第九章 『指輪の真実』
翌朝ミーシアは早々と目を覚ました。トロントはミーシアの足元で口笛のようなか細い鼾を掻いている。窓ガラスから射し込む日の光が、零れるように部屋中を明るく照らし、一日の始まりを告げていた。布団を膝に掛けたまま枕元にもたれ、しばらくミーシアは窓の外を眺め遠くを見つめていた。
船長達の事を考えているのだと私は思った。水面に触れてみた。
(遥か彼方の海でとうさんたちはどうしているだろう……)
ミーシアの胸の内が伝わって来た。初めて船長達と離れて暮らす淋しさから、一人になるとどうしても船長達の事を考えてしまうのだと私は思った。
「おはようトロント」足元で鼾を掻くトロントにミーシアが優しく言った。
「ブウブウブウっぷ~(もう食べられないよ~)」
どうやらトロントは食べ物の夢を見ているようだ。
「早く起きてよトロント!」ミーシアがトロントを揺すった。
「ブウ……(いま何時だ……)」
「今日から学校に行くのよ! あなたも早く起きて行く支度しなくちゃ!」
「ブウブブーブ~(行く支度より、おいらは腹の支度をしたいんだけどな~)」
「それじゃぁ~なおの事早く起きなくちゃ~、朝ご飯も食べなきゃいけないし」
「ブブ、ブブブブー!(なに、朝ご飯ッ!)」途端にトロントは飛び起きた。
ミーシアが顔を洗いに洗面所へ向かうと、コトコトと朝食の支度をしている音が聞こえた。ミーシアは洗面所の前にキッチンに向かい、朝食を作っているアンナに声を掛けた。
「おはようアンナ!」
「おはようミーシア! 昨日はよく眠れたかい?」
「ええ、寝つくのは遅かったけど、ぐっすり眠れたわ」
「そうかい、それは良かった。ミーシアすまないが、顔を洗ったらマッシュを起こして来てくれないかい」
「ええわかったわ」
顔を洗い、マッシュを起こし、学校に行く用意を整えると、テーブルを囲んで楽しい朝食のひと時をミーシアは過ごした。食事中ミーシアは、ベーコンエッグの脇に盛り付けられてあるトマトを、こっそりとテーブルの下にいるトロントに引き取ってもらった。
出掛けしな、「それじゃあ行って来ますよ」とアンナがマッシュに声を掛け、ミーシアを連れて学校に向かう時、トロントも元気よく後に続いた。だがトロントにとっては最悪な事に、学校の門の前でアンナに引き留められた。
「ミーシアの手続きが終わったら、トロントちゃんは私と一緒に帰りましょうね」
どういう事だとばかりにトロントは、ミーシアの顔とアンナの顔を交互に見比べた。
「トロントは学校に行けないの?」
即座にミーシアがアンナに尋ねたが、
「お勉強の邪魔になってはいけないから、ミーシア一人で行った方がいいわ」
と結果は変わらなかった。
トロントはぶうたれた顔で、ミーシアをじーっと睨んだ。
「でもトロントはとてもお利口さんよ! 授業中もきっとおとなしくしているわ!」
ミーシアは抗議したが、やはり結果は変わらなかった。
「ブウブウ……ブブーッ!(おいらは初めから乗り気じゃなかったんだ! 残飯掃除係の仕事をまっとうしていれば、今ごろ、料理長のあのよだれの出るほど美味しい残飯にありつけたのに!)」
「トロント本当にごめんなさい……」
トロントはそっぽを向いてご機嫌斜めだ。ミーシアは顔の前で手を合わせて謝るしかなかった。
アンナの付き添いの許、職員室で手続きを済ませると、次は先生に案内されミーシアは教室に入った。
教室では大勢の子供達がそれぞれの席に座り、物珍しそうな表情でミーシアに視線を向けた。
「今日から短い間だけれど、みなさんと一緒にお勉強する事になったお友達を紹介します」
先生は一言いった後、ミーシアに自己紹介するよう促した。
