第六十七話「世はすべて事もなし」
ジャスティンとマルセイユの二人は、デュヴァルが運転するタクシーで、首都へと帰る途中だった。
「ジャスティン様……」
マルセイユは街灯に照らされたヌーヴェル=ルヴェの街並みを眺めながら、ふとある事が気になってジャスティンに声をかけていた。
「ん? なんだ……?」
ジャスティンはノートパソコンの画面を見つめながら、キーを叩く手は止めなかった。
首都に戻るまでに報告書の草稿を何としても書き上げようと必死の様子だった。
「お忙しいようであれば……」
マルセイユはジャスティンのその姿を見て、遠慮がちに言った。
すると、ジャスティンはキーを叩く手を止めて、マルセイユを見つめる。
「何が訊きたいんだ?」
「いえ……ちょっとルヴェの領民が、これからどうなるのか気になって……」
「ルヴェの領民? デュヴァルさんに訊いてみたらどうだ?」
ジャスティンはバックミラーに映る無精髭の男を見ながら、嫌みっぽくそう答えた。
しかし男は無表情のまま運転を続けた。
ジャスティンはため息を一つ吐く。
「心配することもないさ。監獄王たちにとって、ルヴェの領地は都合がいいんだ。おそらく今まで通りだよ」
「都合がいい?」
「ああ——新旧の領民が別々の町に棲み分けられているんだ。新しい領民の中に紛れ込ませるにはちょうど良いと思わないか?」
「それは、フォルトスラーバ監獄の……」
マルセイユは何かを察して、口を閉ざした。
彼らの呼称について、マルセイユも迷っているようだった。
「2千人を超える囚人たちを監獄王が放っておくとは思えない。行き先のない彼らを、新しい領民として受け入れるつもりなんだよ」
ちらりとバックミラー越しに、デュヴァルを見つめるが、表情に変化はなかった。
(ま、あくまで推測だ。何か別の企みもありそうだ……)
「でしたら、一族や関係者は?」
「そっちは……どうだろうな?」
ジャスティンは首を傾げて考えてみる。
もう一度、ミラー越しにデュヴァルを一瞥するが、相変わらず無表情のままだった。
「おそらく——『もう一人のフェルナン』が上手く立ち回るんじゃないのか?」
「ですが、ジャスティン様――殺された侯爵と彼が、同一の存在だとしても……」
マルセイユは言葉を濁した。
「お前の言いたいことは分かるよ。だが、記憶も複製できるとしたら――」
言いかけて、ジャスティンは頭を振った。
「いや、やめよう。この話はここまでだ」
「ジャスティン様……?」
「俺たちは物語の外側に出ようとしているんだ。ここから先は、物語の中にいる者たちが、どう判断するか――それだけだ」
ジャスティンはそう言うと、再びノートパソコンの画面に視線を向けた。
すると、メールの着信メッセージが表示されていた。
「運転手さん、首都に入ったら霊園墓地の近くにある近衛省の宿舎で下ろしてくれないか?」
「何かあったのですか?」
マルセイユが訊ねてくる。
「ベノア局長からメールが届いた。近衛省の方でクリストファー・テトレーの身柄を確保しているそうだ」
「ですが、あの事件は――」
「ああ、自殺で片付けるつもりだ。とりあえずは会って事情説明はしないとな」
◇◇◇
タクシーは国立霊園墓地の近くで止まった。
運転手は無言のまま、バックミラー越しにジャスティンを見つめてくる。
(ここで降りろと……?)
二人が降りると、すぐに扉が閉まりタクシーは猛スピードで走り去っていった。
ジャスティンは携帯端末を取り出すと、地図アプリを頼りに歩き出した。
大通りを2区画ほど歩いた先に、目的地である古めかしい屋敷が見えてくる。
格子状の門を開けると、蝶番が悲鳴を上げる。
二人は屋敷の玄関の扉をノックした。
すると、しばらくして少女二人と少年二人が出迎えてくれた。
その中の一人は今朝見た顔があった。
「お待ちしておりました、ジャンナッツ警部」
一人の少女が前に出て挨拶をしてきた。
亜麻色の髪をした理知的な印象を受ける少女だった。
少女はウェッジウッドと名乗り、応接室へと案内をしようとした。
「悪いが、こちらも疲れていてね……。ウェッジウッド嬢、申し訳ないが、要件はここで済ませたい」
ジャスティンは丁重に断り、本題である事情説明をしようと思っていたのだが、目の前にいた三人の少年と少女が深々と頭を下げたのだ。
(おい……まさか――このタイミングで、それを……)
最悪のタイミングだった――。
ウェッジウッドは説明をはじめたのだ。
マルセイユには聞かれたくない内容だった。
姉のメリシア・ジャンナッツの墓が荒らされて、ノクターン・プロトタイプ・バンシーが盗まれていたことを告げたのだ。
マルセイユはその話を聞いた途端、殺気を隠すことなく四人を睨み付けていた。
「ど……どういたします……か?」
ウェッジウッドは怯えた表情をしていた。声も震えている。
「どうするだと? お前……何を言ってる? 探せ!」
マルセイユの恫喝に、四人は一歩下がり身構えていた。
「ウェッジウッド嬢! 気にしなくて結構! 捜索はしない!」
マルセイユは振り返る。
「良いはずないでしょう?! メリシア様の――」
「決めるのは俺だ!」
ジャスティンも声を荒げる。
するとマルセイユは、ジャスティンの胸ぐらを掴み持ち上げた。
(——くっ!)
