炎の語らい
「あるところに魔法の才能が溢れすぎている男の子がいた」
隣で話し始めた先生が、急に手の届かないほど遠くに行ってしまったかのような錯覚が生まれた。
「溢れ、過ぎている?」
「振り回されているとも言えたかな。ちょっと人間らしい言葉を話せるようになって、物は試しと好奇心で詠唱した風の聖級魔法が問題なく発現して。周りの大人はそりゃもう大騒ぎだ。呆然とする男の子を余所に天才だなんだと大盛り上がり」
錯覚だと思いたくて、無意識に距離を縮めていたと分かったのは膝が触れ合ったから。
きっと、その男の子は先生だ。
自嘲気味な表情、懐かしむような表情……悔やんでいるかのような、雰囲気が伝わってくる。
「天命、なんていうのかな。天に選ばれ魔法に愛されたと男の子は思ったよ。同時に、高貴たるものの義務なんて言葉があるように、力を持つものにも義務があると教えられた」
ノブレス・オブリーシュは知っている。
お父様も、お母様も……貴族の一部もしっかり実践していたことで、私も心掛けていたつもりのものだから。
でも、力を持つものに与えられた義務って?
「弱きを助けろってやつさ。当時その男の子は納得した、任せろと胸を叩いた。幼い心にあった拙い正義感や使命感が燃え上がった。村の子供がいじめられたなんて聞けば飛んで行って喧嘩を仲裁した。簡単だったんだよ、ちょっと魔法で脅せばごめんなさいの声が響くんだから」
「先生、それは」
「そう。だんだん歪んでいった、正義感や使命感だと思っていたものの正体は顕示欲だった。誰かを跪かせることに喜びを覚えていって……男の子は力に酔っていったんだ。ガキ大将なんて可愛いもんだ、時には大人でさえその子供の前で膝をつく。気分が良かったんじゃないかな」
「……」
ありがち、と言えばそうなのかもしれない。
私だって、第三王女だからと誰かが恭しい態度を取ることに優越感みたいな何かを覚えた記憶はある。
「結果、誰かを守るために力を使うのではなく、力を使いたいから誰かを守るなんて。手段と目的が逆転していることに気づいたときは手遅れだった」
「手遅れ?」
「村長に言われた。隣の村が、ここを襲おうとしているってね」
「ま、まさか……」
先生はそこで曖昧に笑った。
「その男の子は生まれた村を守った。仕立て上げられた敵を悪だと断じ殺して守った、疑いもせずにな。血塗られた手への嫌悪感は、英雄だ守り神だなんていう言葉でキレイになったと思って気にならなかった」
言葉が、見つからない。
気持ちも、定められない。
語ってくれている先生は、揺るがない過去という事実をどう考えているんだろう?
「大人はその男の子を利用することを覚えた。自分たちが豊かな生活をするため、時に他の村を滅ぼして、時に他の村を従わせた。いつからだったか、護衛として傭兵騎士だなんだを用意されていても、男の子の敵じゃなくて……むしろ、相手が強くなればなるほど、後ろめたい何かがあるんだって決めつける気持ちは強くなった」
私は、悲劇だと思う。
断じて笑えない。その男の子が先生だと思っているからじゃない。
正しきへと導く大人が、欲へと目を曇らせ子供の心を歪めた事実を、笑えるはずもない。
「そうして、どれくらい時が流れたか。子供が少年と青年の中間ほどの歳背になったころ。いつものように、敵を倒しに行って……初めて負けたんだ」
「負け、た?」
「ぐぅの音も出ないほど圧倒的にな。井の中の蛙大海を知らずって言葉を知ったのはその時だ。そして……その人に、男の子の村が滅ぼされた」
「滅ぼっ!?」
あまりにも、淡々と。先生は言った。
「俺を除いた全員が殺されたよ。親も、村長も、友達だと思っていたヤツも全員」
「――」
「そして言われたんだ。これはお前がやってきたことだと。やったらやり返される、力はより大きな力で抑え込まれる、あたり前のことだと」
やられたら、やり返される。
あぁ、それは、とても、よくわかる。
先生が、私にそれこそ一番最初に教えてくれたことだ。
あの時は、ただただ腹が立っただけだったけど。
今となっては優しく丁寧に教えてくれたんだと思える授業。
「ようやく自分の手をちゃんと見れた。キレイだと思っていた手は、罪へと真っ赤どころかドス黒く染まりきっていた。でもその男の子はバカだから。自分のせいだと認めたくなくて、吐き気を堪えながらその人を憎むことで見えないふりをした」
「見えない、ふり? じゃあ、その、男の子は」
「仇討ちって名目で、その人につきまとった。倒すべき敵はこいつだ、滅ぼすべき悪はこいつだってね。その人は逃げも隠れもしなかった。勝負を挑めば応じて、暗殺を試みたら阻止されて……そんな日々が何年か続いたある日、本当に前触れ無く終わった。その人が、寿命を迎えたことで」
寿命……じゃあその人は、もうこの世にはいなくて。
同時に、仇討ちはなされないまま、男の子は。
「ったく、そんな顔するなよ、カタリナ」
「だ、だって!」
見ないふりをしていたものを、直視しなければならなくなった。
フタをしていたものが溢れてきたんだ。
先生ほど、過酷で苛烈では無かったけれど、その辛さは私にだってちょっとはわかる。
「色々考えた。自分でこの生を終わらせるだとか、本当に色々。けど、一つだけその人は教えてくれたんだ。これが責任の取り方だと」
「せき、にん?」
「その人もやっぱり事実としてその男の子の村を滅ぼしたんだよ。だからその子を受け入れた。勝負を無理やり仕掛けられても、暗殺されそうになっても、ただただ黙って応じた。死ぬまで応じ続けた。だから……」
だから、先生は。
「カタリナ」
「は、はいっ!」
思わず背が伸びてしまった。
隣にいる人が、遠くに感じていた人が、急に近寄って来てくれたように思えて。
「カタリナは優しい。嫌だなとか怖いなってちゃんとやる前から感じられている、人の死を想えている。だから少なくとも俺みたいに、あの人に認められるためだけに生きようなんて答えは出さないだろうって思える。どんな答えを出してもいい、世界中がカタリナの答えを否定しても、俺は絶対に肯定する。俺は、カタリナの先生だからな」
……あぁ。
この人は、私の先生は。
「ただ、嫌なことから逃げようとしてるだけかも知れない、よ?」
「逃げようとしてるやつは悩んだりしないさ」
「ちゃんと、できないかもしれないよ?」
「できるようになるまで……いや、納得できるようになるまで付き合うさ」
私を認めてくれている。受け止めてくれている。
「先生……」
「うん?」
ありがとう。
「私、先生が先生で、良かった」
「そりゃ、ありがとうさん」