緊張を解こうとミーシアは胸一杯に酸素を取り入れると、ゆっくりと息を吐き、一歩前へと踏み出した。
「はじめましてみなさん。わたしの名前はミーシアです。わたしは海賊をやっているので、船の上で育ち、陸で生活するのは初めてなので、みなさん色々と教えてくださいね!」
元気いっぱいにミーシアが言い終えたはいいが、担任の先生は目を剥いて驚いた。海賊と聞き生徒達もびっくり仰天だ。生徒達はヒソヒソと隣の席に座る子と話し始め、教室中が騒然となった。私自身も、この子はなんて事を言ってしまったの! とひどく驚き、お友だちが出来ないのではないか! だとか、イジメに合うのでは! と心配になった。
「ミーシアさん、ちょっとこちらへいらっしゃい!」
早くも先生に手を引かれ、ミーシアは一旦教室から退室した。そして廊下で二人きりになると、厳しい表情をミーシアに向けた先生が、厳格な声で切り出した。
「ミーシアさん、今言った事は本当なの?」
「何がですか?」ミーシアは何の事だかさっぱり解っていない。
「か、かっ、海賊と言った事です!」
海賊という言葉を口にすると自分に不幸が訪れでもするのではないかと、先生は恐々しくも勇気をもって最後まで言い切った。
「はい、わたしのとうさんたちは、まじめに海賊をして働いています」
先生とは対照的に、海賊は人に幸せを与える職業ですよとばかりに、ミーシアが屈託ない笑顔で答えた。
このとき先生は自分の耳を疑った事だろう。まじめに海賊をするとは、この子の頭はおかしいのでは? と思ったはずだ。先生の顔色はもはや蒼白になっている。
「市場にお魚を降ろしたり、難破船を救助したり、本当に一生懸命海賊をしているとうさんたちなんです」
だがミーシアの次の言葉を聞いて、蒼白になっていた先生の顔色に赤みが差した。
間を置いて先生が話し始めた。
「ミーシアさん。それは漁師と救難艇の仕事をしているという事ですね」
「いえ違います。海賊です!」ミーシアはきっぱりと否定した。
これはどうしたものかと先生は顎を掴み考え始めたが、
「まあいいでしょう。あなたがそれを海賊と思う事は自由ですから」
と、先生はそれ以上考え込むのを諦めた。子供の戯言だと思ってくれたようだ。
水面に映る先生の言葉を聞いて、私はホッと胸を撫で下ろした。
二人して教室に戻ると、先生が生徒達に、今言った事は間違いで、実際にはミーシアのおとうさんは漁師だと補足して下さった。海賊と言った言葉についても、ミーシアが海賊ごっこが好きなのだと付け加えてくれた。
ひとまず私の心配は杞憂に終わった。
一時限目の終了のチャイムが鳴り、休み時間に入ると、数人の女の子達がミーシアの席に集まって来た。
母親の私からしてみれば、娘に初めて同じ年頃のお友達が出来るかもしれないので、この時ミーシア以上に私の方がドキドキしていたかもしれない。
「さっきは驚いたわ。あなたったらいきなり、『わたしは海賊をやっているので』なんて言い出すんだもの、ほんとビックリしちゃった! わたしはカトレーナよ!」
花柄の刺繍が白い襟首にあしらわれた、コバルトブルーの白い折り返しが付いた長袖のワンピースを着た、ブロンドロングヘアーの気品のある可愛らしい女の子が、ミーシアに手を差し出しながら友好的な挨拶をしてくれた。
私は嬉しさのあまり泉から一瞬視線を外し、大御婆様の御顔へと移動した。大御婆様は「よかったのぉ~」と微笑んでくれた。私は笑顔で頷くと、再び視線を泉へと戻した。
「よろしくカトレーナ」
カトレーナとミーシアが握手を交わすと、続いてチョコレート色したショートヘアーの膨よかな女の子が、ミーシアに手を差し出してくれた。
「わたしはスーザン。よろしくねミーシア」左肩をチャーミングに少し上げて、よろしくと言うスーザンは実に優しそうな顔をしている。