ジャスティンを玄関の扉に押しつけると、さらに殺気だった眼差しで睨みつける。
「私に何を隠しているのですか?」
マルセイユの眼が光った。
「私は家猫ですよ――」
「俺の……家猫なのか?」
マルセイユは黙り込む。
「答えろ! 俺の家猫なのか? それとも……メリシア姉さんの忠犬か?」
「な? わ、私は――」
「血の繋がりがあるのは――俺だ!」
その言葉に、マルセイユは掴みあげていた両腕をダラリと下ろした。
ドサリと床に落ちたジャスティンは、尻餅をついたままマルセイユを見上げる。
「俺が決めることなんだよ! 当主代理の、この俺が――」
「貴方は……貴方は、卑怯です! 卑怯……です……」
マルセイユは嗚咽を漏らし、泣きながら玄関を出て行った。
屋敷の外から、弦楽器が、かき鳴らされたような音が響く。
その音色をジャスティンと四人の少年少女は黙ったまま聞き入っていた。
「アイツ、調律しているのか?」
ジャスティンは小さく呟いた。
気を取り直して、ジャスティンは立ち上がる。
「悪かったね。みっともないところをお見せしてしまって――」
ジャスティンは苦笑する。
「さて、私も帰るとしよう」
ふと思い出したように、ジャスティンは振り返った。
「ああ、忘れるところだった――クリストファー・テトレー君。君の養父のご遺体は、明日にでも霊園墓地の方へ送られるそうだ」
「あの……事情聴取は?」
少年は緊張した面持ちで見つめてきた。
「ああ――そのことか。私も伯爵の遺体を拝見させてもらったが、他殺の線はないと考えているよ。婚約が破談になったという証言も得られたからね。それを悔いての自殺ということで報告書を書いてるところだ」
少年は驚きの表情に変わる。
「何か、話しておきたいことがあるのなら伺うが?」
「いえ……ありません」
少年はかぶりを振った。
「それじゃあ失礼するよ。これから帰って報告書を仕上げないといけないんでね」
ジャスティンは玄関の扉を開けた。
だが、一歩踏み出したところで立ち止まり、再び振り返った。
「ああ、そうだった! 君の出自はフォルトスラーバだったよね?」
怪訝そうな表情で、クリストファー少年は見つめてきた。
「ええ。それが何か……?」
少年は警戒するようにジャスティンを見つめる。
「だったら知っているかな?」
ジャスティンはニコリと微笑む。
「監獄がどこにあるのか?」
「……いいえ」
少年は否定したが、その僅かな間が物語っていた。
ジャスティンは確信した。
「呼び止めて悪かったね。それじゃあ、おやすみ――」
ジャスティンはそう言い残して、屋敷を後にした。
◇◇◇
「疲れた。今帰ったぞ」
室内の灯りを点けながら、中へと入っていく。
人の気配はしない。
ジャスティンは『メルシーの部屋』と、札が掛けられた扉をノックする。
「おい、居るのか?」
部屋の中を覗くと、無防備な姿の少女が顔をこちらに向けた。
「悪い……」と言って、ジャスティンは直ぐさま扉を閉める。
「居るなら、居ると言ってくれ!」
扉の前でジャスティンは声を荒げる。
「リグを装着しているところなんだよ」
少女は扉を開けると、腕を掴んでジャスティンを中へと入れる。
「ん? どうしたジャスティン……傷だらけじゃないか? 青痣もできてるぜ」
少女は前を隠そうともしないまま、ジャスティンを心配そうに見つめてくる。
ジャスティンは嘆息を漏らすと、昨日と今日の出来事を話して聞かせた。
「へぇ、マルシーがジャスティンの家猫かぁ。お前ら、昔から仲が良かったからな」
「どうしてそうなる? んな訳ないだろ……」
ジャスティンは下着姿をあまり見ないように顔を背ける。
「お前のせいだぞ。俺のいうことを聞かずに、勝手に墓を荒らすから……」
「悪かったな。だけど……説明すればよかったじゃないか?」
「マルセイユは……あいつは関係ない。だから言う必要はないだろ」
「まあ……そうだな」
「それよりこれを持っていてくれよ」
少女は曖昧な返事をしながら、ノクターン・プロトタイプ・バンシーをジャスティンに手渡した。
「一人で装着するのは難しいんだよ」と言って後ろ向きになり、ジャスティンが手にしたノクターン・プロトタイプ・バンシーを装着していった。
ノクターン・プロトタイプ・バンシーが作動開始すると、灰色から光沢のある黒色へと色彩が変わっていく。
「おお、さすがアシュモール君が、俺様のためだけに作ったことはある」
左右に身体を動かしながら感想を述べる。
「それより、猫たちには見つかっていないのか?」
「つまらない奴だなあ。本当に、お前は……」
メルシーは舌打ちをする。
「心配するな。普通の猫たちに気づかれるほど落ちぶれていない。俺様を誰だと思っているんだ? 俺様は幽霊猫を継承したメルシー様だぜ」
その言葉に、ジャスティンはため息を吐いた。
「わかったよ。俺は報告書を書き上げないといけないから、自分の部屋に戻るよ」
ジャスティンは部屋の扉の前まで歩いて行く。
「ああ、遅くまで根を詰めるなよ。俺様も動作確認が終わったら、今日は大人しく寝ることにするぜ」
「わかったよ……。おやすみ――姉さん」
ジャスティンは振り返らず、静かに扉を閉めるのだった。




