨拶が終わり、自己紹介の番になった。
「こんにちは。二十六年入学のチョン・ソミンです。よろしくお願いします」
拍手が起きた。
隣の学生も、名前と入学年を言った。
自分の番が来ると、ウンジェは立ち上がった。
「こんにちは。ソ・ウンジェです。二十四年入学なんですけど……」
いくつかの顔が上がった。
「通い始める前に事故に遭って、ちょっと長く休学していました。それで、大学に通うのは今回が初めてなので、皆さんと同じ一年生です」
誰かが小さく口を開けた。
「あ……もしかして、あの……飲酒運転の……」
その表情を見て、ウンジェはすぐに付け足した。
「はい。ニュースに出た人で合ってます。でも、今は退院して元気です。元気すぎて、体重計とちょくちょくケンカするのが問題ですけど……」
静かだった席から笑いが起きた。
ウンジェも笑った。
「あたしも何もわからないので、一緒に教えてください。よろしくお願いします」
座るとすぐに、隣の女の子が身を寄せた。
「先輩。お姉さんって呼んでもいいですか?」
「もちろん」
「あたし、二十六年入学のチョン・ソミンです。お姉さんの動画、見ました」
「ニュース?」
「いえ。無礼な体重計です。うちの子もちょっとあんな感じです。あはは」
ウンジェは一瞬黙った。
今日は、体重計とケンカする人として覚えられているらしい。
「あれまで見たんだ」
「面白かったです」
ウンジェの口角が上がった。
何だよ、こいつ。いいやつじゃん。
―――
問題は、履修などの案内からだった。
スクリーンに表が映った。
ウンジェは最初、熱心に見ていた。
地理学科の紹介と歴史までは、だいたい理解できた。
だが、教養必修、専門必修、専門選択、分野別の修得単位数などが並び始めた途端、頭が真っ白になった。
目が少しずつぼんやりしてきた。
「復学される方は、ご自身に適用されるカリキュラムを必ず確認してください」
ウンジェは顔を上げた。
自分に向けられた言葉のようだった。
画面が次のページに切り替わった。
ウンジェはメモに「履修の前提科目? クラス分け?」と書いた。
隣のソミンは表の写真を撮っていた。
ウンジェもすぐにまねして写真を撮った。
意味がわからなくても、ほかの人がしていることにはついていかなければならなかった。
「お姉さんは、二十四年入学の基準で見るんですよね?」
「うん。たぶん」
「じゃあ、学科事務室に聞かないとですね」
「そうだね」
ウンジェは写真をナビに送った。
[これ、何言ってるの?]
返信が来た。
[説明が終わってから連絡して]
ウンジェは最後まで、一生懸命聞いている表情を保った。
説明が終わるとすぐに廊下へ出て、AirPodsをつけた。
「ねえ」
「何?」
「あたし、大学通えない気がする」
「もう?」
「表を見ろって言うんだけど、自分の入学年で見なきゃいけないんだって。でも、あたしは一年生じゃん。何なの?」
ナビは少し黙った。
資料を読んでいるようだった。
「二十四年入学者向けのカリキュラムから確認すればいいよ。登録期間も別に印をつけておく」
「授業一つ受けるだけで、なんでこんなにやることが多いの?」
「大勢で一緒に受けるから」
「王宮の魔法使いは、来いって言えばよかったのに」
「ここの教授たちは、君が王国を救ったことを知らないでしょ」
ウンジェは廊下の壁に背を預けた。
「じゃあ、どうするの?」
「僕がだいたい調べて整理するから、今日は普通に楽しんできなよ。科目を選ぶのは、あとで一緒に見よう」
「ほんと?」
「さっき案内された連絡先だけ送って。確認することは確認しないと」
「愛してる」
「昨日もそう言って、二時間の動画を送ってきたよね」
「今回は本気」
「昨日は違ったの?」
ウンジェは笑いながら通話を終えた。
講堂に戻ると、ソミンが手を振っていた。
「お姉さん! 班の写真撮りますよ!」
「うん。ちょっと待って!」
―――
午後の班別活動で、ウンジェは思ったより役に立った。
大学に関するクイズでは、一問も正解できなかった。
その代わり、ジェスチャーゲームでは大活躍した。
「答え! トリケラトプス?」
「このイカれたクソ……後輩!」
「あははははは!」
ウンジェには正解する才能はなかったが、笑わせる才能は大いにあった。
休憩時間には、同じ班の学生たちに撮影してもいいか尋ねた。
顔が映るのは気が引けるという学生は画面から外し、手だけ振ってくれるという学生の手を撮った。
ソミンはカメラに向かって両手を振った。
「ウンジェお姉さんのチャンネル、登録してください!」
「ねえ、うまいじゃん。あんたもYouTubeやりなよ」
「編集できないんです」
「あたしもできない」
「じゃあ、誰がやってくれるんですか?」
「家に、クソかっこいい編集専用の奴隷がいるの」
「あはは! お姉さん、なんでそんなに面白いんですか」