「よろしくスーザン」スーザンの手を握りミーシアが言った。
「わたしはアリス・キャメロン。アリスって呼んでね!」次は黒髪の知的な感じが印象的な、品のある女の子がミーシアと握手してくれた。
「わかったわ! よろしくアリス」
ミーシアとアリスが笑顔で握手をし終えると、その空いたミーシアの手の中に最後の女の子が掌を滑り込ませて来た。
「わたしはキャシー。男の子たちはからかってギャシーなんて呼ぶ子もいるけど、そういう時わたしはもっとひどい呼び名でその子たちを呼んでやるの! よろしくミーシア!」
赤毛が良く似合うキャシーという女の子は、話す言葉と同様に、愛嬌のある顔立ちをしている。ソバカスがとてもチャーミングだ。
「こちらこそよろしくキャシー」
思いもよらない女の子達からの歓迎の挨拶を受け、ミーシアはこの上なく嬉しそうだ。
「ところでミーシアは、船育ちって本当なの?」キャシーが尋ねた。
「ええそうよ。今はマッシュのお家で暮らしているけど、船が私の本当のお家よ」
「へぇー、素敵だなぁ~、船がお家なんてとってもロマンチックよねぇ~」
両手を胸の前で組み合わせ、夢見る少女のようにカトレーナが言った。
「ほんとね、夜の海で波に揺られて眠るなんて羨ましいわ」アリスも両手を組み言った。
「でも小さな漁船なんでしょ?」不意にキャシーが聞き返した。
「いいえ、すごく大きな帆船よ。わたしの部屋もあるし、ビッグママって言う大きなクジラのお母さんもいつも一緒だし、とっても素敵なわたしの落ち着くお家なの」
女の子達は羨望の眼差しでミーシアを見つめ、自分も船で住んでみたいやら、ビッグママはいつ行っても会えるのかしら……。とか、中には、船の食事はどんなのが出るの? 一度食べてみたいわ! などとそれぞれが質問を浴びせた。ミーシアが、食事の後には料理長自慢のプディングが出るのよ! と言ったくだりになると、みんな目を輝かせ、「わぁ~、いいなぁ~」と羨ましそうに声を揃えた。
「よかったら今度、わたしの船へみんなで遊びに来ない?」
すばらしいお誘いを受けたと女の子達は、まるで社交会に招待され、大人の仲間入りが出来たとでもいうくらい喜び合った。
「それじゃあ招待状をくださるのね」
カトレーナが言ったが、
「招待状?」
ミーシアは何の事だかさっぱり解らないとばかりに首を傾げた。
「そう、大人たちは家に招かれる時には、必ず招待状を受け取り、それを見せてその招待された家に入るのよ」
貴族階級のそういったパーティーには、両親に連れられ何度か行った事があるのか、大人の真似事をするカトレーナはかなりのおませさんだ。
「そうなんだぁ~。招待状を渡せばいいのね。わかったわ!」
このとき私は水面に触れてみた。ミーシアの感情が波紋のように私の手を伝って感じ取れた。ミーシアは陸に住む人達の風習がそういうものだと理解したようだ。そしてミーシアはこの時、家に人を招くのには、こんなにも手間の掛かる物だと思ったようだ。同時に小さな疑問も湧いていた。というのも、ずいぶん前に買い出しで港に訪れたその帰り、偶然酒場で船長の旧友に会った日の事を思い出したからだ。そこに居合わせたミーシアからしてみれば、あの時は招待状も渡さず、酔っぱらってそのまま船に旧友を招き入れていたのになぁ~? と思ったようだ。
次の休み時間もカトレーナ達四人の間では、船に招待された話で持ち切りだった。その休み時間、ミーシアは早速念願だった図書室に行ってみる事にした。図書室への道順は、廊下を歩いている男の子に聞いてすぐに分かったようだ。図書室のドアを開ける前に、ミーシアは大きく深呼吸して気持ちを落ち着かせた。ミーシアにとって図書室は夢の国でもあったからだ。