ウンジェはこのオリエンテーションの流れを見抜いた。
この子たちは今、とても浮かれていて、機嫌がいい。
だから、適当に何を言っても大ウケする。
失言を心配する必要はないと気づいたウンジェは、暴言キャラを維持することにした。
撮影を終えたウンジェは、夕食の間、スマホを鞄に入れたまま笑っていた。
交流の時間が始まると、班ごとにテーブルを囲んだ。
飲み物と酒が置かれ、飲みたくなければ飲まなくていいという説明があった。
ウンジェはビールを選んだ。
「お姉さん、お酒強いんですか?」
「前はそれなりに飲んでたよ」
「えっ? まさか高校のときに?」
王宮の宴が、一瞬浮かんだ。
ウンジェはコップを持ち上げてから、下ろした。
「うーん……いや。今日は様子を見ないとね」
今の体でどのくらい飲めるかは、わからなかった。
ウンジェはゆっくり飲んだ。隣でみんなが騒いで笑っているだけでも、十分落ち着かなかった。
飲み会ゲームのルールは、もっと難しかった。
「ソミンの好きな、ランダムゲーム! 告白ジャンプ、告白ジャンプ!」
「一!」
「二!」
「バック!」
「……」
「ウンジェお姉さん!」
「このイカれ野郎、なんでバックばっかりなのよ!」
ウンジェは結局、立ち上がった。
「このままだと死ぬ。ちょっと休ませて」
また笑い声が弾けた。
ウンジェも笑った。
今度は、誰のまねをしているのか考える暇もなかった。
―――
ロビーに出ると、部屋の中より空気が涼しかった。
ウンジェは首の後ろに手を当て、ゆっくり息を吐いた。
遠くから男たちの話し声が聞こえた。
ソファに座った四、五人が、紙コップを持って話していた。
「二十四年入学なら、チョン教授の授業受けたよね」
「はい。先輩、復学したら絶対避けてください」
「そんなに?」
ウンジェが自販機のほうへ歩くと、ソファの端に座っていた男が顔を上げた。
目が合った。
「ソ・ウンジェ?」
ウンジェは足を止めた。
男が軽く手を上げた。
「さっき自己紹介のときに見たよ。有名人なんだね。涼みに来たの?」
近くで見ると、かなりかっこよかった。
黒い髪は額が少し見えるように整えられ、笑うと片方の口角が先に上がった。
ウンジェはウニョンの説明を思い出した。
「もしかして、イ・ヒョンス先輩ですか?」
「お、名前も覚えてくれたんだ?」
「前からの学校の友達が、教えてくれたんです」
「いい話だったら嬉しいけど」
「はい。顔の話でした」
「あははは! うわ、クソ人気者じゃん」
隣にいた人たちが笑った。
ヒョンスも笑いながら空いている席を指した。
「じゃあ、とりあえず悪い話じゃなかったんだね」
ウンジェはソファの端に座った。
一緒にいた学生たちは、二十四年入学だった。自分と同じ年に合格したのに、もう二年も大学に通っている人たちだった。
誰かが、ある教室は暖房がきかないと言った。別の人は、去年は逆に暑すぎたと言った。
彼らには、一緒に知っている季節があった。
ウンジェは知らない建物を思い浮かべながら聞き、少し遅れて笑いに加わった。
ヒョンスが尋ねた。
「今日、疲れたでしょ?」
「クソ疲れました。授業一回も受けてないのに、もうへとへとです」
「こういう合宿のほうが大変なんだよ。授業は寝ればいいし」
周りの男子学生がブーイングした。
「ブー、奨学生のくせに」
「じゃあ、安心ですね」
そのあとは、思ったより気楽に話が続いた。
ウンジェが履修登録の説明を一つも理解できなかったと言うと、ヒョンスも久しぶりだから見直さないと、と言った。
「復学すると、いつだって全部覚え直す気分になるよ」
「あたしは本当に初めてなので」
「じゃあ、混乱することは少ないね」
ウンジェはうなずいた。
正しい気もするし、違う気もした。
部屋のほうから誰かが出てきて、先輩たちを呼んだ。
ソファにいた人たちが、一人、また一人と立ち上がった。
ウンジェも空の水のコップを捨て、鞄のストラップを掛け直した。
ヒョンスが隣に来た。
「行こう。結構長く席を外してたね」
「ああ、今度またゲーム間違えたら、水飲みます」
「水を飲むほうが大変かもよ?」
先に歩いていた学生たちが、廊下の角を曲がった。
ウンジェは鞄のポケットから出かけていたAirPodsケースを押し込むため、少し足を緩めた。
ヒョンスも隣で歩調を合わせた。
部屋の中の笑い声が、ドアの隙間から漏れてきた。
ヒョンスはウンジェを見て笑った。
「でも、君って本当に面白いね。そんな体で、どうして界行子〈Systemfarer〉なの?」
「……何?」
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うわ……クソ……
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