「絶対に驚いて自分を見失ったりしないわ!」
ドアを開ける前にミーシアは自分に言い聞かせた。
しかしミーシアがドアに手を掛けた時、次の授業の始まりのチャイムが鳴った。
「まだ神様は、わたしが本たちと出会う事を恐れているのね」
図書室は昼休み以外は閉まっているのも知らず、大胆にもミーシアは、神を用いて自分に言い聞かせた。
大御婆様と私は、ミーシアのその言葉を聞いてお腹を抱えて笑い合った。
昼のお弁当の時間、ミーシアは先程の四人と机を寄せ合い、お話をしながら楽しく食事を摂った。カトレーナもスーザンもアリスもキャシーもそれぞれ個性は違えど、みんな素直な明るい女の子達で私は安心した。こんなにも早くミーシアにお友達が出来た事に、親として喜ぶばかりだ。
初めてのお弁当の中には、ミーシアの苦手なトマトは入っていなかったので、ミーシアはお弁当の中身を残す事はなかったが、スーザンとアリスは少しお弁当を残し、教室の隅に置いてある残飯入れにその残り物を処分しに行った。
「あの残飯って、いつもあんなに溜まるの?」
残飯入れに目を向けたミーシアがキャシーに尋ねた。
「今日なんか少ない方よ」
「あの残飯はどうするの?」
「そりゃぁ~処分されるわよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
私はミーシアが残飯の事を聞いたのですぐにピンときた。やはりトロントの事が気になっていたのだ。
「わたし子ブタのお友だちがいるんだけど、あの子なら喜んで残飯を処理してくれるのになぁ~」
「それなら先生に言えば、ぜひともその子ブタちゃんを連れて来てくれってきっと言ってくれると思うわよ。だって先生、毎日残飯を捨てに行くとき大変そうだもの」
ミーシアは早速先生に掛け合った。キャシーの言った通り、先生の返答はミーシアの期待するものだった。家に帰ったときトロントに吉報を伝えられるわ! と、ミーシアは心から喜んでいた。
「ところでミーシア、このあと中庭でみんなとお話しない? わたしたちいつもそうしているのよ」
キャシーのお誘いにミーシアは少し考えていたが、
「キャシーごめんなさい。せっかく誘ってくれたのに……。でもわたし行きたい所があるの……」と済まなさそうにミーシアが答えた。
「どこに行きたくって?」上品にカトレーナが聞き返した。
「図書室なんだけど……」
せっかくのお誘いを断ってまでミーシアは図書室に行きたかったので、少し言い辛そうに尻すぼみになった。
「それならわたしたちが案内してあげるわ」アリスが親切に言ってくれた。
快く図書室まで案内してくれるお友達と、ミーシアは楽しく廊下をおしゃべりして歩き、どんな本を借りようかなぁ~……。動物が登場する冒険のお話があればいいのになぁ~……。と、はたして図書室にはどんな本があるのかと想像を膨らませ、それに対する表題までも想像を働かせていた。中でもお化けのグルービーが少女に恋心を寄せ、少女の側を離れない話を思い付くと、『グルービーの片思い』と表題を連想させたはいいが、図書室に着く頃には『少女の肩重い』に表題は変わっていた。
「すぅ~、ふぅ~」ドアの前でミーシアはまた気持ちを落ち着かせ深呼吸した。
「どうしたのミーシア?」不思議がった顔でカトレーナが尋ねた。
「本の数に圧倒されないように、心を落ち着かせているの」ミーシアは胸に手を当てた。
「あなたってほんとおもしろい子ね!」横に居たスーザンが言うと、三人もクスッと笑った。
図書室のドアを開けたミーシアは、書籍の数に圧倒されるばかりだった。海賊船の本棚に並べられてある書籍の数とは比べ物にならないほど書籍がある事に、ミーシアは目を輝かせ驚くばかりだった。
「はじめまして本さんたち、これからよろしくね」
ミーシアは臆する事なくカトレーナ達の前で図書室の書籍に向かって挨拶すると、早速本棚に向かって駆け出した。そんな純粋無垢なミーシアを見て仲良し四人組は、「ミーシアったらかわいい」と笑顔でミーシアに駆け寄った。
ミーシアがまず最初に手にした本は、『月の輝く水たまり』という挿絵の付いた童話小説だった。
「これ私も読んだ事あるけど、おもしろかったわよ! 子ダヌキが人間になるお話なの。わたし読み終わったとき感動して泣いちゃったわ」とスーザン。
「ミーシア、貸し出しは三冊まで大丈夫よ」とアリス。
「わたしのお勧めはなんと言っても『ミンティアの神話』よ! ミンティア連合王国の伝説の王妃ミーシアが、動物たちを従えて敵国と戦うの。あらっ、あなたと同じ名ね」
キャシーは無意識にミーシアの手許に目をやった。
「まさかね……」
守りの指輪を嵌めていないかキャシーは確認したのかもしれない。守りの指輪はムアール国の紋章が刻まれた私のネックレスに通し、ミーシアは首に掛けて大事に服の中に仕舞っていた。
「大御婆様の事が書かれているのですよね」
水面を共に見つめる大御婆様に私が問い掛けると、
「昔の話じゃよ」
と大御婆様は過去を語る事なく返事して下さった。再び私は水面に目を戻した。
「わたしは王子様と恋に落ちるシンデレラストーリーが好きだなぁ~」
カトレーナは祈るように両手を胸元で結んで虚空を見上げた。
結局ミーシアは、『月の輝く水たまり』『ミンティアの神話』それと海を舞台にした『七色の海』という恋愛小説を借りる事にした。
「お家に帰って読むのが楽しみだわ!」
図書室を出るとき嬉しそうにミーシアが言った。
「でね、カトレーナはいつか王子様が自分を見つけ出してくれると信じているのよ」
図書室を出て中庭に向かう道すがら、スーザンがカトレーナをからかうようにしてミーシアに教えてあげた。
「いいじゃない。夢を見ることは大切よ!」カトレーナも負けじと反論して返した。
建物を出て中庭まで来た五人は、大きな楓の木の下に腰を落ち着かせ、四人がポケットから取り出したお菓子を交換し合った。ミーシアはお菓子を一つも持って来ていなかったが、女の子達は自分の分から少しずつミーシアの為にお菓子を分け与えてくれた。
(明日はわたしも何かお菓子を持ってこなくちゃ)お礼をみんなに言った時ミーシアはそう思ったようだ。
「ホント大きな木ね。わたしこんな大きな木は初めて見たわ」
ミーシアのほっぺはキャンディーでぽっこり膨らんでいる。
「ここはわたしたちのお気に入りの場所なのよ」
アリスも口にキャンディーを含みもって言った。
「明日はここでお昼を食べない?」
オレンジを剥きながらカトレーナも会話に入った。
「それいいかも」
これはキャシーだ。キャシーの口元はチョコレートで少し汚れている。
「わたしこの木に登ってみたいわ!」
突然ミーシアが突拍子もない事を言い出したので、四人は驚きに目を丸くした。ミーシアは透かさず立ち上がり、早くもマストに登る要領でヒョイヒョイと楓の木を登り始めた。
「ミーシア危ないわよ!」
「大丈夫、わたし船ではマストの天辺まで毎日登っているから」
ミーシアは左手を木に添えて幹に立つと遠くを眺めた。マストの上での感動は味わえなかったのか、ミーシアはそれほど嬉しそうな表情を見せなかった。ふとミーシアは目を細めて眉の上に手を当てた。
「ミーシア何か見えるの?」
「ええ、男の子たちがこっちに向かって来ているわ」
そう言うとミーシアは、素早い身のこなしで楓の木を伝って降りた。
「あなたってホント変わっているわね。わたしたち今日はびっくりさせられっぱなしよ」
両肩をヒョイと上げスーザンが言った。
「それにしてもミーシアって、さすがに船の上で育っているだけの事はあるわね」
キャシーも感心している。
「なにが?」
「だってわたしたち木に登った事もなければ、図書室であんなに喜ぶ人だって見た事ないもの」
その言葉にミーシアは微笑んだ。
「わたし本が大好きなの。あれほどたくさんの本を見たのも初めてだったし、マストに登った事はあってもこうして木に登る事だって初めてで、それに学校だって初めてだし、わたしと同じ年のお友だちが出来たのも初めてなんですもの。わたしにとってはすべて初めての事だから、すべてがすごく新鮮だし、すごくうれしいの」
女の子達の表情が、ミーシアの屈託ない笑顔の理由が理解できたかのような晴れ晴れとした顔付きになった。ミーシアにとって初めてのお友達と解って光栄に思ってくれているようだ。水面から手の平を伝ってそう感じ取れた。そしてミーシアもまた素敵なお友達が出来た事に喜びを感じていた。わたしが船の生活に戻っても、ずっとお友達でいたいとさえ思っていた。
「あれさっき言ってた男の子たちじゃない?」
スーザンの指さす方向には、四人の男の子達が楓の木に向かって歩いて来ていた。近付いて来るにつれ、その男の子達の顔がハッキリ確認出来たようだ。
「あれトニーたちだわ。あの子たちまたマーカスをイジメているのね!」
スーザンが鼻息荒く言った。
事情の解らないミーシアは首を傾げている。
やがて男の子達の内三人は、ミーシア達が楽しく木の下で遊んでいるにもかかわらず、我が物顔で楓の木の下まで近付いて来ると、ふんぞり返って暴言を吐き始めた。
「誰かと思えばギャシーのバカどもたちじゃないか! 海賊女も一緒か、バカがうつるから早くどっか行きやがれ!」
「そうだぁ~ブスども!」
「早くどっか行けよ!」
三人の男の子達の後方に居る、ソバカスだらけの大きな黒縁メガネの男の子は、済まなさそうな顔をしてちらちらとミーシア達を見ていた。右手には分厚い本が握られている。
「ちょっといいかげんにしなさいよッ、バカはあなたたちでしょッ! 脳みそ空っぽのトニー!」キャシーも負けじと言い返した。「わたしたちが先にこの場所で遊んでいたんだから、あなたたちがどっか行けばいいじゃないの!」
「なんだとぉ~ギャシーッ!」
三人の真ん中に立つ、見るからに悪ガキそうなトニーという男の子が一歩前に躍り出た。その両脇を固める二人の腰巾着は、一人は身体の大きな太っちょで、もう一人も背が高く体格がいい。三人は女の子達の前に立つと、トニーは拳を握り、その拳を顔の横まで上げ、女の子達を脅し掛けた。
「なによッ、わたしたちを殴ろうっていうのッ!」
トニーの正面に立つキャシーがそう言うと、
「生意気な女はこうしてやるッ!」
とトニーが拳をぴくりと動かした。キャシーはとっさに目を瞑った。まさにその時だった。ミーシアはキャシーを庇うように前に立ちトニーを睨みつけた。
「なんだ海賊女、先に殴られたいのかッ!」
「殴りたいなら殴ってみなさいよ、そんなの弱虫のする事よ!」
挑発されたトニーは退くにも退けず、ミーシアに向かって拳を振り下ろした。ミーシアは瞬き一つしなかった。向かってきた拳を顔の前で右手で掴み、ギュッと力いっぱいその拳を握りしめた。
「痛ててててぇぇぇ~~~~ッ!」トニーが唸り声を上げた。
ミーシアは船上の生活で毎日と言っていいほどマストに登り、そしてまた晴れた日は欠かさず海で泳いでいたので、同じ年齢の女の子や男の子よりも握力もさる事ながら、身体能力も優っていた。次の瞬間、ミーシアの首から吊るされた守りの指輪の赤い宝石が、ミーシアの服の中で輝き始めた。楓の枝に止まっていた小鳥たちが一斉にトニー目掛けて飛び立った。まず一羽目がトニーの頭目掛けて嘴を突き刺した。二羽目三羽目も次々にイジメっ子三人組に襲い掛かった。イジメっ子三人組はこのままでは頭がハチの巣になってしまうと、嘴攻撃を避けるため声を荒げてその場を退散して行った。残された黒縁メガネくんはきょとんとした顔でミーシアを見つめている。ミーシアの後ろに控えている女の子達もやはり同じ顔をしていた。
沈黙を破ったのはキャシーだった。
「ミーシア、あなたすごいじゃない! いいえ、先にお礼を言うべきだったわ! ありがとうミーシア。わたしを庇ってくれて!」
他の三人もミーシアを囲んだ。
「お礼なんていいのよ。わたしああいう男の子たちに会うのも初めてだけど、わたしああいう男の子たちは好きになれないわ!」
船長達を見て育ったミーシアは、弱い者イジメをする男の子達が許せなかった。
女の子達の傍らで一人ぽつんと取り残された黒縁メガネくんは、目の前で起こった先程の出来事に驚いたのか、分厚い本を足元に落としていた。メガネもズリ落ちている。
「ホント今日はあなたに驚かされっぱなしよ! でも不思議ね、小鳥たちがわたしたちに味方してくれるなんて」
そう言ったのはスーザンだが、カトレーナとアリスもやはり不思議がっていた。
スーザンは、ボケーっと突っ立っているマーカスに一言浴びせた。
「マーカス、あなたも男の子なら、いつまでもトニーたちの言いなりになってないで、言い返さなきゃ~ずっとイジメられるわよ!」
マーカスはメガネの位置を元に戻すと、足元の本をサッと拾い、ミーシア達に一礼してその場を去って行った。
「変な子!」
マーカスの走って行く後姿を見ながら、スーザンが両肩を上げさらっと言った。
大御婆様は守りの指輪について詳しく教えて下さった。あの指輪が光り、指輪を通して小鳥たちがミーシアを守ったのだが、その指輪の源となる力はこの真実の泉にあるのだと……。そして水面を見つめる者の愛の深さが強ければ強いほど、あの子を守れるのだと……。私が天界に呼ばれた理由がこの時ハッキリと解った。
午後からの授業でトニーは、後ろの席からずっとミーシアの背中を睨んでいた。
私はトニーが何を考えているのか水面にそっと触れてみた。トニーは仕返しを企てていた。私にとって一つ心配事が増えたのだ。
「それでは今日の授業はこれまでとします」
先生の一言で教室は一斉に騒然となった。下校する者、友達と教室に残り会話を楽しむ者、中には教室の後ろで馬跳びをする男の子達さえいた。ミーシア達は教科書を鞄に詰め終えると、一緒に下校しようと連れ立って教室を後にした。
門の前まで来た五人は、帰る方向が同じ者同士に別れてさよならを言い合った。ミーシアは帰り道が同じ方向のキャシーとカトレーナと一緒に帰宅した。
三人が歩く白樺並木の小道は、私が昔エゼルドとよく歩いた小道に似ていた。あの頃はまだミーシアは生まれていなかったが、いつの日か赤ちゃんが出来たら三人でここを歩きたいね。とエゼルドが言ってくれた事がある。親子三人ではもう歩けないが、こんなにも大きくなったミーシアが、こうしてお友達と仲良く白樺の小道を歩く姿を見て、私は思わず涙が溢れた。悲しさの涙というより嬉しさの涙だ。泉に涙の滴が落ち、七色の波紋が水面に広がった。
「見て虹よ!」空を見上げてカトレーナが言った。
ミーシアとキャシーも空を見上げた。
ミーシアの笑顔は私にとって、何物にも代えがたい最高の贈り物だった。
海賊姫ミーシアとは別に、コメディータッチの自伝、
レッツ ゴー トゥ ザ NY ウィズ 岸和田㊙物語シリーズ1『武士はピンク好き 編』
も同時連載しておりますので、よければ閲覧してくださいね!
作者 山本武より!




